港に出ると、少しひんやりとした風が髪を揺らした。ふと頭上を見ると、珍しく雲が少なく、黄色い光が降り注いでいる。そういえば今日は満月だった。そうだ、と思いついたように呟くと、ユクラは歩みを進めた。
梯子を登ると、視界が一気に拓けた。乾いた風の音が耳を掠める。遠くで微かに音が聴こえるものの、それも直ぐに掻き消されると、月明かりと風と自分だけが存在している、そんな錯覚さえ覚えた。
腰を下ろし、軽く息をつくと、手に持っていた箱を開ける。先日街に出た時に目についたお団子のようなもの。丸く、白色と黄色で構成されたそれは、月見団子を彷彿とさせた。何となしに購入したのは、今からしようとすることを思い浮かべたからかもしれない。
お猪口に心水を注ぎ、月を見上げる。この月と過去に見ていた月は同じものかは定かではないものの、思いを馳せるには十分な光景だった。
心水を飲み、団子を頬張る。瞳には煌々と輝く満月が映り込み、風が囁いている。センチメンタルな海に自ら足を浸せば、溺れてしまうかもしれない。馬鹿げているなぁ、ぼうっと思考の片隅にそんな言葉を浮かべていると、背後からする声に意識を引っ張られた。
「おぉ、いたいた。探したぞー」
「…どしたの?」
「月が綺麗だったから、一緒に飲もうと思ってな」
にこりと笑い、ロクロウはユクラの隣に胡座をかいたが、すぐに不安そうに問いかけた。
「もしかして…邪魔したか?」
「ううん、大丈夫。来てくれて嬉しいよ」
口に出してから、何だか大胆なことを言ったような気がして少し焦るも、目の前の彼はニコニコと心水を注いでいる。いつも通りだ。
「お!なんだこれ、美味そうだな!」
団子を見つけ、目が輝くロクロウ。
「心水と合うよ〜。食べる?」
「応っ!」
軽く乾杯すると、ロクロウは心水を一口飲み、団子を頬張った。その顔はまるで少年のようで、見ていると何だか穏やかな気持ちになってくる。
「これね、月見団子みたいだなぁ、って思って買ったんだ」
「月見団子?」
「うん、前にいたところの風習。満月を見ながらお団子を食べるんだよ。お月見って言って、一年のうちに一番綺麗な満月のときにやるの」
「ほぉ〜…俺のご先祖様も似たようなことをやってたんだろうなあ」
また一つ、ロクロウの口に団子が運ばれた。月を仰ぎ見、心水を煽る彼の髪がそよぐのが見えた。
「…この前も月が出てたねぇ」
「この前?」
「ほら、甲板で一緒に」
「あぁ…ユクラが泣いてたときだな?」
からかうようにロクロウが笑う。恥じいるようにユクラは、う、と言葉を詰まらせた。
「もう!それはいいでしょっ」
「ははは、すまんすまん。…そうだな、あの時も月が明るかったな」
乾いた風が二人を包んだ。心地が良く、つい口元が緩む。わたしね、とユクラが零した。
「…これで終わりにしようと思って」
「…?」
ロクロウが不思議そうにユクラを見つめた。彼女はじっと月を見つめている。
「過去に縋り付くのは、やめることにしたよ。昔の記憶を思い出して、なぞらって…寂しくなったり、不安になったりするのは、終わりにしようって」
ロクロウの心配そうな顔を知ってか知らずか、もう泣かないよ、と、ユクラは眉を下げて笑った。
「…男のケジメ、みたいな感じかなぁ。このお月見を楽しんだら、決別するよ。この世界が、わたしの世界だから」
「…そうか」
「うん。だから、あのときも、今も隣にいてくれて…良かった」
困ったような、寂しそうな、そんな顔で笑うユクラが、すごく儚げに見えた。力を持たず、抗うこともできない存在。力を求める自分と非力さを受け入れる彼女、それは余りにも違いすぎていて、触れることすら憚られてしまう。なるべく、この世界の綺麗な部分を見て、その中で笑っていてほしい、ロクロウはぼんやりとそう感じた。
「…あぁ。きっと、良いところだったんだな、ユクラの故郷は」
慈しむような視線を感じで、なんだかこちらまでつられて微笑んでしまう。ユクラはにこりと微笑んで、団子を手に取った。
「うん…。そうだったんだと思う」
「他にも色々あるのか?お月見みたいなの。…たくさん、聞かせてくれないか」
ふわりと笑うその顔に少し緊張を覚えつつ、ユクラは口を開いた。
「うん!あのね…」
ヒュウ、と風が吹き抜けた。
口元を掠めたその風は、失くした世界への憧憬を乗せ、月明かりに溶けていく。
話は尽きることなく、ふたりの話し声が幽かな暗闇を満たしていった。
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