「ゆくら、あんたさぁ…いつになったら付き合うわけっ?」


鮑三娘のかわいらしい声が飲み屋の壁に反射する。その反動でか、ビールの泡が弾けた。


「…つ、つきあう…」


「そう!どーかんがえても付き合ってないのマジおかしいと思うんですけど!」



持っているジョッキをだん、とテーブルに置くと、鮑三娘はずいっと身を乗り出し、ゆくらに告げる。


「あんたと徐庶殿っイイカンジじゃーん!」











仕事終わりの人々が集う、駅近くの居酒屋。蜀軍で親しくしている鮑三娘、関銀屏、星彩の三人とゆくらは、空腹と喉の渇きを満たしつつ、いわゆるガールズトークを繰り広げていた。



「え、え、もしかして…ゆくらって徐庶殿が好きなの…っ?」

「銀屏、相変わらず鈍い」




徐庶殿が好き。
関銀屏が放ったその言葉に気持ちを再確認させられて、ゆくらの頬は少し熱を帯びた。何回経験しても、好き、という気持ちはどうして身を固くするのだろう。




「だってぇ、ゆくらってば徐庶殿と話すときちょっと緊張してるっていうかぁ…わたし緊張してませんからー!みたいな?普段より大人しくなるもんね!」


「!そんなわかりやすいの!?もしかして星彩も見ててわかった…?」


「いつものゆくららしくない態度なのは見て取れた。でも、徐庶殿はおろか…皆が気づいてるとは思えない」


「現に私も気付かなかったもの!」


それはぎんぺーがニブいだけだっての、と鮑三娘が突っ込みをいれ、星彩がくすり、と笑う。仲の良い女友達には自分の気持ちが知られてしまったが、もとより今日打ち明け、相談するつもりだったゆくらは、ぽつりぽつり、と言葉を紡いだ。


「えっ…と、そうなんだ。みんなが言う通り、たぶん、わたし…徐庶さんのこと、好きなんだと思う…。っていうか!もう!好き!最初は優しい先輩だなって思ってたけど…なんか…気づいたら目で追ってるっていうか…」


友人たちがゆくらの声に耳を傾け、興味深そうに相槌をうつ。その目は爛々と輝き、言葉の続きを待ち望むかのようだ。



「意識しちゃうとね、やっぱ態度にでちゃうよね…!人間だし!隠してたつもりなんだけどね!でもわたし、仕事の時の徐庶さんしか知らないし…。彼女の有無すらわからないから、なんていうか…」



いつとの快活な様子とは違い、口ごもるゆくらを見て、はしゃぐ鮑三娘と関銀屏。そして穏やかに微笑む星彩。友人の恋の話というのは、いつの時代もこう盛り上がるものなのだろう。


「確か、徐庶殿は特定の相手はいなかったはず…。先日も馬岱殿にからかわられていた」


「あ、私もそのときのこと、見てたかも!馬岱殿が『徐庶殿、独り身って辛いよねぇ、わかるよぉ』って言ってて、徐庶殿が苦笑してたの!」



「ってことは!ゆくら!今がチャンスじゃん!?イケイケドンドンってやつ!はやくしないと他の女にとられちゃうんだから!」



鮑三娘の盛り上がりから見て、自分を応援する以外に面白さからの発言でもあるのだとゆくらは思った。しかし、背中を押してくれていることには変わりない。



「そう…かなあ。でも、振られちゃったら…どうしよ。会社で顔合わせづらくなっちゃう」


「だーいじょーぶだって!あたしが思うに、徐庶殿はぜーったいゆくらのこと気になってるから!だって、ゆくらと話してるときの顔、超笑顔だもん!」


「確かに、笑顔ばかり目に入る。案外徐庶殿もゆくらと同じ気持ちかもしれない」


「うんうん、徐庶殿いいひとだし、悪いようにはしないと思うな、私!ゆくらが想いを伝えたら、きっと喜んでくれると思う!」



三人の視線はゆくらに注がれるままだ。自分が欲しかった言葉を次々と言われ、ゆくらも何だか気持ちが強くなった。確かに、徐庶は優しく穏やかで、社内の女性人気も高い。だからこそ自信を持てるはずもなく、足踏みしている。恋愛はタイミングだ。そう言っていたのは先日不意に映したテレビドラマだっただろうか。その言葉も、あながち嘘ではないのかも、そう考えると、少し、正直に動ける気がした。


「そっか…。うん、わたし、徐庶さんをご飯に誘ってみる!なんか勇気出た!!今なら何でもできそうだよ…!みんなありがとう!早速連絡してみる!」


そういうと、ゆくらはスマートフォンを手に取り、緊張した面持ちで画面を操作しはじめた。この間も友人たちはわくわくとして、経過を見守る。






『徐庶さん、突然のご連絡すみません。ゆくらです。どこかの金曜日、仕事終わりにご飯にいきませんか?お返事待ってます。』






光る画面に映し出される文字。ゆくらは深呼吸して、送信ボタンを押した。



「…送っちゃった…!!!」



その声と同時に友人たちも声を上げる。


「ゆくら、頑張ったね!」

「あとは返事を待つのみ。楽しみね」

「もぉーっ飲まずにいられないんで!飲も飲も!ゆくら、かんぱーいっ!」




勢いのままにゆくらは数杯目の酒を流し込んだ。こういう時の酒は本当に心強い。大人でよかった、そう思うゆくらであった。





その後も女子特有の会話は続き、鮑三娘が『関索の超カッコイイ仕草』についてきゃあきゃあと語り尽くしている。そのとき、ゆくらの手元から、ガタガタと固いもの同士のぶつかる音がした。


「も、もしかして…!ゆくら!誰からきたの!?」


「…じょ、徐庶さんから返事が…!!」


「わ!わ!なんて!?」


「ゆくら、早く」



急かされ、すこし震える指と画面が触れる。



「なになに…?『連絡ありがとう。ゆくらから誘いが来るとは、驚いたよ。金曜日なら丁度明日が空いているけれど、そっちはどうだろう。連絡、待ってるよ』…!これ!やばーい!キテるって!!」


「それでゆくら、明日は勿論空いているのよね」


「むしろ、空けるよね!?」


三人の目が輝いている。ああ、心臓がとてもうるさい。ゆくらは静かに頷き、緊張しながら親指を動かした。












翌日。
ゆうべの酒が少し残っている気がするが、それよりも、全身が脈打つ感覚が勝っている。退勤後のことを想像している自分の顔はどうだろうか。赤いのか、それとも強張っているのだろうか。昨日は入念にマッサージをしたし、パックもして、浴槽の中で何回もシミュレートした。そのせいでいつもより睡眠時間が削れたが、早く目が覚めた。昼休みには、友人たちにエールを送られ、それ以外ではなるべく普段通りに仕事をすることに意識を集中した。
そして、定時。






「…ゆくら、お疲れ様。えぇと…何時に出られそうかい?」



ディスプレイに集中していたゆくらの背中越しに、心地良い声が聴こえた。その瞬間、遠いところにあった意識が呼び戻された。



「!!あ、も、もうこんな時間ですか!すみません、徐庶さん、すぐでますね!あ、でも…少し支度しますので…ロビーで、待っててもらえますか…?」


「わかった。急がなくていいから…待ってるよ」


そう言って徐庶は部屋を出た。顔がうまく向けられなかった。無意識に全身の筋肉が強張るが、なんとか声を絞り終えたゆくらは、開きかけのファイルも閉じずにいそいそと席を立った。周りの席の友人たちが、目配せした。その向こうに一部、どよめいたような空気を感じた。急いで支度しなければ。トイレにて化粧を直し、軽く頬を叩いて深呼吸すると、ゆくらはすぐにロビーへと向かった。





「徐庶さん…遅くなってすみません…!お待たせしました」

「…ゆくら。急かしてしまったかな。…行こうか」


二人で並んで歩く。それはゆくらにとっても、勿論徐庶にとっても初めてのことで、なんだかお互いぎこちなくなる。ちらりと横目で徐庶を見やると、好きな人が隣にいることを再確認して、ますます緊張感が押し寄せる。この人こんなに背高かったっけ。不自然にならないよう気をつけなければ。会社を出て店に向かう二人の後ろ姿を、複数人の視線が追っていた。










「はー、お腹いっぱい!おいしいですね、ここのご飯」


「あぁ…時々孔明たちと来るんだ。口にあったようで良かったよ」


なんとか平常心を保ちながら食事を進めたゆくらは、気づけばいつもよりハイペースで酒を飲んでいた。ご飯が美味しいとお酒が進むよねぇ、と内心ごちたが、恐らくはまたもその力を借りようとしていることに自分も気づいていた。その自覚をもったとき、一気に酔いが回ってきた。もう少し、勇気を。追加の酒を頼むと、徐庶が口を開いた。



「しかし…驚いたよ。ゆくらが俺を誘ってくれるなんて。どういう風の吹き回しだい?」


「あ、えっと………。そ、そろそろ出ませんか?公園にでもいきましょう!」



まだ、言えない。質問に答えてもらえなかった徐庶は、少し戸惑いつつも、残りの酒に口をつけた。ゆくらもそれと同時に、運ばれてきた度数の高いものを流し込んだ。









「…ゆくら、大丈夫かい?顔が赤く…「だいじょうぶ、です!ちょっとだけ、酔っちゃった、だけなのでっ」


店を出て、少し先にある閑静な公園。二人は夜風にあたりながら、歩みを進める。ぬるい風が吹いている。一向に酔いは醒めず、ゆくらはふらふらと、ベンチの方へ歩き出す。




「ゆくら、危ないよ。ほら、手を」



手元がひやりとした。無骨ながらも、長い指先。徐庶の手だ。数秒遅れで手が握られていることに気づくも、アルコールで煮たった頭は告白をしなければ、という思いで支配され、うまく動かない。それは徐庶も同じで、普段よりも摂取した酒のおかげか、自然と手を伸ばしていた。



「ぁ…、すみません。…そこっ…、座ってもいいですか…?」



はやく、はやく言葉にして楽になってしまいたい。ゆくらの胸はいよいよ鳴り止まない。しかしながら、言葉を忘れてしまったかのように、紡ぎ方がわからなくなった。ずっと手が握られているからなのか。
ゆくらの思案する横顔を見る徐庶は、なかなか口を開かない彼女を見つめる。









「えぇと…ゆくら。…さっきの答え、聞かせてくれないか」



「…さっき、の?」



「あぁ。…なぜ、俺を誘ってくれたのか」




視線が、ぶつかる。熱を帯びた徐庶の視線。わたしはいま、どんな顔をしているのだろう。




「………すき、だからです。」





消え入りそうな声。やっと紡げた言葉。前を向けない。



「徐庶さんのこと、好きなんです、でも…。…どうすればいいか、わからなくて…。…わたし、どうしたらいいですか…?」



言葉にしたら楽になるなんて嘘だ。恥ずかしさと、緊張感と、なにより再確認した気持ちでますます見動きかとれなくなる。頬がどんどん熱くなって、胸が詰まる。繋がれたままの手が、汗ばんでいく。





「…どうすればいいかわからないなら、俺と付き合うのは…どうかな」







ふわり、と男の人の匂いがした。気づくと視界が暗い。そして、耳触りの良い声が落ちてきた。





「すまない、ゆくら…。本当は俺から言うべきことだったのに…ゆくらの口から聞けることが、嬉しくて」








「こんな俺でよかったら、一緒にいて欲しい」







顔を上げると、いつにも増して穏やかな徐庶。ああ、これからもこの人をどんどん好きになっていくんだろう。心臓は未だうるさく、ぬるい風は、二人の体温を下げることはなかった。















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