▼
「桜木、腰が引けてる。ボールを見過ぎちゃダメ」
「そう言いましても、ワカナさん」
「試合相手は前からも後ろからも来る、その時にボールだけを見るの?」
体育館の端で、ワカナは桜木に基礎練習の指導をしている。バスケットボールを始めたての桜木は、ドリブル等初歩的な基礎練習の時間を義務付けられている。普段は彩子が中心になって指導をしているが、今日の担当はワカナであるらしい。
「よくできてる」
「マアこの天才が本気を出せばこの通りですよ!」
「そうだね、君は出来る子だもの。次はコレやってみよう」
「ええ任せてくださいワカナさん!こんなの、ちょちょいのちょいですから!」
目の前に掲げられた練習内容のプリントを、桜木が嬉しそうに受け取る。随分とノセるのが上手いな、と三井は素直に感心した。褒められるのが好きな桜木のモチベーションを保ちながらも、規定された練習をこなさせている。彩子とはまた違ったタイプの指導だが、桜木とはよく噛み合っているのだろう。
ふと、ふたりの側にボールが転がっていった。そのボールを追いかけて流川が近寄って行くので、どうやら何かを取り損ねたらしい。ワカナは桜木の前に出ると、すぐさまボールを拾い上げて流川にパスする。
「アリガトウゴザイマス」
「うん」
やりとりは一瞬だったので、桜木と流川はいがみ合うこと無く練習に戻っていく。それとなくワカナが壁になっていたのも大きいのだろう。ふたりとも集中を途切れさせることはなかったようだ。ワカナはそれについて何を言うことも無く、また桜木に向かい合っている。
なるほど、宮城ワカナは随分と面倒見が良いらしい。三井は今日、そのことをはじめて知った。
「なあ木暮、宮城ってどんなヤツ?」
「お前の歯を折った2年生、かな」
「ちげえよ、そっちじゃなくて妹のほう」
「えっ、そっちなのか?」
昼休みに木暮の元を訪ねた三井は、そんなことを聞いた。弁当をつつきながら遠慮のない返事をしていた木暮は、その質問に少し驚いたようだった。
というか、リョータに対しての質問だったとしても、中身がなさすぎる回答だと三井は思う。歯を折られた当人なのだから、それぐらいは知っているのだ。けれど木暮のこういう、何とも言えない性格は今に始まった話ではない。そのまま流して本題に移ることにした。
「2年ぶりの復帰だから後輩とも積極的に話してえんだけどよ、さすがにオレのこと嫌いなやつには雑談振れねえだろ」
「三井は結構、そういう繊細な気遣いするよなあ」
「今回はオレが悪いことだしな」
木暮は楽しそうに笑った。彼は穏やかで優しい性格をしているので、三井が部員に歩み寄ろうとしているのが嬉しいのだろう。それでも弁当を食べる手を止めないのが木暮らしい。三井も倣って、購買で買ったパンを頬張る。
「兄のほうに比べたら、随分大人しい子だよ。真面目だし、仕事も丁寧だし、声も滅多に荒げないし」
「じゃあオレがその滅多な事か」
「まあ、そうだな」
ワカナが元来大人しい少女であることは、この短期間で三井にも分かっていた。そんな少女が肩をいからせて罵倒してくるほどのことを、三井はしでかした。
被害者である当のリョータは三井に対して特に怒りを抱いていないようだが、考えてみればそれも変な話なのだ。替わりに被害者にほど近い家族であるワカナが、今も三井に怒りを抱くのも訳は無い。だからこそ三井は、今日まで黙ってワカナの怒りを受け入れている。
ただ、そこまで考えて三井は不思議に思う。ゆるせないのならば、なぜワカナはいちいち己に話しかけてくるのだろう。
おそらく宮城ワカナにとって、三井寿は大切な家族をひどい目に遇わせた憎い男だ。ならば顔を見るだけでも嫌気が差すだろうに、ワカナはバスケ部に留まり続けている。三井と当初に交わした、暴言は一日一度までのルールを守りながら。彼女が己に突っかかる理由は何なのだろうと思ったのだ。
「木暮さん、三井サン。お昼休みに失礼します」
「宮城、どうしたんだ?」
「体育館の照明点検について各部活にお知らせが出ましたもので。この後赤木さんの方にも行きます」
「そうなのか、ありがとう」
噂をすれば影。3年生の教室に、お知らせのプリントを持ったワカナが現れた。職員室を通りがかった際にプリントを渡され、そのままここまでやってきたらしい。放課後まで待っても良かったのだろうに、律儀に届けに来る辺り本当に真面目な生徒なのだろうと思った。
三井の方からは特に話すことも無かったので、そのままプリントについて説明を続ける横顔を見つめる。見れば見るほど、兄であるリョータとは似ていない。黒がかった真っ直ぐな髪に、切れ長の瞳。双子であることを知らなければ、同姓の赤の他人だと言われても信じるだろう。
「あの、三井サン?」
考え込みながらまじまじと見つめすぎたらしい。気がついたときには、ワカナはどこか困惑した表情を浮かべていた。奥で苦笑する木暮も、あからさまな視線を諫めるように頰を掻いていた。誤魔化すための言葉も浮かばなかったので、三井は思ったままを口にする。
「さっきからお前のこと考えてたんだけどよ」
「えっ……?」
「お前オレのこと嫌いだろ?でも約束だからって暴言吐きに来てくれてんなら、オレの事は無視しても良いんだぜ」
その言葉を聞いたワカナは、驚くほどに目を見開いた。こぼれ落ちそうなほどに目を丸くさせて、三井の言葉を受け止めている。三井としては良い提案をしたつもりだったので、まさかそこまで動揺されるとは思っていなかった。心なしか、側で聞いている木暮も息を飲んだような気がする。
眉をこれでもかと寄せたワカナが、細く長く息を吐く。そうしてややあったあと、やけに重苦しく口を開いた。
「私は、リョータにひどいことをした三井サンのことが憎いですけど……」
「おう」
「嫌いでは、ないんです。だからこう、無視とかは……。申し訳ないし、別に、いいです」
罪でも告白しているかのような苦々しさを醸し出すワカナを見ても、三井の思考は少しずれた所にあった。そうなのか、嫌いでは無いのか。てっきりこの少女は、心の底から三井を嫌っているものだと思っていたのに。
「なーんだ、オレのこと嫌いじゃねえんだ。じゃあこれからは気にしないで雑談とか振るわ、何か悪かったな!」
「えっ」
「木暮もありがとうな、何かオレが勘違いしてたみてえだ」
「うーん、オレは特に何もしてないなあ」
ひとりで納得した三井は、うんうんと頷きながら会話を続ける。やはり人間関係というものは、悩んだら直接本人に聞くべきだ。らしくなく悩んでいたことを吹き飛ばすように笑えば、目の前のワカナはまだひどく困惑していた。
「おい、腹でも減ってんのか?菓子……とかはねえから、食いかけだけどこれ食う?」
困ったように立ち尽くすワカナに向かって、食べかけのメロンパンを差し出す。ワカナは視線を左右に彷徨わせたあと、三井の腹に向かって弱々しい平手を打った。
「うおっ」
「ちょ、調子に乗るな!ばか!あほ!ばか三井!」
そしてそのまま、ワカナは教室から走り去ってしまった。場に取り残された三井は、木暮に向かって首をかしげて尋ねた。
「食いかけは悪かったかな」
「そういうことじゃ、無いと思うぞ」
木暮の言葉を契機に、横で聞き耳を立てていたらしい同級生達が集ってきた。そして口々に三井の言動をなじり始める。何故だか、場に集まってきたのはほとんどが女子生徒であった。
「いやー、つい見ちゃったけど今のは流石に無い」
「後輩ちゃんかわいそう、三井が情緒を解さない男なばっかりに」
「三井お前コレやっから読んどけよ、少女漫画」
「やっぱオレが悪いのかな」
「それ以外無いでしょ!コレだから元ヤンはよお」
かしましい輪の中で物怖じもせずに会話する三井を、木暮は見つめる。改めて考えても奇妙な関係だ。ワカナは実際の所、嫌いたくとも三井を嫌えずにいるのだろう。そして三井は、変なところで繊細で大部分が豪快な男である。
ふたりが出会った当初はどうなるものかと気を揉んだものだが、これはそう心配しなくてもいいのかもしれない。未来のことはいまだ分からないが、少なくとも先行きは不安では無い。
ひとまずは放課後の部活動の事を考えながら、木暮は弁当の残りに箸をつけた。
▲
- 6 -back