#1

 沖縄から神奈川に転校したとき、リョータが周囲と馴染めてないことは知っていた。けれど双子だからと違うクラスに振り分けられた私には何の手助けもできなかった。それにリョータは家族の前では平気な顔で悩みなんて見せなかったから、彼のその強がりを壊してしまうことがおそろしかったのだ。

 それでもリョータは、時折何かを期待するような表情でバスケットコートに向かう。だから彼なりに何かの邂逅や逡巡を繰り返してたんだろうとは分かっていた。

 一方私はクラスにも難なく馴染み、入部した女子バスケ部で良き友人たちにも恵まれた。自分だけが学校生活を楽しくおくることに、罪悪感を抱かなかった日は無い。

 結局、中学生だったリョータの孤独を拭い去ることも出来ずに私達は高校へと進学した。高校生になったとしても、彼の孤独が消え去ることはなかったらどうしよう。リョータがありのままに生きていけるなら、それだけで良いのに。そんな不安が脳裏にこびりついていた。

 けれどある日、リョータはいつになく満面の笑みを浮かべて帰宅してきた。私が一人でぐるぐると悩んでいたことなんて、馬鹿らしくなるくらいの上機嫌だった。

「ワカナ、俺バスケ部に入る」
「えっ」
「運命ってやつ?見つけちまったからさ、強い男になんなきゃな」

 あまりにも唐突過ぎる言葉に空いた口が塞がらない。それでも高校生になったリョータが、迷いない瞳でバスケ部に入部したことをわたしは嬉しく思った。どんなことがあっても、リョータが変わらず好きでいられるものがあることに安堵したのだ。

 同じく湘北高校に進学していたものの、私は特に部活に所属することもなくアルバイトに精を出していた。選手としてのバスケは中学生のうちにやり尽くした実感があったし、リョータが気兼ねなくバスケを続けられるように私は家族を支えようと思ったからでもあった。

 バスケ部に入ったリョータは、家でも嬉しそうな顔をすることが増えた。中学生のときが嘘みたいに、日々の事を話してくれるのだ。

「今日はヤスがさ」
「アヤちゃんは今朝も可愛かった」
「ソール磨り減ってきちまったから、ワカナもついでに買い物行こうぜ」

 私達は双子だけれど、二卵性だからか全然似ていない。リョータは今だってふわふわとした髪を揺らしているけれど、私の髪は重力に従うように真っ直ぐにおちる。

 それでもリョータは、この世の誰よりもわたしに近い兄だった。同じ日に生まれて、同じ日に産声をあげた。そんな不確かなきずなを信じていたし、強がってばかりのリョータが私にだけは全て話してくれるのが、誇らしくて嬉しかったのだ。

 因果応報とはよく言ったもので、驕り高ぶった心には罰が与えられる。そんな世の常をあらわすかのように、大事件が起こった。リョータが上級生に集団暴行を加えられて、入院することになったのだ。

 痛々しいギプスと包帯を全身に巻かれて眠る兄の姿に、医者でも無い私が出来ることなんて無かった。ベッド横に置かれた椅子にはお母さんとアンナが座り、祈るようにリョータを見つめている。私はその横で、ひたすらに立ち尽くしていた。

 思い上がっていた。自分はリョータを助けられるのだと思っていた。リョータを全部わかった気になって、けれど本当は何にも理解なんてしてなくて。肝心なところでなんの役にも立ちやしない。

 ねえ、何があったの。相談にのれたら私は力になれたかな。私って本当に何も出来ないね。心の中で兄に話しかけながら、下を向く母の背をかわりばんこにアンナと撫でる。それぐらいのことしか、出来なかったのだ。

 翌日に私は、いつもよりだいぶ早く登校した。そしてその足でバスケ部の朝練場所に向かう。体育館の入り口にいきなりあらわれた不審な女に、部員たちが動揺するのが伝わってくる。眼鏡をかけた上級生らしい男子生徒が近寄ってくると、訝しがりつつも声をかけてくれた。

「えっと、君は」
「宮城ワカナといいます、宮城リョータの妹です」
「宮城の?」

 奥で様子を見守っていた、角刈り頭をした大柄な男子生徒が近づいてくる。知った名前を聞いてか、剣呑さを孕んだ体育館の雰囲気が緩んでいくのを感じた。無理も無い、つい先日に部員が想像も出来ないような怪我で休部したばかりなのだから。

「それで、宮城の妹がいったい何の用で」
「私に、バスケ部のお手伝いをさせていただけないでしょうか」
「何?」

 初対面の女にいきなり切り出されたことで、目の前のふたりが驚いたように目を見開くのが分かった。あんまりにも到達だし、突拍子もなさすぎる。自分でも自覚があった。一方的に口を開くことを申し訳なく思いながら、それでも言葉を続けていった。

「きっと必ず、リョータは皆さんの前に戻ってきます。その時までに私にできることは何でもしたいんです」

 もう二度とあの無力さを味わいたくない。血の分けた兄を喪うなんて、一度味わっただけでもこんなに耐え難いのに。もしも二度目が訪れたなら、今度こそわたしは耐えられない。

 大けがを負って眠るリョータを見てから、離別の恐ろしさばかりが頭をよぎる。ああ嫌だ、そんなことを考えてしまう自分が嫌だ。けれどどうしたらいいのか。考えて考えて考えて、その末で私にできることはこれぐらいしか思いつかなかった。

「中学までバスケ部でしたからルールは分かっています、ボール磨きでも掃除でも何でもやります、決して皆さんのお邪魔はしません、何か少しでも兄のためになることがしたいんです」
「じゃあマネージャー希望ってこと?願ったり叶ったりじゃない」

 混沌とした場を切り裂くように、喜色に満ちた少女の声が響いた。私はこの人を知っている。確か名前はアヤコさん、リョータの好きな女の子だ。

 アヤコさんはバインダーを小脇に抱えたまま、やや離れた場所からこちらに向かって歩いてきた。そして頭の先からつま先まで闖入者を見つめると、ややあって頷いた。

「マネージャーはいま私ひとりなんだけど、人手はいくらあってもいいもの。来てくれて嬉しいわ!」
「……良いんですか?」
「その為に来たんじゃないの?部員が増えることに反対するやつなんていないわよ、ですよね?」
「まあ、熱意ある部員が増えるのは良いことだ」
「ほらほら部長がこう言ってる!やったわね!」

 ニコニコと笑うアヤコさんに圧されてか、体育館に漂う雰囲気はいつの間にかすっかりと軟化していた。この人はすごい、綺麗な上にめちゃくちゃに良い人だ。そのままトントン拍子で話は進んで行き、その日の放課後には私はバスケ部のマネージャーとして入部を果たしていた。

 こんなに都合が良くって良いのだろうか。まるで夢を見ているような気持ちだった。そしていま私はアヤコさんこと彩子ちゃんから、マネージャー業務に関するおおまかな説明を受けている。

「ここが部室ね、筆記用具とか資料とかも棚にまとめてあるわよ」
「文具は可能なら個人で用意したほうが良い?」
「どっちでも良いわ、昔の先輩が置いてってたりするから使ってもいいし」

 指し示されたのは書類や資料がまとめてある棚だ。上にはバインダーが雑多に積まれていて、様々に名前が書いてあった。一番下にある水色の板を引き抜けば、もちろん名前が書いてある。三井寿。みつい、これはひさしと読むのだろうか。

 そのとき、ふと何かを思い出した。みついひさし。三井寿。武石中の三井寿?
 
 中学時代の部活仲間に、武石中からの転校生がいた。スリーポイントシュートが得意な彼女は、自分のシュートに納得ができないといつも同じフレーズを口にするのだ。ああ、三井先輩みたいには上手くいかないなあ。照れくさそうに笑うその瞳にあるのは、優れた才能への尊敬の念だった。

 そうだ、三井寿。確か全中MVPも取っていたはずの選手だ。彼は湘北にいたのか。けれど体育館にそれらしき姿はなかった。部活を辞めてしまったのだろうか。

「宮城、おかえり」
「ただいま戻りました、えっと……木暮先輩」
「もう覚えてくれたのか、説明はしてもらったろうけど何かわからない事とかあるか?」

 体育館に戻るなり、副部長さんが迎えてくれた。彩子ちゃんは私への説明で滞った業務をこなすために、一度奥へと行ってしまった。説明を受け終わった報告とこれからのの指示を受けるために、ひとまずはひとりで副部長の元へと来たのだ。

「いま赤木は練習の方を見てるから、俺で良ければ何でも答えるよ」
「あの、さっき名前を見たのですが、三井寿さんと言う方は辞められたのですか」

 木暮さんはその言葉を受けると、悲しそうに眉を寄せる。そしてすぐに、無理やり元の表情に戻った。しまった、触れてはいけない話題だったのだろうか。もしかして生死に関わっているような話だったりして。少なからず慌てているのが顔に出ていたらしい。木暮さんが苦笑するのが見えた。

「三井は、いわゆる幽霊部員だな」
「辞められては無いのですね」
「うん、三井は1年生の時に膝を怪我して……そのまま来なくなったんだ」
「膝の怪我、ですか」
「誰よりもバスケが上手くて、誰よりもバスケが大好きな奴だったよ」

 懐かしむように悲しむように、木暮さんが遠くを見つめる。視線の先にあるのはスリーポイントラインだった。木暮さんにとっては、三井さんの記憶と強く結びつけられた場所なんだろう。

 マネージャーとして業務をこなす日々の中、探してみれば三井さんの痕跡はそこかしこにあった。数年前のスコアシートに、今も積み重なったバインダーに、文字がかすれてほぼ読めないロッカーの名札に、教室で囁きあう生徒達の噂の中に。

 いろんな情報を積み重ねて、私は会ったことも無い人をすっかり知っていた。三井寿。全中のMVPを取った人。バスケが本当に大好きで、だからこそ膝の怪我に対する絶望に耐えきれなかった人。そして上級生を引き連れて、リョータをリンチしたひと。

 授業中にぼんやりと黒板を見つめながら、会話もしたことが無い三井寿のことを考える。リョータへの仕打ちは到底許せるはずも無い。けれどバスケに携わるものとして、三井さんが抱えた失意も痛いほどに理解が出来る。だからこそ、如何ともし難かった。

「あ、」

 ぼんやりとしすぎて、うっかり左手で消しゴムを弾き飛ばしてしまった。窓の方に飛んだ消しゴムを拾うために、身体を折り曲げてそのまま動きを止めた。

 換気のために開けられた窓の向こうに、黒髪を肩まで伸ばした男が見えた。三井寿だ。顔にガーゼやら包帯やらを巻き付けているから、病院の帰りにほんの少し立ち寄ったのだろうか。何の楽しみも無いような仏頂面を浮かべた男は、そのままどこかへと消えていく。

 幽霊部員。在籍はしているのに部活動に来ていない生徒。熱意が無いだけなら部活動から除籍すればいいのに、わざわざ籍をおいている。だから彼には、きっと未だにバスケットボールへの未練がある。

 何だか妙に引っかかって、そのことがずっと頭の中にあった。消しゴムを拾い終えても、心中のモヤモヤは晴れることが無かった。

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