「よし、できた!」



全部で六個、丁寧に置いて見回す。色とりどりのラッピングが、ひんやりとした中で存在感を出している。我ながら良く出来たと一息ついて扉を閉めてソファに腰掛けると、テレビを眺めた。世はバレンタインデーで盛り上がっていて、それはこのシェアハウスも例外でない。イベント好きなエレノアと、いつでもお祭り騒ぎなマギルゥ。そして興味無さげに振る舞うベルベット。各々がきっと今日のために何かしら準備しているんだろう。味見用に残したいくつかを頬張り、その甘さに体を蕩けさせていると、後片付けをしなければならないことを忘れたくなる。トリュフ、ガトーショコラ、クッキー。久し振りにお菓子作りに勤しんだかもしれない。
ぼんやりと皆の反応を予想してみる。ふ、とロクロウに渡す場面が頭を過ぎって、無駄にどきん、と胸が高鳴った。


(喜んでくれるだろうな、きっと)


ロクロウのことだ。いつも通りの満面の笑みですぐに食べてくれるはず。ほんのりと抱く好意が伝わって欲しいような、欲しくないような、浮ついた気持ちのまま、ユクラはキッチンへと歩みを進めた。









「ただいま」


「おかえり!…あ!それ、もしかして」


学校から帰ってきたライフィセットに目を向けると、なにやら手提げ袋が膨らんでいる。ユクラは少しからかうような笑みでライフィセットににじりよると、それ、と指差した。


「モテるねぇーライフィセット!いくつ貰ったの?」


「え、わ、わかんないよ…!」


顔を赤らめて恥ずかしそうにしているライフィセットは、荷物を置くと冷蔵庫へと向かった。


「あ、ごめん牛乳切らしちゃったから後で買ってくるね」


「うん、じゃあ他の…あ!これって、ユクラが作ったの?」


「そうそう、ちょっと待ってね。…はいこれ、ライフィセットに!」


白いリボンでラッピングされたものを手渡すと、ライフィセットは、わぁ、と目を輝かせた。


「ありがとう!すごい、これ全部作ったの?」


「そだよ、頑張ったよー!そうだ、ライフィセットが貰ってきたやつも冷蔵庫いれたら?」


「うん、そうするね。ユクラ、これ食べていい?」


「もちろん!」


ソファで並んで座り、ガトーショコラを齧っておいしい!と笑うライフィセットを見て、ユクラも釣られて笑顔になる。やはり自分が作ったものを喜んでもらえるのは、とても嬉しい。


「でもライフィセット、一番楽しみなのはベルベットのチョコでしょー?」


「え!な、なんで!?」


「顔真っ赤じゃん、ういやつういやつ」


もう、やめてよ、と困り顔で頬を赤らめるライフィセットをからかっていると、ベルベットとエレノアの話し声が玄関から聞こえてきた。紙袋を持っている二人に赤とピンク、それぞれのリボンが結ばれた袋を手渡すと、それぞれの反応が返ってきて、それにまた笑顔になるユクラ。



「本当は手作りしたかったんですけど時間が取れなくて…。ユクラ、ライフィセット、これどうぞ」


「わ、可愛い!ありがとー!」


「…あたしも買ったわよ、ほら」


エレノアが差し出した箱をみて歓喜の声をあげたユクラとライフィセットに、ベルベットがずいっと同じような大きさの箱を押し付けた。


「ふふ、ベルベットったら色々試食して皆が好きそうな味をそれぞれ選んだんですよ」


「余計なことは言わなくていいから」


気恥ずかしそうにしているベルベットは紙袋をテーブルに置くと、バイトがあるからと家を出ていき、ライフィセットとエレノアは紅茶を淹れてチョコレートの味を楽しんでいる。ユクラは何となく、緊張していた。いつものようにやりとりをするだけなのに、意識してしまうとこんなにも違うものか。ふう、と息をついて、コーヒーを飲み干した。








とっぷりと夕闇が辺りを包む頃、玄関で物音がした。リビングにはユクラひとり。テレビの音が妙に耳に刺さった。



「一人で食べきるには多いな」


「互いにな」


リビングの外から二人の話し声が聞こえた。ロクロウとアイゼンだ。



「おかえり。…それ、チョコ?」



二人共そこそこな荷物を持っている。これはどう見てもそうなんだろう。豪華な箱に入ってるものから、手作りのものまで、色々な形が見える。



「あぁ…。中々の量だ」


「いつまでも酒のツマミに出来そうだよなぁ」


ユクラは二人が持っているチョコの量を見て、やはりモテるんだなとしみじみ感じていた。普段一緒に暮らしていると麻痺してくるのだろう。アイゼンはバーの客にもらったものだろうか。ロクロウは…、そう考えると、ユクラの胸はチクリと痛んだ。ロクロウだって勿論女友達は沢山居るんだろうが、自分は彼の交友関係なんて知る訳もない。自分の知らないところでロクロウが女の子と楽しそうに話しているなんて当然で、そんなことを想像することがそもそも変だ。なのに、それを考えて勝手に胸をひんやりとさせているなんて、なんだか恥ずかしさと嫉妬心と悲しさと、沢山の感情が入り混じって訳がわからなくなる。
なんとなく肩を落としていると、扉を開く音に、はっとさせられた。アイゼンが電話のために部屋を出たようだった。



「…食べるの大変だね、それ」


「だな。…まぁ数日はかかるな」


「…本命も、あるんじゃない?」


横で荷物を取り出しているロクロウは、どんな顔をしているんだろうか。不意に零した言葉に自分でも吃驚して、ユクラは慌てて口を開いた。


「あ、だってほら、バレンタインデーといえば!だよ!二人ともモテそうだしね、貰ってそうだなって」


「…そうだな、あるかもな」


ずきん、とした。やったじゃん、そう言って何事もなかったように笑って、ユクラはテレビを眺めた。ロクロウは今こちらを見ているのか、それとも貰い物を見ているのか。私はちゃんと笑えたのか。ユクラは、不本意な脈拍を落ち着かせようと、画面に映る芸人を見つめた。








「アイゼン、なんかあったのか?」


「あぁ…。アイフリードの奴が店出られないらしいからな…。行ってくる」


コートを羽織り、足早に部屋を出ようとするアイゼン。ユクラは待って、と言って小走りで冷蔵庫から緑色のリボンのついた袋を手渡した。



「またチョコで悪いんだけど」


「あっちで食う。有難うな」


不敵に笑ったアイゼンを見送り、ユクラはロクロウの方へと歩み寄った。ロクロウにも、同じように。これは唯の義理チョコなんだから、そう自分に言い聞かせて、名前を呼んだ。






「…ロクロウ、これ…」


オレンジ色のリボンが揺れている。


「…お酒に合うように作った。けど…、食べ飽きたら…」


「応!ありがとな!」



食べ飽きたら、その後は。他の人のチョコよりも、先に食べてほしいなんて言えない。チョコに食べ飽きたらなんて言ったものの、なんて言えばいいかわからなくて、ユクラの声は小さくなっていった。それを掻き消すように、ロクロウは笑顔で応えた。その反応にほっとした一方で、さっきまでこうやって返事をしてきたのか、なんて考えてしまう。



「作ったのか?美味そうだ」


「うん、頑張った」


まじまじと包みを見て、こちらに笑顔を向けるロクロウ。



(私以外にもこんな顔してるんだろうな)


(嫌だなぁ)


複雑な笑顔を見せたくなくて、ユクラはキッチンへと向かった。酒でも飲もうかと冷蔵庫を開けたとき、後ろからロクロウの声が微かにした。



「…これ、義理なんだな」


ぽつりと呟いた一言。しかし、ユクラにははっきりと聞こえた。驚いて振り向くと、解いたリボンを手にして、少し悲しそうに笑うロクロウが一瞬見えた。


「食べていいか?」


直ぐに普段の笑顔に戻ったロクロウがこちらを見つめている。期待と驚きが先駆けて、一瞬のうちに頭の中をぐるぐると回った。慌てて理性が意識を戻して、ユクラは首を縦に振った。


「…っ、日本酒、飲む?」


「あぁ、頼む」


心臓の音が響く。さっきのあの顔は、なんだったのか。義理チョコだと思ってあげたのは、自分だ。



(…期待、しちゃうよ)



どきどきして、手が震えてしまいそうだった。お猪口ふたつに一升瓶を注ぐ。ひとつを差し出して、もう一つは一気に飲み干した。隣から甘いようなほろ苦いような匂いがした。彼がそれを口にするところは、直視出来なかった。



「本当だ、酒に合うなぁこれ」


「…ビターにしてみたんだ。どう、かな」


「凄く美味いぞ!ほら」


トリュフを唇にふにゃりと押し当てられ、気づけば口の中に鮮やかな味が広がった。甘さと苦さがじんわりと脳を刺激する。それと同時に胸の奥がじんじんした。
頬杖をついてこちらを覗き込むような笑顔で、ロクロウは笑った。



「本命だったら、もっと美味いのかもな」



その言葉の意味を理解しようとするにつれて、ユクラの顔の温度は上がっていく。酒のせいか、それとも。どんな顔をすればいいかわからずに、ユクラはまたお猪口に口を付けた。














「いやはや、今日はいい日じゃな!タダチョコ食べ放題記念日じゃて」


あれから、ぎこちなくロクロウと会話を続けてほろ酔いになってきた頃。帰宅したマギルゥにも贈り物を手渡した。どうやらイベントに便乗して至るところで食い散らかしてきたのか、マギルゥは上機嫌だ。


「タダじゃないでしょー?お返し、期待してるから」


「お、お返し…!」


「そうだぞ、マギルゥ。世の中そんな甘くない」


わざとらしく悲しむマギルゥに諭すような口調で笑いかけるロクロウ。無意識に彼を見つめると、目線がぶつかった。また顔が熱くなる。



「ユクラ、楽しみにしててくれ」



ホワイトデー。すれ違いざまに囁かれた単語に、一層胸が高鳴った。そのまま彼は部屋を出ていき、ユクラはその後ろ姿を呆けて見ていた。マギルゥはちらりとユクラを見て、にやり、と笑った。来月、何かが起こりそうな予感を感じて。
















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