「みなさん!!夏本番ですよ!!」
「何よ突然」
「遂に暑さで頭やられたのかえ?」
「違います!見てください、これ!」
夕暮れが辺りを包み始めたが、未だ蝉の声が鳴り止まない季節。帰宅したエレノアは、リビングに入るなり声を張り上げた。手には一枚のチラシを持っている。
「…花火大会?」
「今年もそんな季節かー」
「はい、みんなで行きましょう!」
「去年はみんな行けなかったもんね」
チラシを見る限り、この家から比較的近い場所で開催されるようだ。なかなかの規模の花火大会。去年花火自体を見られなかったことを思い出し、ユクラは前のめりになった。
「来週なんだね!いいな、行きたいな〜」
「来週末なら空いてるわね」
麦茶を注ぎながら、ベルベットは何気なしに答えた。これは行くという意思表示なのだろう。それに続き、マギルゥも勿体ぶりながら同意する。
「花火といえば浴衣だろう。行くなら着るぞ」
「お、いいな!浴衣で花火見ながら一杯…。たまらんなあ」
夏祭りといえば浴衣。確かに、それを着て花火を見ながら酒を楽しむのは夏の一大イベントと言える。ましてや皆とそれができるというのは楽しいに違いない。
「ライフィセット、あんた浴衣は?」
「持ってないよ」
「買うか借りるか、とにかく見に行きましょう!」
善は急げと言わんばかりに、エレノアはにこにこしながら立ち上がった。浴衣なんて何年ぶりだろうか。ユクラは心躍らせながら、出かける支度を始めた。
待ちに待った花火大会当日。浴衣を着付け、ヘアセットも済ませた。周りを見渡すと、それぞれが違う色の布が揺れて、とても鮮やかだ。準備が早く済んだ男性陣は、先に楽しんでいるらしい。人の波を掻い潜りながら、待ち合わせ場所へと向かった。がやがやとしたなか、皆とはぐれないよう気を配る。そこかしこから色々な音や匂いがして、非日常の感覚がする。
「アイゼンたち、もう居るみたいですよ」
「こうも人が多いと探すのも面倒くさいわね」
「目立った方がいいじゃろ〜。ベルベット、鳩の鳴き真似頼…」
「やらないわよ」
「…あ、いた」
大勢の人たちの中で一際目立つ彼らがいた。近くを行き交う女子達がちらちらと見ているのが解る。それもそのはず、浴衣を着ている彼らはいつもより格好良く見える。これが浴衣マジックなのか。普段一緒に暮らしているけれど、やっぱり彼らは俗に言うイケメンの集いなのだと実感する。
「遅かったな」
「わぁ、みんな浴衣似合ってるね!」
「応!これぞ夏!って感じだな!」
近づいてみると尚更、その見目の良さに目を奪われた。見慣れている顔のはずなのに、なんだか緊張してしまう。
「浴衣だとやっぱり雰囲気変わるわね」
「ライフィセットは甚平なんですね!」
「浴衣じゃとまるで女子じゃからのう」
マギルゥはからかうと、そのまま出店の方向に歩き始めた。
「儂はりんご飴が食べたいのう〜、アイゼン」
「自分で買え」
マギルゥとアイゼンを先頭に、一行はゆっくりと周りを見渡しながら練り歩く。先を行くベルベットとエレノアとライフィセットは、甚平の話やら、どの出店に並ぶかやら、楽しそうに会話をしている。そして横には、やはり見慣れない姿のロクロウがいる。
「しっかし凄い人の数だな〜」
「そうだね、はぐれたら大変だねぇ」
祭囃子が辺りを包んでいる。ちらりとロクロウを見るも、どきりとしてしまうので直ぐに前を見直す。浴衣の色気は反則だと思う。髪、崩れていないだろうか。いつもより気合を入れてメイクをしたけれど、似合っているかな。そんな考えが頭をぐるぐる回る。景色は流れるばかりで、只の絵のようだった。呼びかける声に気づいて、慌てて振り返る。
「どうした?さっきからぼーっとしてるが」
「えっ!あ、なんでもないよ…!お祭りいいなぁと思って」
「そうだな、雰囲気がいいよなぁ。…ユクラ、何か買わなくていいのか?」
「じゃあー…ビールとあんず飴買おうかな!」
各々が好きなものを買って、高台へと歩いてゆく。マギルゥがヨーヨーを手に持ち上機嫌に歩いている。横にいるベルベットに当てる遊びをして、怒られているのが見えた。ライフィセットはロクロウとアイゼンと、金魚すくいで争うか否かを話し合っている。隣で歩くエレノアは、嬉しそうだ。
「お祭り、ほんと楽しい〜!教えてくれてありがと、エレノア」
「いいえ。来年もまたこうやってみんなで来られたらいいですね」
「そうだね、これからも皆で沢山楽しいことしたいなぁ」
「夏の終わりには自分たちで花火もしたいですね!その次はお月見です!」
「ハロウィンも、クリスマスもあるもんね。楽しみだなーっ」
これから皆で過ごす時間に思いを馳せていると、ライフィセットがこちらに呼びかけていた。花火の場所取りが出来たので、始まるまで食べて飲んで待つそうだ。人を避けながら皆の元へと歩くと、少し蒸し暑い空気が首元を掠めた。
周りを見回すと、先刻よりも人の数が増えたように思えた。やってしまった、とユクラは項垂れていた。酒が無くなったので高台から下りて買いに来たものの、見事に人波に流され、迷ってしまった。しかも、一人で大丈夫だから、と言って歩き始めたものの、スマートフォンの電池が切れてしまっていたことに気が付いたのは生憎この状態になってからだ。コップを持つ手が冷たくて気持ちが良い。どうするか考えながら、ハイボールを口に流し込んだ。きりりと冷えたそれは、舌の上で踊るように弾けている。
ひとまず来た道らしきところに戻ってみよう、いつかは辿り着くだろう。そう思いながら、ひとりキョロキョロとしながら歩き出したユクラ。近くの男と目が合ったと思ったら、こちらへ近づいてくる。
「お、迷子?誰と来たの?」
「良かったら案内しよっか〜?」
夏祭りだからか浮かれたような男性二人組が話し掛けてきた。もうすぐ花火が打ち上がる時間になってしまう。ユクラは困った顔で口籠った。
「ええっと…高台のほうで友達みんな待ってるんで…」
「あっちか〜!人多くて戻れなくね?俺達とこのまま飲んで待ってるのどう?」
「なんなら花火見てから飲みに行こうよ〜」
いなして立ち去るにも周りには大勢の人がいる。無理矢理突破していこうか…、覚悟を決めて歩き出そうとした瞬間、意外な方向から手首を引っ張られ、振り向いた。
「悪いが先客がいるんでな。他当たってくれ」
見上げた先には冷めた目があった。突然現れた存在に、話しかけてきた男達はたじろいでいる。
「なんだよ、男連れかよ」
「先に言えよな…いこーぜ」
舌打ちをしながら去っていく後ろ姿を見送っていると、持っていたカップを取られた。
「ユクラ、やっと見つけたぞ〜。探すの大変だったんだからな」
ユクラが持っていたハイボールを一口飲んで、ロクロウは息をついた。
「ごめん…っ!充電切れちゃって…。ありがとう、助かったよ」
「そんな姿で一人でうろうろしたら危ないだろ。戻るぞ」
「う、うん」
ほら、と手を差し出された。どきっとして固まると、はぐれるといけないからな、とふわりと微笑まれ、顔が熱くなる。俯いて手を取ると、そのまま人波へと飛び込んでいった。
まもなく花火大会が始まります。頭上でぐわんぐわんと鳴り響く聞き取りづらいアナウンスは、確かにそう言っていた。皆の元に戻るまで、まだ距離がある。高台へと続く階段の麓で、ロクロウは立ち止まった。
「ここから戻るまで時間掛かりそうだな」
ずらりと並ぶ人の数。皆目指す場所は一緒なんだろう。階段を登るにも、とてもゆっくりに動いている列を見ると、げんなりしてしまう。
「うう…ごめんね」
「気にするな〜。…こっち、行ってみるか」
階段へとは向かわず、違う方向に歩き出すロクロウ。どこにいくんだろうと不思議そうな顔をしていると、ロクロウは楽しそうに口を開いた。
「高台ほど混んでない穴場があるんだ。二人で見ることになるが…いいか?」
二人で、花火を見る。その言葉に、握ったままの手のひらがじんとした。うん、とだけ返事をして、ユクラは歩みを進めた。ロクロウの浴衣姿をふと見つめていると、自分の中で不鮮明だった気持ちが鮮やかになっていくのがわかった。
(…ロクロウのこと、好きなのかもしれない)
頭の中で二文字が浮かんだが最後、途轍もない早さで意識が切り替わった。ああ、わたしはこの人のことが好きなんだ。そう思うと、息が詰まった。脈が上がっているのは、アルコールのせいだけではないんだろう。掌が熱い。
「ユクラ、こっちだ」
歩幅を気にして時々こちらの様子を伺ってくれるのも、ずっと握ったままの手が緩められることはないのも、この状況ではただユクラの心臓が高鳴る要因でしかない。なるべく平静を装って、ユクラは上手く会話をしながら、目的地へと急いだ。
「わ…!ここ、ほんと穴場だね!」
「応っ!良かったな、空いてて」
出店の奥の奥にある階段を登り、舗装されきっていない道をゆき、木々を抜けると、視界がひらけた。丁度花火も見える位置だが、下からは木に囲まれていて解りにくい。人もまばらで、快適に見られそうだ。
「そろそろ始まるかな。花火、楽しみだなぁ」
「あぁ、今年もきっと綺麗だぞ」
草の上に並んで腰掛けると、花火への純粋な期待と、二人でその花火を見るシチュエーションへの期待が、一気に襲ってくる。いつもならなんてこと無い沈黙が、余計に胸を高鳴らせた。はやく掻き消してくれ、そう思っていると、空気を揺らす音が花開く。
「わぁ…!」
「おー…でかいな!」
闇の中で光り輝く色が降り注いでいる。劈くような音が鼓膜を揺らし、火薬の匂いが鼻を掠めた。目線が外れることはない。いつみても花火は美しい。ユクラは満たされる気持ちで、空を見上げていた。
「二人で見るのも、いいもんだなぁ」
確かに、そう聞こえた。花火の音が邪魔をしてはっきりとはしていなかったが。邪な期待をしてしまう思考回路を抑えつつ、花火を見上げるロクロウの横顔をつい見つめてしまう。
「綺麗だ」
そう呟いたのを聞いたとき、無造作に草の上に置かれた手が、体温に触れる。時が止まったような気がした。重ねられた手は思ったよりひんやりとしていて、何かを言いたくても、何を言えばいいかわからなかった。そして、こちらに振り向いたロクロウは、慈しむような顔で微笑んでいる。
「花火、見られて良かったな」
「…う、ん」
花開く音が木霊している。赤や青、紫。さまざまな色が映りこむ瞳から、視線が外せない。心臓が爆発しそうだ。熱っぽく見つめている自分は、今どんな顔をしているのだろう。
「見なくていいのか?花火」
「!み、見るっ!」
慌てて空を見上げると、金色の雨がきらきらと輝いている。感嘆の声を思わず漏らすと、重なっていた手がするりと動き、指が絡まった。きゅう、と握られ、心臓が跳びはねた。二人だけの景色は、目まぐるしく色を変えている。掌の熱を感じながら、ひたすらに光を見つめていた。胸の奥に広がる火花のような気持ちが収まる気配は、一向に現れることはなかった。
「…ロクロウ」
「なんだ?」
どん、と響く音に掻き消されそうな声で、ユクラは呟いた。
「あの、…浴衣、似合ってるね」
「…ユクラも、似合ってるぞ」
どきどきとしながらロクロウを見上げると、目が合った。鮮やかな光に照らされた二人は、笑い合ってまた、強く手を握り合っていた。
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