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「うわ、ワカナまじでいるんだ」
「病院でも話したじゃない」
「聞くのと見るのとじゃやっぱ違えよ」
憎まれ口を叩けるほどにめざましい回復を果たしたリョータに、彼の怪我を知る部員は誰もがほっとしていたと思う。最初は突っかかっていた桜木もすっかり懐いたようだ。嬉しさを覚えると同時に、お昼の教室で耳に届いた噂が不安を募らせた。
三井寿も、学校に帰ってきているのだそうだ。
「ありがとうね宮城さん、部活動にずいぶんと遅れちゃったでしょう」
「言伝は頼みましたから大丈夫ですよ」
リョータが復学してから数日後の放課後に、私は委員会活動のために部活に遅れていた。図書委員は持ち回りでカウンター業務を回しているのだが、今日の放課後を担当するはずだった同級生が体調不良で欠席してしまった。そこでいつもは部活動のために昼休みだけ担当していた私が、その穴埋めをしていたのだ。
朝練の時に聞いた話だと、赤木部長も今日は課外授業のために遅れるらしい。丁度同じ頃の部活参加になるだろうかと足を急がせて、たどり着いた先の光景に唖然とした。
「おいバスケ部!何してる、ここを開けろ!」
幾人もの教師達が閉め切られた体育館の扉を叩き、開けるように叫んでいる。周囲に集まった野次馬の生徒達は不安そうに騒ぎ立てていた。そして体育館の中からは、けたたましい怒号と何かを殴りつけるような騒音が次々に聞こえてくる。一体何が起こっているのか。
あまりの事に入り口に近づくことすら出来ず、数歩ほど後ろによろめく。ドン、と身体に伝わる感触。近くに居た誰かにぶつかってしまったらしい。
「すみませ、あ、部長」
「宮城、この騒ぎが何か知ってるか」
「私も何が何だか」
謝罪をするために振り向くと、そこにいたのは赤木さんだった。ちょうど今来たばかりらしい赤木さんが、困惑の表情を浮かべて私に問うてくる。けれど私とて、ちっとも状況が掴めていないのだ。
「すみません、通してください」
「バスケ部の赤木です、通してください」
赤木さんとふたり、人波を割るように進んでいった。どうにかこうにか入り口の前にたどり着くと、中の音が少し聞こえていた。誰かがこちらに逃げてくるような足音だ。
赤木さんが扉の前に立つと、いきなり扉が開いた。大柄な彼の背に隠れてよく見えないが、何か怯えるような悲鳴が聞こえる。途端に身体を滑り込ませた赤木さんに倣い、私も体育館に滑り込む。赤木さんによってまた勢いよく閉められた扉のうちは、散々な有様であった。
「何これ……」
顔面を血だらけにしたバスケ部員たちに、端で倒れ込んでいる晴子ちゃんたち、ボロボロになった知らない不良の人たちと、桜木のお友達。そしてその中心に立っていたのは、三井寿だった。
そこからの出来事は、まるで映画を見ているようだった。木暮さんの口から語られる過去と、なおも喧嘩を続けようとする三井さん。そして、現れた安西先生へと打ち付けられるような三井さんの慟哭。それを聞き続ける観客は私。一切の関わりを持たない部外者の象徴でもあった。
リョータと違って、私と三井さんの間に確執は無い。赤木さんや木暮さんのように面識も無い。水戸くんたちのように喧嘩を仕掛けたわけでも無い。けれどそんな部外者であるからこそ、個々がもつ感情を俯瞰して見ることが出来た。
何か晴れ晴れとしたようなリョータの表情。ああ彼は、すべて赦そうとしている。リョータはきっと三井寿を怒らない。憎まない。心からの恨み言だって言わないだろう。
「そんなの、駄目でしょう」
誰にも聞かせるつもりがない呟きは、空間に浚われて届かない。三井寿がどれほどの過去を負っていたとしても、真摯な気持ちでコートに帰ってきたとしても。宮城リョータという少年を傷つけた事実は変わらないのに。
リョータはもしかしたらもう二度とバスケが出来なかったかも知れない。家族に会うことが出来なかったかも知れない。彼のいのちそのものが、喪われるかも知れなかったのに。
「わたしが、わたしが怒らなくちゃ」
湘北が全国を目指すために、三井寿という選手は必要不可欠だ。彼がいることで、遠距離からの点取得という明確な強みを得ることが出来る。だからこそ、遺恨は残してはいけない。リョータが抱くはずだった怒りごと、すべて私が持って行く。
翌日の朝練に、三井寿はやってきた。綺麗な姿勢で頭を深々と下げるのを部員の誰もが見つめていた。やがて彼に赤木さんと木暮さんが何事かを話し、三井さんは練習に加わり始めた。私は彼に向かって一直線に歩いて行く。
ずかずかと遠慮無い足音を聞き止めたのか、ふいに視線が合った。私たちは、いまようやく視線を交わす。三井寿が私を見ている。
「ようクソ三井、うちのリョータを殴った手で持つボールはさぞかし重さが違うんだろうな?」
話したことも無い青年に、見て分かるほどの悪意を渡す。三井寿が面食らったように目をあけた。そうだそれでいい。悔恨も憤怒も嫌悪も、汚れて惑うのは私だけで良い。三井寿に嫌われるのは、私だけで良い。コートという舞台の上で部外者にしかなれない、いくらでも替わりが効く私だけで良いのだ。
ああ、貴方を許さない。貴方のせいでリョータが傷ついた。けれどリョータは貴方をゆるす。貴方はきっと、この場所にとって大きな存在になる。だからこそ、もう二度とバスケから逃げたら許さない。それまで私は、あなたを見つめ続けよう。
宮城ワカナは、今日も明日も明後日も。空虚な悪意のために口を開きつづけるのだ。
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