えんとつ掃除と星の話




 えんとつ掃除の青年は、夜更けの街を歩いていた。
 この時期──秋が深まり始めた頃──はかき入れ時だ。暖炉を使用する時期が来る前に、と、一般家庭からの依頼がたくさん来る。「安くて丁寧」を謳っている青年にとって、一般家庭は大事な顧客だ。
 それなのに、青年の腰に下がっているランプは、ガラスが砕けてしまっていた。
 結びが緩かったのか、腰紐が解けて煙突の天辺から落としてしまったのだ。それも運の悪いことに、飛び散ったランプの破片がペットの犬を怪我させたために、今日はただ働き。
 ──運がない。
 もう何度目かわからないため息をついた青年は、がっくりと肩を落とす。
 そんな彼に、声をかける者がいた。
「そこのお兄さん。そんなに肩を落としてどうしたんだい?」
 青年は顔を上げた。
 目の前には、温和そうな笑顔を浮かべる老人がいた。
 片方の手には煌々と光るランプをぶら下げ、もう片方の手は上品に整えられた白髭を撫でている。
「ランプを落としてしまって」
 青年はほんの少し警戒しつつ、そう答えた。
「おやおや、それはそれは。……私はランプ屋なんですよ、良かったら見にきませんか」
 突然明け方に声をかけてきた老人を不審に思いつつも、「お安くしておきますよ」という言葉につられた。青年は老人の背を追って歩き出す。
 細い道に入り、何度か角を曲がり。
 青年ですらも知らない道に入って、しばらく歩く。細く薄暗い路地の突き当たりに、その店はあった。
 軒先に円筒形のランプを飾った店の中に入る。
 老人は店の奥に引っ込んでしばらくごそごそと店の奥の棚をあさり、小さな箱を見つけて戻ってきた。
「これをあなたにプレゼントしましょう」
 箱の中から金色の粒を取り出して、青年に手渡した。
 えんとつ掃除は手のひらの上でそれをころころ転がした。
 きらきらと光り輝くそれは凸凹としていて、一見砂糖菓子のようだった。
「なんです、これは。金平糖?」
「ふふ、食べても甘くはありませんよ」
 店主は目を弓なりに細めて笑う。
「これはね、お星さまなんですよ」
「お星さま? こんなちっちゃいのに?」
「ええ、ええ。大きさは関係ありませんよ。だって、お空の星もまるで針の穴のように小さいでしょう」
「はあ」
「そのお星さまに名前を付けてやってください。お星さまってのはね、名前がついて初めて星になるんですよ」
「へえ、初めて知りました。じゃあ、お空の星にも全部名前があるんですか」
「ええ勿論。デネブ、アルタイル、ベガ、シリウス、スピカ……」
「ああ、聞いたことがありますよ。……ううん、そんな良い名前は思いつかないな。おじいさん、代わりに名づけちゃくれませんか。俺よりずっといい名前を付けてくれそうだ」
「それじゃあ意味がありませんよ。このお星さまはあなたのために光るんですから」
「俺のために光る……」
 えんとつ掃除が、改めて手のひらに目を落とした。
 確かに星の形に似たそれは、光を放つことなどなく、ころりころりと転がるばかりだ。
「そうです。そのお星さまは、きっとあなたのゆく道を照らしてくれることでしょう」
 ──俺の道を、照らしてくれる。
 えんとつ掃除は空想する。自分のために光ってくれる星のことを。
 暗い暗い煙突の中、星が手元を明るく照らしてくれる様を。
 仕事帰りの暗い道が、星の光で明るくなる様を。
 彼にとってそれは、とてもとても素敵なことのように思われた。
 えんとつ掃除は、孤独だった。自分のために光ってくれる誰かなどいなかった。
 彼は「誰か」を希求していた。焦がれるほどに欲していた。──もはや、それが「誰か」ではなく「何か」でもよかった。
「……俺の足元、照らしてくれるか? 相棒」
 えんとつ掃除がそう言った瞬間。手のひらの星に、ぴしりとひびが入った。
 まるで卵が孵るようにひびは広がり、中から光が零れだした。
「え、なにこれ、どういうこと?」
 えんとつ掃除は自らの手のひらと店主の顔を交互に見る。
 そうしているうちに星の表面は砕け散り、眩い光の玉が宙に浮かんだ。
 光の玉は何かを探すようにあたりを漂った後、ひときわ強い光を放つ。
 あまりの眩しさに思わずまぶたを閉じたえんとつ掃除が、再び目を開いた時。視界に入ったのは、橙色の双眸だった。
 ──そこにいたのは、光輝く少年だった。
 炎を内包したかのような瞳。一筋一筋が星のような光を放つ金髪。そこいらの皇子でも敵わぬほどの美貌が、えんとつ掃除の顔を覗きこんでいる。
「……お前、は……?」
 えんとつ掃除の問いに、少年は表情を喜色に染めた。
「僕は、アイボウ」
「は?」
「君が呼んだんでしょ僕のこと。アイボウって!」
 ──それ、名前として認識しちまったか……。
 えんとつ掃除は苦笑いをして、頷いた。
「僕は君のお星さまだよ」
 相棒と名乗った少年が、大きな両手でえんとつ掃除の頬を包んだ。
「お前は、俺の……」
 きらきらと輝く瞳に目を奪われながら、えんとつ掃除はうわ言のように少年の言葉をくりかえす。
「そう、だから、君のことも教えてよ」
「──俺のこと?」
「うん。……そうだな、まずは君の名前を教えてよ」
「俺、は……リュヌ」
「リュヌ?」
 えんとつ掃除──リュヌは、「ああ」と短く返事をした。
 ──そういえば、名乗るのも久し振りな気がする。その名を呼ばれるのも。
 えんとつ掃除、とだけ呼ばれ続けてきたリュヌは、いっそ新鮮な気持ちで少年の声を聞いていた。
 少年は、にへらと笑ってリュヌを見る。
「……あれ。でもこれじゃ仕事用のあかりにはできないんじゃ」
 我に帰ったリュヌはそう言って、店主の方を見る。
「相棒さんや、小さくなっておやり」
「え? うん」
 少年は不思議そうに頷くと、再びリュヌの視界を白く焼くほど強く光った。
 リュヌが視界に色を取り戻した時、目の前にいたのは手のひらサイズの光の玉。
『これでいい?』
 少年──光の球の声がした。鼓膜を震わせるような声ではなく、まるで脳に直接声が入り込んでくるような感覚。
「あ、ああ……これなら」
『きっと僕、君の役に立つと思うな』
 だから僕をよろしくね、と彼は言い。リュヌはそれに神妙な顔で頷いた。
「店主さん。お代は……」
「結構ですよ、そのお星さまがあなたを選んだのですから」
「はぁ」
「では、今日はこれにて閉店です。今夜はお帰り下さいな」
「……はい」
 リュヌは店主に深々と頭を下げて、店を出た。
『どこへ帰るの?』
 左肩のあたりを漂う星が、リュヌに話しかけた。
「俺の家」
『どんなとこ?』
「狭くてぼろい。期待はするなよ、きっと裏切る」
『リュヌがいるならどこでもいいよ。この姿なら場所も取らないしね』
「それもそうか。……なぁ。俺はお前のこと、アイと呼ぶことにするよ」
『アイ?』
「仇名ってやつだよ」
『わかった、いいよ。僕、アイ!』
 街灯の少ない夜の道を、リュヌとアイは歩いて行く。
 ──リュヌが老人の店を見つけることはことはなかったという。


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