#4

 観客の息を飲む音が耳に響く。ボールが高く弧を描き、ゴールネットど真ん中を貫くようにコートに落ちた。シュートが成功したと認識した客席がにわかに騒ぎ始める。美しい軌跡を描いて飛んだボールの根元には、ひとりの男がいた。

「三井寿だ」
「MVPのあの三井寿だ」

 湘北高校の名も無き一選手として眺められていた男が、シュートひとつで彼の名を群衆に思い起こさせる。ワカナはその様子を、コート脇のベンチにてジッと見つめていた。

 IH県予選が行われる本日、湘北高校バスケ部はいま翔陽高校バスケ部との試合に臨んでいる。ワカナはマネージャーとして会場に同行し、部員たちと並んでベンチに控えていた。

「すごい歓声」

 誰に聞かせるでも無くポツリと言葉を漏らしたワカナを、彩子が見やった。コートから一瞬たりとも視線を離さない同級生を、彩子がどう捉えたかは分からない。それでもふと笑うような音が聞こえたので、概ね微笑ましく見守られていたのだと思う。

 ワカナは頭の中で、先ほどの三井のシュートを思い返していた。残り3秒で放たれたボールが矢のようにまっすぐと飛んでいく。あのお手本のように美しいフォームから放たれるシュートを。一度見れば誰もが彼の名を想起する。稀代の名シューター、三井寿の名をだ。

 どれだけ外見が変わろうと、あのシュートがあり続ける限り観客は三井寿の名を忘れることはない。それはまるで恋のようだな、とワカナは柄にも無く考えた。

 試合はとっくのとうに場面転換を迎え、今は翔陽の花形がコートを圧倒し始めている。移り変わる試合展開を認識しながらも、頭で同時に全く別の思考を動かす。

 放たれたボールの軌跡を、ビデオテープを巻き戻すように繰り返し脳内で思い出している。癪な話だけれど、ワカナは先程三井の全てに見惚れていた。

 ボールを持つ指先が、ボールを宙へと浮かばせるために軋む筋肉が。放物線を描くように飛んでいく球がゴールに収まるまで、息をするのも忘れるぐらいに目を離せなくさせる。三井寿という男の持つしなやかな美しさから、目を背けることが出来なかった。

 全く自分が嫌になって仕方が無い。公式戦に慣れてきた花道への微笑ましい応援だとか、怪我の後遺症も無く活躍する兄への安堵だとか、考えるべき事は山ほど有るはずなのに。お前が憎いと先日啖呵を切ったばかりのこの身で、到底言えるはずも無い憧憬と陶酔をこじらせるなどと何て浅ましい。

「湘北!湘北!」
「いいぞ、そこだ!」
「頑張って!」

 客席から飛んでくる声援を背に、身勝手なやましさからワカナは冷や汗をかく。ごまかすように周囲に混じって応援の声をあげたが、もやつくような気持ちは消えなかった。湘北に勝って欲しい気持ちも、三井寿が憎い気持ちも、兄が楽しそうにバスケをする姿を見ていたい気持ちも、三井が活躍して嬉しかった気持ちもすべて本当だからどうにもならない。

 ひとりで百面相をするワカナに気がついたのか、彩子がワカナの顔をのぞき込む。そしてそのまま、親指と人差し指で輪を作りワカナの顔を強く弾いた。綺麗なデコピンだった。

「痛いよ彩子ちゃん」
「文句が言えるなら元気ね、変な顔してないで応援に集中なさいな」
「うん、ごめん」

 叱責を受けはしたが、心配されていることは表情から伝わった。体調不良かと気を揉ませてしまったのならば申し訳ない。ひりひりと疼く額を抑えて、コートに向かって応援を再開した。

 そうこうしているうちにコートには翔陽の主将藤真があらわれ、戦局は一気に翔陽の有利へと傾く。流れを変えるために取られたタイムアウトにより戻ってきた部員達に、次々とタオルを渡していく。その後は安西先生と赤木の声かけによりメンバー達の士気が上がっていくのを、一歩引いて見つめていた。

 彩子がリョータと何か話しているのを横目に認識した。リョータにとっては彼女との会話が何よりの活力になるだろう。邪魔はしたくないとやや端へ移動すると、そこには三井が座っていた。皆の息が落ち着きはじめても、三井は未だタオルを肩に掛けたまま浅い呼吸を繰り返している。

 呆けたように彼を見つめていると、ふと視線が合う。何故か三井はワカナから視線を離さなかった。特に何の用があった訳でもないが、無視するのも気まずい為に彼へと近づく。身長の高い三井の旋毛を見下ろすのは新鮮な気分だった。

「茹でられたわかめみたいにヘロヘロ、2年間グレてた分のツケが一気に来てるように体力がない」
「そうだな」

 そういえば今日の分の悪口を言っていないと思い出したので、口に出しておいた。一日一回の約束を守るように、ワカナは毎日一度ずつ悪態をつく。別に今言わなくたって良かったのだが、とくに話す内容も無かったのだ。三井もここ数日ですっかり慣れてしまったのか、まるで天気の話でもするかのような気軽さを崩さない。

「けどスリーポイントシュートは相変わらず綺麗ですね」
「この後も見せてやろうか」
「疲れすぎて腕千切れようと、絶対に見せて下さい」
「はは、良いけどよ」

 から笑う三井のこめかみを、汗が一筋垂れた。虚勢を張る気持ちが残っているのなら、この人はまだ大丈夫。少し離れた席に置いたままだった三井のドリンクを掴み、その手に握らせた。

「サンキュ」
「いえ」

 本当にお礼を言われるようなことはしていない。この人を憎んで恨んで、それでいて憧れながら試合での活躍を望んでいる。いっそどちらかに絞ってしまえれば、もっと上手く息ができるのだろうか。三井を見下ろしながら、そんなことを考えた。

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