夜は静かに

 ビュウビュウ、ゴウゴウ。けたたましく鳴る雨戸が、室内にまで音を響かせる。秋の始まりにやってきたのは嵐だった。おかげで一日の終わりの癒やしであるはずのシャワーが、煩い音のせいで台無しだ。

 髪を拭きながらリビングへと迎えば、間接照明とテレビの光だけで照らされた部屋は薄暗い。ソファの上で寝こけている兄と、こちらを見て微笑むその相棒。外は嵐であることを加えれば、まるで写真集の1ページのような、妙な非日常がそこにはあった。

「シャワー出たんですねなまえ、髪拭いてあげましょうか」
「いいの?やった、ティッツァに髪拭いてもらうなんて、お兄ちゃん起きてたらデキない贅沢だ」
「大袈裟ですね、まあ彼しばらくは起きないと思いますよ」

 チラリとローテーブルの上を見れば、酒瓶が転がっているのが目に入った。兄は下戸に近いから数杯で御眠になってしまうし、ティッツァーノはウワバミだ。こうやって酒盛りをしても早々にスクアーロが潰れてしまうことはよくあって、残された私とティッツァーノだけの時間が、私は結構好きだったりする。


 スヤスヤ眠り続けるスクアーロとは反対方向に、ティッツァーノの隣に座る。肩に掛けていた私のタオルを使って、わしわしと水分がとられていく手付きは優しくて気持ちいい。

 聡明で美しくて優しいティッツァは、私のもう一人の兄のようなものだ。兄とティッツァーノ、それから私。3人で暮らし始めてからそんなには経っていないのに、もうずっと家族だったような気がしてしまうのだ。

「さあ終わった、濡れた髪では風を引きますからね」
「うん、あのねティッツァ、色んなことをありがとう」
「私はなまえの髪を拭いただけですよ、それに色んなこととは?」
「ティッツァが来てからなんだよ、お兄ちゃんがこんな顔したりするの」

 ティッツァーノの身体越しに、すやすやと眠り続ける兄の顔を見る。安心しきった寝顔、どこまでも落ち着いた深い眠りだ。昔は、こんなふうに穏やかな兄を見ることは少なかった。

「ずっと二人だったからかな、いつだって気を張ってて私の前ではカッコつけてたの」

 幼い子供なりの気遣いだったことは理解している。せめて妹は何不自由なく、とでも考えていたのだろう。落ち着ける場所なんて無かった私達はいつだって色んな場所を転々としていたし、スクアーロは兄の顔を崩さず私の側にいた。

 それが目に見えて変わったのは、やはりティッツァーノと出会ってからだ。なんというか、気を許せる場所が増えたのだと思う。大人びて背伸びした庇護者の顔よりも、年相応の無邪気な青年の顔をすることが増えた。

「フフ、お礼を言うのは私の方もですよ」
「知ってる、ティッツァも最初よりお顔が柔らかくなったもの」
「なまえはさすが鋭いですね」
「スクアーロとは違って?」
「そう、彼、今夜のおつまみは味付けを変えたことにも気が付かなかった」

 行儀が悪いとは知った上で、テーブルの上のオリーブを指でつまんで口にする。確かにいつもより胡椒が効いてスパイシーな味わいだ。私を窘めつつも手を拭ってくれるティッツァーノは、穏やかに微笑んでいる。彼だって初めてあったときは、もう少し剣呑な目つきをしていたのだから月日の為せる技とは凄いものだ。

 急に一際強い風が吹いて、雨戸が強く打ち付けられた。そういえば今夜は嵐だった。あんまりにも今が幸せに暖かくて、ついつい忘れてしまった。

「ねえティッツァ、私見たい映画あるの、一緒に見ようよ」
「良いですけれども、スクアーロが起きてるときでなくて?」
「ちょっとエッチなんだよ、お兄ちゃんそういうの煩いの」
「まあ、彼にとってなまえはいつまでも小さく可愛い妹なんですよ」

 ゴソゴソとリモコンを触る私を、ティッツァーノは止めたりしない。兄に隠れてこうやって秘密めいて甘やかしてもらうのは私だけの特権だ。テレビを準備する私の後ろで、ティッツァーノが兄の腹にタオルケットを掛けているのがチラリと見えた。

 ぬるま湯の平穏はいつまでだって恋しくて愛しい。とりあえず今夜は、至極小規模なオールナイトの上映会だ。ポップコーンでも準備しようかしらと頭の隅で考えて、薄暗くテレビに反射して映るティッツァーノとスクアーロの姿を眺めていた。