わるものごろしのわるもの




 物語の国には、今日もわるものがいっぱいです。
 自分より美しい王女を殺すため。
 パーティーに招かれなかった腹いせに。
 国民が自分の法に従わなかったから。
 そんな理由でわるものが湧いては消え、湧いては消え。
 物語の国の王様は嘆きました。
 物語には、悪役がつきものです。最後にはいつだって、正義が勝つのです。
 ……だからといって、わるものがたくさんの人を不幸にすることに変わりはありません。
 王様は夏至祭の日に、優秀な魔法士たちを集めて言いました。

「わるものが発生する前に潰せる装置を作るべきだ」

 王様の言葉に、魔法士たちは答えました。

「ええ、その通りです。王様」
「私どもの力を結集し、その装置を作ってご覧に入れます」
「我々の命が尽きるまでに、必ず完成させましょう」

 王様は重々しく頷きました。

 その日から、魔法士たちの苦難の日々が始まりました。
 なんてったって、物語にわるものはつきものなのです。
 わるものを発生させないためにはどうしたらいい? ああでもない、こうでもない。
 そして魔法士たちは考えました。

「わるものが出てこない物語だけを紡げばいい!」
「そうすればみんな幸せになるはずだ!」
「必要なのは」
「わるものがいない世界を紡ぐ作家」
「優しい作家が国立図書館の全てを加筆修正すれば」
「わるものは発生しなくなるはず」
「嗚呼、でも」
「わるものがいない世界を紡ぐ作家がどこにもいない」
「どうしたものか」
「しっかりしろ」
「適切な作家が存在しないなら」
「造るしかない」

 魔法士たちは、幸福街から一人の赤ん坊を連れ去りました。
 両親に望まれて生まれ、愛されて育とうとしていた、齢一にも満たない赤ん坊です。
 赤ん坊は優しくて甘くて幸せなものだけを与えられて育ちました。わるもののことなど、これっぽっちも知りません。当然です、悪を知るから悪を描くのです。悪を知らせてはなりません。
 赤ん坊は少年になり、魔法士たちの言うままに、物語を紡ぐようになりました。
 彼が書くのは、幸せな物語ばかり。
 王子様とお姫様が互いに恋をして結ばれる話。
 善良な女王と善良な国民の話。
 世界に望まれた子供がすくすくと育つ話。
 それらはひどく退屈でしたが、とにかく優しく、幸せでした。
 そして。少年が齢十になった日に、魔法士たちは言いました。

「お前の役目は、国立図書館の書物を幸せ色に書き換えることだ」
「国立図書館の書物は、未来の可能性」
「あそこに納められた物語を辿るように、人々は生きるのだ」
「その物語全てが、平凡で、退屈で、幸せなものになれば」
「わるものの芽を全て摘んでしまえば」
「全ての人が平凡に、退屈に、幸せに生きられる」
「ほら、この鍵をお持ち」
「この鍵だけが、図書館の扉を開く」
「ほら、この剣をお持ち」
「この剣だけが、書物への『加筆修正』を可能にする」

 少年は目を瞬かせて、差し出されたそれら受け取りました。重量のある大きな鍵と、柄に紅の宝石が嵌め込まれたナイフでした。
 それをひと通り触ってから、少年は頷きました。

「わかりました、やってみます」

 少年は鍵で国立図書館の扉を開きます。
 薄暗い館内を、彼はたった一人で歩いて行きます。
 赤色のカーペットが敷かれた道は、ずっとずっと続いています。道の脇には胸像がずっと遠くまで並んでいます。
 少年は気まぐれに、胸像の顔をいくつか覗き込みました。
 まるで本物の人間を剥製にしてしまったかのような、非常に良くできた胸像です。ひとつひとつ、瞳の色も、鼻の高さも、唇の厚さもまったく違います。

「まさか、これって」

 少年は胸像をひとつひとつ見て回りました。

「これは、国王に似てる」
「これは、有名な女優さんに似てる」
「これは、魔法士Aに似てる」
「これは、……裏庭の猫?」
「これは」

 半日近い時間を掛けて、彼はついに発見します。

「これは……僕に似てる」

 ――それは、嗚呼。少年の顔貌を写した胸像。
 少年は、ほんの少し躊躇いながらその胸像に剣を向けました。まるですいかを切り分けるみたいに、頭にさっくりと、剣で刺しつらぬきました。
 刹那。
 胸像から血のような赤い液体が吹き出しました。
 少年は、突然のことにひどく驚き、目を見開きました。
 その右目に、一滴。赤い液体が迸ります。
 反射的に目を瞑った少年の脳裏に、走馬灯が流れました。これまでの人生と、これから選ぶ未来を事細かに指し示すような走馬灯を。
 まるで物語のように語られる、覚えてもいなかったこと。思い出したくもなかったこと。知りたくなかった未来。
 そんなものが、誰かの語りが、少年の頭の中にどっと流れ込みました。

「あ、あああッ、ああ――――――ッ!」

 叫びを上げて、少年はその場に蹲ってしまいます。
 蹲った彼は、朦朧とする意識の中で聴きました。

『嗚呼、可哀想に』
『物語に触れてしまったんだね』
『人それぞれの、未来の可能性』
『本来誰にも決められないはずのそれを、規定し、固定し、上演する、悪夢の書物』
『その力の欠片を』
『その目に入れてしまったのね』

 それは、冬の空気のように澄み渡った女の声。
 彼女の声は慈悲深く、少年を包み込みました。

『この胸像たちは、因果の塊』
『これこそ、人々が書物と呼ぶもの』

 ――嗚呼、そうか。
 ――これが書物。
 ――この胸像ひとつひとつが、誰かの『未来の可能性』。

 ぼやけ、二重にも三重にも重なる視界の中で、少年はうわごとのようにつぶやきました。
 
「書き換え、ないと」
「ねじ曲げないと」
「あれはわるもの」
「わるものを消し去るのが僕の仕事」
「かひつ、しゅうせいを」

 嗚呼、これこそが。
 これこそが、物語。
 物語からわるものを追放しろ。
 すでに実行を終えた物語は揺るがせないから。
 せめて現在から、未来から、わるものを切り離していく。
 誰かの語りの筋を切り、赤を入れ。
 物語という名の因果を引き寄せ、正す。
 そこには善も悪もない。そこにあるのは少年が『こうあるべき』と望んだ理想だけ。

 少年は、三日三晩かけて自らの顔をした書物を修正しました。
 修正を終え、赤い道を歩く姿は、三日前の少年とはまったくと言っていいほどの別人。黒く艶やかだった黒髪の色素は抜け落ちて灰色になり、赤い液体が飛び散った右目に至っては、液体とまったく同じ色に染まっておりました。
 ……そんな変わり果てた姿であっても、少年は割れんばかりの拍手喝采で迎えられます。

「嗚呼、我らが最高傑作が!ついにやったぞ!」
「我らの努力は無駄ではなかった!」
「これでもう、わるものなど存在しないも同然だ!」

 魔法士たちの歓喜の声を一身に受けた少年は、静かに言います。
 
「とある少年の未来を『加筆修正』しました」
「――これで、あと五分もすれば、わるものがいくつか消えるはずです」

 少年が一息つきつつそう言った瞬間、魔法士たちはより一層色めき立ちました。
 ――しかし、それも束の間。
 少年が示した「五分後」は、すぐにやってきます。

「おかしいぞ」
「体が動かない」
「指が……砂に……?」
「なぜだ、こんなのは聞いていない!」
「なにをしたんだ、お前は!」

 少年は、唇を笑みの形に歪めます。

「言ったでしょう、とある少年の書物を修正したと」
「その少年とは、僕だ」
「僕の書物を、修正した」

 彼の返答を聞いた魔法士は、震える声で問いました。

「それでどうしてこうなるんだ……?」
「お前の人生に、わるものなどいやしないだろう……!」

 少年は眉根を寄せました。

「はぁ?」
「俺はただ、俺の人生からわるものを追放しただけだっつーの」

「私たちが、わるものだと……?」
「なんだその口の利き方は!」
「私たちは、わるものをこの世から消滅させるために生きてきたのだぞ!」

「あー、うるせーうるせー」
「お前ら自分の行いを省みろよ」

 親元から赤ん坊を無理やり攫い。
 箱庭に閉じ込めて。
 都合のいいように育てて。
 世界の幸せのために生きろと命じる。

「お前らみんな、わるもの以外の何者でもねーんだわバァ――――――カ!」

 子供ぶるのをやめた声は、魔法士たちには届きませんでした。魔法士たちは真紅の砂になり、さらさらと風にさらわれて消えてしまいます。

「やっと自由の身か」
「……まあ、でも」
「悪夢殺しも悪くねぇ」

 少年はニィと歯を見せて笑い、国立図書館の書物の海へ潜りました。

「今現在『開幕している』物語は……」
「デウス・エクス・マキナにするしかないか。わるものはみんな消してしまおう」
「開幕前の物語は?」
「平凡に、退屈に、幸せに」
「嗚呼、わるものが消えていく」
「わるものとなり得た存在が消えていく」
「なんて――」
「なんて、幸せな世界!」

 少年は、寝食を忘れて書物の『加筆修正』に取り組みました。
 この国の人間みんなの書物を――因果を、修正しなければならないのです。

「さあ、今日も張り切っていこう!」

 そうして、ひと月ほどが経った頃。
 物語の国に、人々の声はありませんでした。
 デウス・エクス・マキナを繰り返した結果。『わるもの』の芽を持つ存在みんなが、砂へと変わっていったのです。
 少年は笑いました。

「愚かだねぇ、愚かだねぇ!」
「莫迦莫迦しくて、仕方がないねぇ!」

 少年が見渡すのは、赤い砂漠と化した街。
 わるもののいない、清浄な国。
 誰もいない、ゴーストタウン。
 あら?
 あらあらあら?
 まるで少年の方がわるもののようではないですか。一国を滅ぼした、魔王のようではないですか。
 幸せを約束する作家だったはずの少年は。
 魔王のような少年は。
 ひどく嬉しそうに、楽しそうに、叫びました。

「わるものの芽をもたない存在なんて、何ひとついないっていうのにねぇ!」

 ――自分も含めて、この世はわるものばっかりだ。
 ――善良な存在なんてひとつもいない。
 ――それならみんな消えてしまえ。
 ――この目で、この剣で、消してしまえ!

 少年の哄笑だけが、物語の国に響き渡りました。
 その声を目印に、『彼女』は少年へ声を掛けます。

「貴方が『因果の少年』ね?」

 それは確かに、あの図書館の中で少年が聴いた声でした。
 振り返れば、地面に引きずるほど裾の長いドレスを身に纏った美女が立っています。
 銀の糸で細かく刺繍をされた白いドレスの裾を摘まんで、彼女は少年にあいさつしました。

「こんにちは。私、×××××と申します」

 弓のように細められた目は、銀糸に負けぬほど美しい睫毛で彩られています。
 瞼の奥から覗く瞳は血のように紅く煌めいていました。
 少年は「今なんて言った?」と訊き返しますが、彼女は二度と、自身の名を言うことはありませんでした。

「その赤い色を宿した瞳、私は大変気に入りました」
「白銀の城へおいでなさい。みんなあなたを待っていますよ」

 彼女がそう言った刹那、突如あたりが輝きだして、銀色の馬車が姿を現しました。
 四頭立ての豪奢な馬車で、いたるところに銀色の装飾がされています。
 特に車輪には、繊細な茨が彫り込まれていて、その美しさといったら目を見張るほどでした。

「さあ、乗りなさい。赤い瞳を持つ我が子」

 少年は、頭の中でぼんやりと思い出していました。

 ――×××・××××××は、赤い砂漠を棄てて白銀の大地へと旅立ちました。

 自らの書物を『加筆修正』したときに書いた一文。
 少年はその先の物語を思い返しながら、頷いた。
 その様子を見て、白銀色の女性は笑いました。

「貴方の紡ぐ物語は、いかに因果を歪めるのでしょう」
「……楽しみにしていますよ、ストーリーテラー」

 二人の乗り込んだ馬車は、春の丘をこえ、夏の森をこえ、秋の平原をこえ。
 冬に閉ざされた白銀の城へたどり着きました。
 少年は白銀のフロックコートに身を包み、促されるままに円卓につきます。
 因果を綴る少年は、白銀の城の円卓の騎士となり、彼女ーー人呼んで「白銀の女王」に永劫仕えましたとさ。
 めでたし、めでたし。


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