日曜日の、昼間とも夕方ともつかない時間にシャワーを浴びて浴槽で凝り固まった体をほぐしているときだった。
 みょうじなまえがふと自分の手元を見ると、爪に塗られたばかりのマニキその断面がュアがつやつやと光っていた。決して派手な色でもラメが入っているわけでもない、何の変哲もない肌によくなじむ色のマニキュアだ。しかしそれは薄すぎることも厚すぎることもなく均一に、そしてはみ出すことなく爪を覆っている。
 なまえは入浴剤でレモン色に染まったお湯を弾く爪をぼんやりと見つめた。特別することもなく、ただただ時間だけが流れていく。しばらく湯船に浸かっていたなまえは、ふとお風呂に入る前までつまんでいたビスケットを出したままにしてしまっていることを思い出し、ようやくゆっくりと立ち上がり風呂場を出た。
 ゆったりとしたワンピースの部屋着に着替え濡れた髪をタオルで押さえながら自分の部屋に戻ったなまえの目に飛び込んできたのは、白い皿の上にある半分に割られたまま放置されてパサパサに乾燥していそうなビスケットと、マグカップの底に薄く残って乾き始めている紅茶の色素だった。
 なまえはそれらを一瞥してからなんとなく部屋の窓を開け、ビスケットの乗った皿とマグカップをキッチンに持っていった。流しにそれらを置き、その足で洗面所に向かう。引き出しからドライヤーを取り出して水分を飛ばすように風を当てていく。なまえは無心で髪を乾かし続け、大方乾いたところでドライヤーのスイッチを切ってからそれを仕舞い、部屋に戻った。
 見ると、自室のテーブルの上にはビスケットのかけらが落ちている。それを手でつまみ、なまえはゴミ箱に小指の爪の先ほどの大きさになったビスケットを捨てた。
 それからなまえはテーブルとは別にある、勉強用の机に目を向けた。
 机の上には淡い黄色や桜貝の色に細やかなラメが混じったもの、さわやかなマリンブルーに光沢が美しい紫など、挙げていけばきりがないほど様々な種類の色形をした小瓶に詰まったネイルポリッシュが行儀よく並んでいる。
 みょうじなまえの趣味は、ネイルポリッシュを集めることだった。
 今なまえの爪を彩っているのは柔らかく透き通るような桜色で、それはきっちりと間違えた部分など一切なく塗られており、そこだけの世界が完結していた。
 なまえは自分の爪をしばらく見つめてからふっとため息をつく。それから思い出したように顔を上げて自室のクローゼットを開いた。明日の洋服を決めておこうと思い立ったのだ。大学に入って2回目の春を迎えたが、今だに私服で通学するというのは毎回コーディネートを考えなければいけない、という意味で慣れることはない。
 明日は少し気温が高いらしいので、花柄のワンピースに薄手のカーディガンを羽織っていこうと決め、それらをクローゼットの取り出しやすいところへ移動させてから扉を閉じた。
それからなまえはなんとなく携帯を手に取りメールの受信画面を確認した。大学から学部生に全員に向けたセミナーの知らせのメールがきていたが、数時間前に読んでいたし、なまえには関係のないものだったために見たついでに削除する。携帯を手放してベッドに仰向けに寝転がった。すでに明日の授業の準備は終えており、服装も決めてしまったためやることがない。
 もう寝てしまおうかと部屋の電気を消して試しに目を閉じてみたが、眠気は襲ってこなかった。早く眠ってしまいたい、となまえは思った。なぜか心がとても疲れていた。
「早く眠ってしまいたい」
 つぶやかれた言葉はしかし眠気が現れず実現できない。
 なまえは目を開けて携帯のロック画面を見つめた。暗くなるまでじっと液晶画面を見続け、バックライトが消えてからようやく携帯を手放す。
 薄暗い部屋の中、なまえはベッドで両膝を抱え目を閉じた。静かな部屋で、ただ時間だけがいたずらに過ぎていく。優しい眠りを待ちながら、なまえは柔らかくとろけるような桜色に彩られた自分の爪と、小瓶に詰められた美しい色彩たちのことを思った。

小さな世界と色彩たち