Globster
八月十八日 晴れ
今朝、姫離海岸を散歩していたら、腐った肉のような匂いがした。その匂いを辿って行ったら、巨大な肉塊が流れ着いているのを見つけた。
僕二人分くらいの大きさがある肉塊で、毛むくじゃらだった。色はかさぶたになりかけた擦り傷に似ていた。
落ちていた流木でつついてみたけれど、それはぴくりともしない。死んでいるのだろうか。
ちょうど夏休みの課題に観察日記があるから、しばらくはこれを観察してみようと思う。
八月十九日 曇り
海岸に放置されていた肉塊は、昨日と変わらない場所にあった。
流木でつついてみたら、ほんの少しだけぴくりと動いた。
びっくりして、流木を握ったまま走って帰ってきてしまった。
八月二十日 雨
今日は雨が強かったから、海岸には行けなかった。
代わりに肉塊についてインターネットで調べてみた。結果をまとめる。
二年くらい前にフィリピンで、同じように巨大な肉塊が流れ着く事件があったらしい。
写真も載っていたけれど、姫離に流れ着いたのとは全然違う、白っぽいものだった。
フィリピンのときは野次馬や研究者がいっぱい押し寄せる事態になって大変だったらしいけど、こっちは全然そんなことがないのが不思議だ。
漂着した肉塊のことを、「グロブスター」と呼んでいたらしい。「海岸に流れ着く謎の肉塊」という意味だそうだ。今日から僕もあれのことをグロブスターと呼ぶことにする。
八月二十一日 晴れ
一日ぶりに海岸へ行った。グロブスターはこの間見た時と変わらないところにあった。昨日の雨のおかげか、匂いは多少マシになった。
グロブスターの周りを一周したら、端っこの方に一本筋が入っているのに気がついた。中から何かが出てくるかもしれないと思って流木でつついたら、筋の部分が、まるで口を開けるみたいに開いた。それが「口だ」と思ったのは、開いた空洞の中に、沢山の歯が並んでいたからだった。何列も、何列も、ノコギリみたいな歯が並んでいる。
噛まれたらたまらないと思って、僕はほんのちょっと距離を取った。そいつは「ぐー」と音を立てた。父が腹を空かした時の音に似ていたから、あいつもお腹が空いているのかもしれない。
明日は何か、食べ物を持ってきてみよう。
八月二十二日 晴れ
今日はグロブスターに食べ物を持っていった。何を食べるのかわからなかったから、冷凍してあった鶏肉と、野菜室に入っていたスイカを持ってきた。
それらをグロブスターの口のそばに並べて少し離れた場所から観察した。
グロブスターは口を開けて、大きな舌で肉とスイカを口に運んだ。しばらく咀嚼するように体を震わせていたけれど、やがて動かなくなった。
あまりにも動かないので近づいてみたら、赤黒い毛の隙間から、たくさんの目が覗いていた。無数の目が、じいっとこちらを見つめた。
背筋がぞっと寒くなって、走って帰った。
八月二十三日 雨
台風が近づいているらしい。今日は外に出ず、じっとしていた。
グロブスターは相変わらず海岸にいるんだろうか。波にさらわれていなくなっていればいいのに。
八月二十四日 雨
本格的に雨風が強くなった。大雨洪水警報も、暴風警報も出た。
窓の外を見ていたら、ふとグロブスターのことが頭をよぎった。
こっちをじぃっと見るたくさんの目。あれはもしかしたら「もっとたべたい」と言っていたのかもしれない。
あんなに大きいのにあれっぽっちでは足りなかったんだろう。
食べ物を持って行かなきゃ。
昼間だと止められてしまうけれど、夜中、お母さんが寝てからなら大丈夫だ。
***
「……なんだこれは」
来栖は小さく息を吐いて日記帳を閉じた。
「あれ、なんですかそれ」
賀村は来栖がテーブルに置いた日記帳を拾い上げる。
「見ての通り日記だ。ガイシャの、な」
この日記の持ち主──寺倉翔太が行方をくらませてから、今日で三日が経つ。事故事件の両面で捜査が進んでいるものの、台風の夜にいなくなったことから事故ではないかという意見の方がやや優勢だ。
「へぇ……読んでもいいですか?」
「構わない」
賀村は最後のページを探して目を通すと、首を傾げた。
「……来栖さん、このグロブスター? 流れ着いた肉塊の話知ってます?」
「いや、全く」
「……妄想癖でもあったのでしょうか、この子」
「この日記全般がただの創作の可能性はある。……だが、うーん」
「なんとなくわかりますよ。でもこれは……」
「証明のしようがない上に、証明したところで何にもならない」
来栖は重く溜息を吐く。
「……『これは寺倉翔太の妄想もしくは創作である』。それでいいな」
「まあそうですね……了解です」