ぱちり、と瞼を開けた。頭の奥がずきんとして、重い。痛みに眉を顰め、ぼーっと天井をみつめていると、聞き慣れない音がした。ふと隣を見やると、明らかに生身の身体。
「…?」
規則的な寝息が聴こえ、頭の下には人肌を感じる。疑問符が頭を占めた。間違いない。隣ですやすやと心地よさそうに眠っているのはロクロウだ。
「???…えっ…?…あっ…???………ええぇぇええぇえ!?!!?!?」
目にも止まらぬ動きで掛け布団を捲ると、そこにあったのは生足。背中にひんやりとした感覚が襲った。と同時に爽やかな朝を迎えたバンエルティア号に、けたたましい叫び声が響いた。
「…んぁ…?ユクラ…?お早う、いい朝だ「おはよう!!!!!なんでここにいるの!!??!?!」
「…なんで…?…そりゃあ…」
「そりゃあ、なに!!??!?」
「ユクラがせがんだんだろ〜?」
「!!!!!!!!!!!!」
声にならない声で叫び声か発せられると、ユクラは脱兎の如く部屋を飛び出した。
「なんだぁ…?まぁいいか…」
すぐに部屋の中に寝息が広がった。一方、廊下で行く宛もなく早歩きで彷徨っているユクラは頭を抱えつつ、昨日の記憶を何とか引っ張り出していた。
(昨日!昨日は食堂でロクロウとアイゼンと飲んでたんだよね!?ロクロウが珍しい心水手に入れたって言ってて、うまいうまいーってめっちゃ飲んで…それから…)
「…ユクラ?朝から何してるのよ…その格好…」
「うゎっ!?ベルベット…!おはよう!…あ!!」
呆れ顔のベルベットの視線の先を追うと、素肌を晒した脚。慌てて部屋を飛び出したユクラは大きめなTシャツ一枚と下着だけだったが、そんなことに気がつくはずもなく。
「着替えてきたら?」
「う、そうしたいのは山々なんだけど…ちょっと事情が…」
「はぁ?事情?」
「そう、色々あって…ごめん、何か履くもの貸して!」
ベルベットは怪訝そうな顔をしながら自室にユクラを連れてゆき、適当な服を差し出した。礼を言い、服に足を通すユクラに気怠そうに質問を投げかける。
「…事情って何よ?」
「え!いや、な、何でもない…!無くはないけどっ!ちょっと飲み過ぎちゃって色々と!」
飲み過ぎた挙句朝に着替えずに部屋を飛び出した、つまり。ベルベットがじとっとした視線を投げた。
「まさか…この年で…?」
「…へっ?違うから!おもらしじゃないから!!…あ、そういえば昨日ベルベット寝る前に食堂通ったよね?その時って私以外に誰が居たか覚えてる?」
「アイゼンとロクロウがいたけど…?それがどうしたのよ」
そうだ、アイゼン。彼に昨日の夜何があったか聞かなければ。
「!!そうだよね!ありがとうベルベット!…これ、洗濯して返すから!」
何だったのよ…、そう呟き、ベルベットは急いで部屋を後にするユクラを見送った。
「ベンウィックー!」
「お、ユクラ、おはよう!」
「おはよう、ねぇアイゼンどこ?」
甲板に出るところで作業中のベンウィックを見つけ、駆け寄る。朝から爽やかな笑顔だ。
「副長?さっきここら辺に…あ、副長ー!」
ベンウィックが呼びかけると、アイゼンはこちらに向かってきた。すかさずアイゼンの所まで小走りで向かい、ぐい、と両手でベストを掴む。
「アイゼン!!昨日、何があったの!!わたしに!!」
「あぁ?何言ってんだ?…おい、揺さぶるな服が伸びる!」
「酔っ払ったわたしは何をしてたの!?誰が部屋まで運んでくれたの!!?ねぇアイゼン〜〜〜!!」
制止も聞かずぐわんぐわんとアイゼンを揺らしながら詰問すると、わかったからその手を放せ、とアイゼンが手首を握った。
「…確認するが」
「な、なに」
「朝は一人で起きたのか?」
「!!え、えっとぉ…」
図星をつかれ思わず視線を外す。何かを悟ったようなアイゼンは不敵な笑みを浮かべた。
「昨日は俺とお前とロクロウで飲んだくれただろう?その時お前は随分酔っ払っていた…。呂律も回ってなかったしな。そしてロクロウにもたれ掛かって甘えていたんだ。真似してやろ「もういいですーーー!!!!」
青ざめた顔で船内へ走り出したユクラを見つめ、ベンウィックは少し残念がっていた。
「(酔っ払ったユクラの真似する副長…見たかった…)」
(やばいどうしようそんなまさかわたしロクロウとやばいやばいまじかよ)
自室の前を何往復もしている。はやく部屋に入って真実を確かめなければならないのに、その勇気が湧かない。今まで酒で大きな失敗をしてこなかった人生だったのに、まさか好いている人とそんな過ちを犯したなどあってなるものか。しかも彼の場合、その事実があったとしてもあっけらかんとしているんだろう。そんなこと自分は耐えられない。
やはり好きな人とは手順を踏んで好き合ってそういうことをしたい、そう思う自分は意外と純粋な乙女なのかもしれない、そう横道に逸れた考えを巡らせていると、ふと名前を呼ばれた。
「そんなとこで何してんだ?部屋入んないのか?」
「!!ろ、ろろロクロウ…!」
「深酒した次の日は朝風呂に限るぞ〜ユクラも入ってきたらどうだ?」
風呂。その言葉に囚われ、深酒云々のくだりは頭からすっぽ抜けた。朝同じベッドにいた人物に風呂を勧められた。その事実によってユクラの顔が更に青くなった。
「…ロクロウ、ちょっと…」
「おぉ、なんだ?」
「………あの、昨日の夜のことなんだけど…」
「ああ、昨日は楽しかったな。ユクラの乱れっぷり凄かったしな」
「みみみ乱れっぷり!?!!?!?」
「?そうか、やっぱり覚えてないんだな〜。可愛かったぞ〜」
「!?か、かわ…!??!?」
もう終わりだ、わたしは酒に乱れてそんなことをしてしまう人間だったのだ、そう思うと血の気が引いてゆく。
「…ロクロウ…その…昨日のことは…」
「ん?あぁ、あんまり口外しない方がいいだろ。またやりたいけど周りにバレるとまずいからな」
口外、バレる、まずい。その言葉に卒倒しそうになりいても立ってもいられない。
「うわああああんお嫁にいけないーーー!!!!!!」
ロクロウを押しのけて叫びながら走り出したユクラ。いきなりの行動にぽかんとしつつ、ロクロウは首を傾げた。
「…お嫁?」
青く澄んだ空の下、ふらふらと甲板を漂う。今まで生きてきてこんな放心状態になったことがあっただろうか。別に生娘でもないものの、酒に酔ってそういうことをしてしまったなど考えられない。しかも自分から好意を抱く人にせがんだなど、今までの貞操観念が木っ端微塵にされてしまう。
開き直ればいいのか?いやそんな度胸もない。いっそのこと海に飛び込んでしまいたい。ああ遠い世界のお母さんお父さん、わたしはもうダメです、そう思いながらレールに手をかけていると、エレノアが声をかけてきた。
「おはようございます、ユクラ。そろそろ朝食の時間ですよ…って凄い顔ですけど!?」
「エレノア〜〜〜!!わたしもうお嫁に…いけない…!!」
「おっ…お嫁!?どういうことですか!?」
項垂れて悲痛な声を上げるユクラと、オロオロするエレノア。そこに二人を呼びにロクロウが歩いてきた。
「二人共ここにいたのか!飯出来てるぞ〜」
「ろ、ろくろう…!」
ユクラが両手で顔を覆うと、エレノアがぎろりとロクロウを睨んだ。
「ロクロウ!ユクラに何したんですか!」
「いや、朝からこんな調子なんだよ…。嫁にいけないとかなんとか。何なのか俺もさっぱりでな…」
「なっ…!?ロクロウ、あなたもしかして…!?」
「?…なんだ?」
「ち、違うよエレノア!わたしがロクロウに…っ!」
「ユクラが…!?」
青白い顔と赤い顔を見て、やはり首を捻るロクロウ。彼女たちが何について話しているのか、頭を巡らせてみる。
「…あー、もしかして、添い寝の話か?」
「「……………添い寝?」」
「あぁ、昨日酔っ払ってたからなぁ〜どうやら力尽きてユクラのとこで寝てたみたいなんだ。朝起きたら添い寝みたいになってたからなぁ」
「…………え?」
「いやだから添いn「ユクラ、お嫁にいけないって言ってませんでした…?」
「だって…朝起きたらTシャツパンイチだったし!ロクロウ上裸だったし!!しかもロクロウそんな感じのこと言ってたじゃん!!」
慌てて今朝の会話を思い出す。確かにロクロウは色々と"そんな感じ"のことを言っていた筈だと、赤くなりながらこちらを見つめるエレノアの視線を感じつつ記憶を手繰り寄せる。
「…あ〜…そういうことか!なるほどなぁ!悪い悪い」
一人合点がいき、笑い出すロクロウ。こいつ何がおかしいんだ?心の中で悪態をつきながら詰め寄る。
「昨日凄い乱れてたって言ってたのは何なの!?」
「あぁそれは酔っぱらってアイゼンにやたら絡み酒してたから乱れてたって」
「じゃあ可愛かったっていうのは!?」
「呂律回ってなかったしいつもよりニコニコしてたからなぁ」
「口外しないほうがいいとかバレるとか…?」
「心水のストックがなくなるまで飲んだから他のやつにどやされるだろ?」
「…じゃあ…わたしがせがんだのは…」
「寝床まで運べって言ってたんだぞ?」
「…………嘘でしょ………」
ロクロウとアイゼンの言っていたことは嘘じゃなかった。一人で思い込んでいたとは、そう考えると力が抜けた。
「恥ずかしい…しにたい…でもまだお嫁にはいける…よかった…」
「まぁ何かあったら俺が嫁にもらってやるぞ〜?」
どっと疲れが出て座り込むと、ふざけたロクロウの言葉に今度は顔が熱くなる。言い返そうと顔を上げた瞬間、わなわなと震えるエレノアが目に入った。
「…ユクラ、ロクロウ…。あなたたちはしばらくお酒禁止ですーっっ!!!!!」
爽やかな朝、船上に怒号がこだました。
今日もバンエルティア号は平和だ。
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