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「うーん……」
自宅の居間にて話している最中に、アンナからいきなりそんなことを尋ねられた。アンナは敏い少女であるので、家族のことをよく観察している。ともすればこの家の住人の中で、一番冷静に家族を見つめているのかもしれないとワカナは思う。
それに、この話題はワカナとて気になっていたところである。なので改めて真剣に答えを考え始めた。
「なんか、びっくりするぐらい明るい」
「リョーちゃん、おうちだと結構クールだもんね」
「そうだよね」
リョータは自宅であまり大声を出すようなことはしない。それは多感な時期であるからかも知れないし、リョータが何かに遠慮をしているからかもしれない。ワカナはふと、部活動中の兄の事を考える。
とにかく屈託なく笑う。底抜けに明るい表情を浮かべ、冗談もよく言うし悪ノリだってする。今日の練習では笑いすぎるあまり、くず折れていた。
「でもすごく楽しそうだよ、リョータはバスケ好きだもんね」
「良いことじゃん」
「アンナは?この前言ってたヨシくんどうなったの?」
「えー!ワカちゃんそれ聞いちゃうの!」
ケラケラと笑うアンナが、指先でワカナの背を叩く。話をそれとなくずらした事には気づかれてないようで、内心ホッとする。
ワカナの双子の兄は、自宅においてほんの少しだけ遠慮したように生きている。そのことを未だ幼い妹に明言してほしくなかった。
翌日の部活動で、ワカナは体育館の端にてスコアボードを手にしていた。今はミニゲーム形式の練習を行っていて、その記録係を任されていたのだ。
「ヤス、そっち行くぞ!」
「うん!」
ボールを手にしたリョータが、同じチームに分けられた安田に言葉を飛ばす。今日の朝食の席で、静かにトーストを齧っていた男と同じとは思えない。活発に動き、時には口調荒くも指示を出し、何より楽しそうに駆けていた。
バスケ部に居るときのリョータは、まるでソータが生きている頃のように笑う。
四人居る兄妹の中でも、とくに兄ふたりは仲が良かったと思う。ワカナだって兄たちを追いかけるようにバスケをしていたし、可愛がられていた。兄妹でたくさんバスケの話をしたし、練習だってやった。
けれど何というか、ソータとリョータには他の者が立ち入れない絆があったように思う。あの夏の日に、ソータに最後に会っていたのはリョータだった。ワカナはあの日、家の中でアンナとままごとをして遊んでいたのだ。
「ソーちゃんがコート行ってるから、追いかけてくる!ワカナは?」
「ワカちゃんは今、アンナとおひめさまやってるからダメ!」
「ということだそうです」
「おー!」
兄たちとのバスケットボールも魅力的だったが、妹との約束の方が先だ。それにリョータはレギュラーになると意気込んでいたから、きっとソータと二人きりで練習した方が彼の為になると思った。だからワカナは、リョータがひとりで駆けだしていくのを見送ったのだ。
もしあの日にワカナもコートに行っていれば、何かが変わったのだろうか。引き留める弟に妹まで加われば、長兄とその友人達は呆れたように家遊びにでも引き返してくれたのだろうか。考えても仕方の無いことだが、今でも考えずにはいられない。
頭の中で考え事をしながらも、視線は目の前のコートから離さない。今回のチーム分けは中々にメンバーが上手く割り振られており、ミニゲームは拮抗していた。互いに一歩も譲らずに勝ちを望み、ボールを追いかける姿勢には貪欲さが満ちている。
「リョータ!」
「ッし!」
安田から渡されたボールが、リョータの手元に届く。そしてそのまま数歩ほど進み、リョータはジャンプシュートの構えを取った。苦手なシュートにも果敢に挑戦し、克服したいということなのかもしれない。そして、軌跡を描いて飛んだシュートはそのままゴールネットに吸い込まれる。それと同時にタイマーが鳴り、ミニゲームの終了が知らされた。
「おつかれさまです。いまから十分休憩の後、振り返りに入ります」
ワカナは声を張り上げて、部員達をコートから下がらせる。少し休んだ後に、今のミニゲームで出てきた課題点や良かった点などを話し合っていくのだ。
スコアシートに書きもらしが無いか確認していると、ふと視界の端でリョータが壁に寄りかかっているのが見えた。ワカナが声を掛けようか迷っているうちに、リョータに近づくものがあった。
「宮城、さっきの良かったな」
「アレが試合で出来りゃ文句ねえんスけどね」
「一回できたんなら後でも出来んだろ、フォームも良かったぜ」
「……ッス」
リョータの横に腰掛けたのは、タオルを手にして戻ってきた三井であった。三井は語気こそ気安いが、その言葉はリョータのモチベーションを上げるための気遣いだ。リョータの方でも嬉しそうな顔をしているので、満更でもないのだろう。
ああ、いいなぁ。この人は言葉一つでリョーちゃんを喜ばせられるのだ。私が男だったら、バスケがもっと上手だったら、年上だったら。この人みたいにリョータを導けたろうか。それはまるで、かつてのソーちゃんみたいに。
「……あ」
その思考にたどり着いた瞬間、ワカナは思わず声を漏らした。私は今、何を考えた。たとえ一瞬でも、ソータと三井を重ねたことがやましかった。
ワカナの声を聞きつけたらしい三井が、不思議そうに近寄ってきた。その顔は純粋な疑問と少しの心配に彩られている。
「おい宮城、何かあったか」
まさか言えるわけがない。死んだ兄とあなたを重ねて羨ましく思いました。私はどうあがいたってあなた達にはなれないので、妬ましく思います。そしてそんなことを考えた自分に嫌気が差しています。本音を呑み込んで、かわりにてんで違う言葉を吐く。
「今日は随分オシャレなんだなあ、と。Tシャツの裏表を逆にするなんて流石のセンスですね」
「あ?うおっマジだ!タグが首にあんじゃねえか!」
「アッハッハ!三井サン、ダッセ!そんなんでオレにアドバイスしてたんかよ!」
「うるせえよ!」
誤魔化そうと視線を彷徨わせたときに、ふと三井のミスに気がついた。そこに横で会話を聞いていたリョータが会話に入ってきたことで、場の空気も消し飛んだのも功を奏している。また、三井もリョータの方へ向かっていったので、ワカナのおかしな態度はこれ以上言及されなさそうだった。
ワカナが安堵のため息をついたタイミングで、ふいに三井が振り向く。そして瞳と瞳がバッチリあった。
「おい宮城」
「なんスか」
「違う、違わねえけど!あー、ワカナの方だよ」
「私ですか?」
まさか思考がバレていたとでも言うのか。鼓動が早鐘を打ち、血管が開ききったようにドクドクと血を巡らせる。素知らぬフリを顔に貼り付けてはいるが、きちんと冷静に振る舞えているかは分からない。緊張で口から心臓が飛び出しそうなワカナに、三井は神妙な顔になった。そしていきなり、ワカナの耳元に顔を寄せてこっそり喋りだした。
「さっきは話流れちまったけどよ、体調悪いんならきちんと休んどけよ。さっきから辛そうだぜ」
「え……あ、無理になったら、そうします」
「おう、それがいい」
ワカナの返答を聞くやいなや、三井は顔を離してまたリョータの方へ向き直った。もしかしなくても気遣われているのだろう。この人は豪快で無遠慮に見えて、こういった繊細なところがある。短い付き合いではあるが、三井のそんな性格は理解していた。
「何コソコソしてたんスか」
「Tシャツ教えてくれてありがとなって礼だよ」
そんな三井とリョータの会話を聞きながら、取り留めもないことを考える。休憩時間はもう少しで終わる。早く思考を切り替えようとして、ふと気がついた。
そういえば、さっき名前で呼ばれたな。三井サンは私のこと、ちゃんと個人として認識してるんだ。
その事がなんだか、変にむず痒かった。
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