「ユクラ、ここに連れてこられた意味は解るな」
「…はい…重々承知してます…」
ベッドの上に腰掛け、腕を組んで見上げられると、勝手に姿勢が正される。何だか職員室で怒られてる時を思い出すな、と思いつつ、なぜこんな事になってしまったかを思い返してみる。
先程までロクロウと食堂で心水を飲んでお互いにベロベロになっていたのがそもそもいけなかったのだ。アイゼンはおらず、酔っぱらい二人で楽しんでいて、何かの弾みでグラスを割った。そのグラスは充分すぎるほど見覚えがあって、いつもそれでアイゼンが心水を飲んでいたなぁ、となぜか冷静に考えていたと思う。そしてそのグラスは高かったとか、限定生産の物だとか、何だかとにかく希少性があって値が張り、なによりお気に入りのものだと何回か聞いていたのも思い出したのを覚えている。
慌ててロクロウに知らせるも、あいつと言ったら床で意識を飛ばしていて使い物にならず、酔っ払った頭で知恵を振り絞った結果、何も出てこなかったので一旦現実から逃げようと机に突っ伏して目を閉じた。
心地よく眠りに入ろうとしたその時、妙に笑顔なアイゼンが叩き起こしてきて、見ていたぞ、と囁いた。一気に素面に戻ったわたしは、部屋に連行されて今このようにガタガタ震えている。
「あのグラスはもう二度と手に入らないというのは知ってるな」
「うぅ…はい…。知ってます…」
「何ガルドしたか…。5万だったか、10万だったか…」
「そ、そんなにするんですか…!」
「そうだ。気に入っていたんだがな…。もうあのグラスは使えまい」
「本当にごめんなさい…!許してくださいぃ…」
このまま雷が落ちてくるのか、それとももっと酷いことになるのか。戦闘の時の、死のうが殺す、というフレーズが降ってきたらどうしよう。俯いて怯えていると、アイゼンの低い声が部屋に響いた。
「ごめんで済むなら…」
「聖寮はいらないですよねー…」
「解ってるじゃねえか。じゃあどうすればいいかも解るな?」
「…な、何でもしますから…どうかお許しを…!」
「…言ったな」
にやりと笑った気がした。アイゼン相手に何でもやりますなんて、言い過ぎたかもしれない。でもこの状況では言わざるを得ない。
「朝の甲板掃除一週間」
「…へっ?」
予想外の言葉に間の抜けた声で聞き返した。もっと恐ろしい言葉が来ると構えていたのに、少し拍子抜けだ。
「聞こえなかったか?」
「き、聞こえたよ!…それだけでいいの?」
訝しんで問いかけると、ふ、と笑ってアイゼンは一言。
「それだけとは言ってないが」
やっぱり。少しがっかりしていると、手首を掴まれた。そしてその瞬間、反転。
「ひゃっ…!?あ、アイゼンっ…!?」
背中に当たるのはどう考えてもベッドで、目に映るのはいつもの綺麗な顔と、それ越しの天井。押し倒されたことは、すぐに理解できた。
「もう一つ、条件がある」
顔が近い。そんなにじっと見つめられると、頬がどんどん熱くなってしまう。
「ナ、ナンデスカ」
「俺が居ないところであんなに酔っ払うな」
「…………えっ」
「特にロクロウ、男の前では」
「え、………えっ?」
言葉の意味は解った。解ったが。心臓が跳ね上がり、顔から火が出そうだ。絶対この反応をアイゼンは面白がっていると思うが、そろそろ頭から煙が出そうだった。
「解ったか?解らないなら…解らせてやろう」
にやりと笑ったアイゼンの顔が、更に距離を詰めてくる。恥ずかしさに耐えられなくて、ぎゅ、と目を瞑る。唇に気配がして、このまま触れてしまうのか、そう思うと、心臓の音以外何も聞こえなくなった。そしてそのまま数秒ののち、そろそろ心拍の限界のとき、予想外の部分の衝撃。
「…いたっ!?」
「こういうことだ」
驚いて目を開けると、満足げに笑うアイゼン。額がじんじんする。キスされると思って身を固くしていたのに、まさか、そんな。
「明日から早起きして掃除するの、忘れるなよ」
そう言ってアイゼンがベッドから降り、部屋を出て行こうとしているのが見えた。しかし、わたしの身体は固まったままだ。
「…ユクラ」
ドアを開ける直前に、アイゼンがこちらを見やり、告げた。
「これからはもう少し軽く目を瞑るんだな」
「…!!」
一人残され、恥ずかしさと緊張が体を巡る。起こったことを思い返して、再び熱を上げた。絶対に明日の甲板掃除は寝不足のままやることになるんだろう。
もう少し落ち着いてから自室に戻らねば。今は額に手を当てて、ひたすら心臓が収まるのを待つことしか出来ない。もう二度とグラスを割らないようにしよう、そう誓ったのであった。
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