その連絡は突然だった。
「来月の第二週の日曜日空いてる? 空いてるならよかったその日は絶対に空けておいて、予定を入れないで」と友人の奈緒美に念押しされついでのように「ああ、そうそうその日、あたしたちの前後三代くらいの島田ゼミ生中心に同窓会やることになったからよろしくね」と重大すぎるお知らせを告げられたのだ。
なまえは長い付き合いになる友人を小一時間ほど質問攻めにしたかったがぐっとこらえ、降谷さんが行くなら行く、となんとも主体性のない返答をした。
『え、あたしは企画してるから絶対いるんだけど、それでもだめ?』
『企画する側ならナオさん忙しいでしょ? 同窓会なんて久しぶりだし、親しい間柄かつ一緒にいられる人がいないと抵抗があるかなぁって』
 なまえがそう返せば、電話越しに軽やかな笑い声が響いた。
『まぁ、それもそうか。了解。今月までに返事もらえるかな?』
『うん。わかり次第連絡するね』
『はーい。来ても来れなくてもまた今度ランチしようね。それじゃあ』
『またねー』
 気の置けない友人はさらりと次の約束を取り付けて電話を切った。なまえは友人とのやり取りにひとり笑みをこぼしてから、携帯に指を滑らせもうひとりの旧知の間柄の先輩へメッセージを送ったのだった。



 そして同窓会の当日。なまえは予定が空いていた降谷とともに地元の駅で待ち合わせ、会場となるホテルまでやってきた。
 届いた案内メールによると、今回はホテルのレストランを貸し切り、ビュッフェ形式で各々好きな料理を自由に取り分けられるようにするらしい。歓談するもよし、食事を楽しむもよしな緩い集まりだそうだ。
「こういう感じだと、気楽でいいですね」
「そうだね」
「あ、そういえば訊きました? 企画の話」
 自由参加のちょっとした企画も催されると奈緒美から転送してもらったメールに書かれていた。しかしその詳細は不明だ。聞けば、降谷も企画の存在は知っているようだが内容までは把握していないらしい。
「ナオさんが、絶対参加したほうがいいよって言ってましたよ」
「へぇ?」
 なにを企画したのかは考えても詮ないのでさておき、会場へ足を踏み入れると意外にも多くの人が集まっていた。知った顔それなりにいる。
 幾人かと挨拶を交わしつつ、適当な席に着いて話しているとすぐに時間になった。幹事の自己紹介が入る。昇順に一水義幸、栄原えいはら朝士、王木拓真、神田毬、栗幅有菜、高槻智治、鍋島来未くるみ、仁科奈緒美、糠谷啓太、根石直昭、米重比奈の11人だ。全員、幹事と分かるように名札をつけている。
なかなかめずらしい名前が集まったなという月並みな感想を抱きつつ、簡潔にまとめられた説明を兼ねた自己紹介に耳を傾ける。
 一水義幸はNPO法人で働いており、よく海外に足を運んでいるらしい。そして趣味は登山というアクティブな人だ。栄原朝士はアメリカに住居を構えており、米国特有の送金サービスを利用して投資をしたり寄付をしたりと、仕事はよくわからないがこちらも相当活動的な人だ。王木拓真と神田毬はともに弁護士だ。ただし王木が刑事事件を中心に扱っているのに対し、神田は企業の顧問弁護士だというから方向性は違う。栗幅は仕事のことには触れず、最近よく行くという国について熱心に語っていた。
 高槻智治と鍋島来未、仁科奈緒美は特に個人的な話に触れることなく挨拶を済ませ、糠谷啓太はなぜか幹事たちに向かって結婚をしても名字は変えないでくれると楽しいといった内容の演説をした。確かにめずらしい名字ばかりだが、うれしいではなく楽しいというあたりに彼の愉快さを第一に考える性格が滲み出ている。続く根石直昭は苦笑しつつ無難に挨拶を切り上げ、そのあとの米重比奈も短く自己紹介を終えた。
 挨拶のあとは同窓会についての説明が入る。今回集まったのはちょうど降谷となまえの代の前後らしい。なまえは二つ上の学年とはほとんど面識がないが、同学年は言わずもがな、降谷の学年とひとつ下とは在学時に交流が深かった。あまり緊張しすぎずに過ごせそうだ。そう思っていると降谷と視線が合う。安堵しているのが筒抜けだったらしく彼は目を細めた。それにばれたか、と小さく笑い返したところで、会場の空気が緩む。壇上に動きがあった。司会進行役らしいいちばん上の学年にあたる一水と栄原から、なまえと同学年の高槻と奈緒美にマイクが渡ったのである。ここから先は例の企画の話らしい。
「さて、私たちから企画の話をさせていただきます。自由参加ですので、みなさんここからはリラックスしてお聞きください」
 高槻の茶目っ気たっぷりの口上にところどころから笑い声が上がる。
「謎解きです。参加表明をしてくださった方には封筒をお渡しします。その中に謎が書かれた紙が3枚入っているのでぜひ解いてみてください。ちなみに、難易度はかなり高いですが、もちろん文明の利器を使ったり答えを共有したり……なんてしないでくださいね」
 にやりと笑ってみせた高槻から奈緒美が続きを引き継いだ。
「謎を解いていくとわかるかと思いますが、この中、私たち11人の中に、ある素敵なものを持った人がいます。その人物がわかったら私、仁科か高槻まで言いに来てください。」
 奈緒美は芝居がかった仕草で片手を広げてみせる。
「さて、素敵なものを持った人はだれでしょう? Who has a nice something? 謎解きゲームです。ぜひ参加してみてくださいね。参加者全員にコースターをプレゼントしちゃいます。先着順で景品……失礼、素敵なものですね……もあります。ひとり挑んでもいいし、協力してもいいですよ。ただし、ひとチーム二人まででお願いします!」
「それでは参加する方はこちらへどうぞ。おしゃべりに興じながら、料理を楽しみながらでも構いません。ぜひ参加してみてください」
 最後に高槻が締めくくり、空気が一気に弛緩し渾然としたにぎやかさを取り戻した。
「楽しそう! 降谷さん、せっかくですし解くだけ解いてみませんか?」
「そうだね」
 奈緒美が参加したほうがいいといっていた理由がよくわかった。この企画の端緒も奈緒美と高槻だろう。思えば二人もイベントごとや謎解きなどが好きだった。
 なまえと降谷がそろって奈緒美のほうへ足を向けると、彼女はすぐにこちらに気づいて小走りに寄ってきた。
「なまえ、零さん!」
「ナオ、久しぶり」
「ナオさん、久しぶりー」
 二人のあいさつに奈緒美は華やかな笑顔を見せ、懐かしげに目を細める。
「お久しぶりです!」
 降谷と奈緒美は連絡こそ取ってはいたが、実際に会うのは降谷の卒業以来だろう。彼女はうれしさと安堵が入り混じった表情で笑った。それから、会っていなかった長い年月を感じさせない様子で疑問を口にする。
「もしかして、二人は一緒に来たんですか?」
「うん。久しぶりに参加するから心細くて」
 なまえが返し、同意を求めるように隣へ視線をやると、降谷も小さく笑んで頷く。
「そう。俺も久しぶりだから」
「ほんと、二人とも全然参加しないから!」
 奈緒美はすねたような声色をつくってみせてから、すぐにふっと口元を柔らかくほころばせる。
「でも、今日来てくれてよかったです。二人とも参加しますよね? 謎解きゲーム」
「もちろん」
「そのつもりだよ」
 息の合った返答をする二人に、そうこなくちゃ、と奈緒美が笑みを深くした。そしてコースター2枚と長3封筒を降谷に手渡しながらよどみなく説明をする。
「とりあえず、参加記念のコースター渡しておきますね。あとこの中に問題が入っています。答えがわかったら、あたしか高槻までお願いします」
「はーい」
「ありがとう」
 紙でできたコースターには今日の日付とかわいらしいうさぎがプリントされていた。降谷となまえはそれぞれコースターを眺めてから鞄にしまう。
「じゃあ、二人ともがんばってください! またあとでゆっくり話しましょうね」
奈緒美はなまえと降谷に笑いかけ、手を振って去っていった。
「……さて、と。とりあえずなにか飲みながら解こうか?」
 彼女の背中を見送ったところで、降谷は先ほどのテーブルに戻り荷物を置いてそう提案する。
「はい。あ、私飲み物取ってきますよ。なににします?」
「ああ、ありがとう。じゃあアイスコーヒーをお願いするよ」
 了解です、と冗談めかした口調で返答してなまえは飲み物を取りに行った。グラス二つに氷とコーヒーを注ぎトレーに載せ、脇にあったストローを添える。トレーを傾けないようゆっくりとした歩調で降谷がいる場所まで戻ると、意外なことにだれからも声をかけられていなかった。
「お待たせしました」
「ありがとう」
 なまえも席に着き、アイスコーヒーをそれぞれの前に据えられたコースターへと置く。
「みんな、ゲームに参加してますね」
「そうだね」
 周囲を見渡すと、半数ほどが着席してペンを片手に問題に集中しているようだった。面識のある人が多く出席しているはずなのに降谷が全く話しかけられなかったことに納得する。いや、それ以前に降谷自身も例の封筒をテーブルの上に置いており明らかに人を待っている様子のため話したくても声はかけ難いだろう。
 なまえは同窓会というより謎解き大会みたいだなぁと他人事のように思いつつ椅子に腰かけた。向かい合って落ち着いたところで、さっそく降谷が封筒の中身を取り出していく。
「意外と問題数が多いみたいだよ」
「あ、ほんとうだ」
 もっと軽い、紙1枚程度のクイズを想定していたが、どうにも違うらしい。封筒にはA6サイズの厚みのある正方形の洋紙が3枚入っている。
 ひとまずすべての問題を確認することにして、なまえは目についた紙を手に取った。
「……音符?」
「うん?」
 疑問形で転がったなまえの言葉に降谷は首を傾げて彼女の手元をのぞき込んだ。
 そこに書かれていたのは四分音符と八分音符、それから四分休符。見慣れないと感じる理由は、五線は引かれているのに音部記号や小節線などがないからだろう。それにどの音符もファの位置にある。
 左から順に、四分音符、四分休符、八分音符、四分音符、四分休符、八分音符、四分音符、八分音符が二つ、四分休符、四分音符、八分音符、四分音符という並びだ。
 問題文には端的に『Q1 この暗号を解読せよ。』とあった。
「うーん……」
 首をひねりつつ、ほかの問題はどうだろうかと顔を上げて降谷のほうを窺う。すると、彼はまだ確認していなかったその手元の紙を一瞥し、考えるようにまばたきをしてからなまえへ差し出した。
 そこには音符の問題と同じようにQ2と番号が記載されていた。図形のようなものが載せられている。縦長の長方形の、右上部分が欠けているようなシルエットがある。隣にはそれを鏡に映したように正反対となっている形のもの。二つの間は少し離れていて、その隣はまた空白があり、今度は小さな正方形が、そしてまた白い空間があり、次は欠けていない長方形が置かれている。
「これってよくある、描かれていないところを読む、みたいなのですかね……?」
「どうだろうね。たぶんそうだと思うけど……。もう1枚は?」
 なまえは近くにある裏返ったままだった白い厚紙を表にした。
「あら。論理パズル、ですよね?」
「論理パズルだね」
『Q3 この中には正直者が二人と嘘つきが三人いる。
 King「Jackは嘘をついている」
 Queen「Kingこそ嘘をついています」
 Jack「Aceが嘘をついているよ」
 Ace「Jokerが嘘つきに違いありません」
 Joker「いいや、私は正直者ですよ」
 この中から正直者を探せ。Answer:□&□』
 一通り見たところで、なまえは首を傾げつつ降谷に訊ねた。
「これって、答えがつながっているんですかね? 小問それぞれの答えが全体の解答になる、みたいな?」
「そうだと思うよ」
「うーん」
 しかしそれにしても、どれもそれぞれ問題の毛色が違う。いや、というよりも統一感がない印象を受けた。降谷も似たようなことを思ったのか、彼はおそらく、と前置きをして推測を述べる。
「複数人が各々出したアイディアをつなぎ合わせてつくったんだろうね」
「ああ、やっぱり。ひとりで考えるのも大変ですしね」
「それにしても完成度が高くて驚きだけどね」
「あはは、そうですね」
とても手が込んでいると思う。今回の発案者は奈緒美と高槻だろうが、ほか6人もよろこんで協力しているような気がする。そもそも、この紙にもお金をかけているような。
 企画への熱意がわかったところで問題に着手することにしよう。
 それぞれ別の問題から解き始め、三つの問を各々が考えてから答え合わせをすることにした。役割分担をして早く解くよりもすべての問題に目を通して余すところなく楽しみたいという点で降谷となまえの意見が一致したのだ。参加人数が決まっていて時間制限のあるリアル脱出ゲームなどと違い、ゆっくり雑談を交えながら解いていくのを楽しめるのがいい。
 最近読んだ本のこと、職場でのほのぼのエピソード、なんとなく買ったチョコレートがおいしかったこと。いろいろな話をしながら、時折思い出したように問題を考える。
 数分は経っただろうか。なまえは最後に回ってきたQ1の問題をじっと見つめている。会話は途切れており、降谷はすでにすべて答えがわかっているようで優雅な仕草でコーヒーを飲んでいた。
 Q1、つまり音符の問題だ。ほかのものは答えがわかったが、これは解決の糸口さえも見つけられない。ひとりで首を傾げてついでに身体も揺らして考えていると、降谷が笑いをこらえきれずにふふっと空気をもらした。
 顔を上げれば彼は俯き加減で口元に手を当てて肩を揺らしている。なんて失礼な。そう思ったところで目が合ったので、視線で笑うなと訴える。
「どう? 解けそう?」
 すると今度は柔らかい笑みを浮かべた降谷にそう問いかけられたので、なまえは無意識のうちに組んでいた腕を解いてQ1と書かれた紙を降谷にも見えるよう向きを変えた。
「これ、難易度はあえて差をつけてるのかなぁ。この図形と論理パズル……えーと、Q2とQ3は解けるんですけど、音符の問題が全然わからないです」
 音符が並んだ紙を一瞥した降谷はああ、とひとり納得したように頷いてから少し言いよどむ。
「……難易度か。……高い、けどそれよりも意地が悪いというか……」
 どうにも歯切れが悪い。降谷にしてはめずらしいと思いつつも、なまえはまったく答えにたどり着けそうもない。
「うーん……もっとヒントください」
「全く思い浮かばない?」
「全然ひらめかないので、ちょっと思考停止してます」
 正直に告白すると降谷は一度小さく笑ってから少し真面目な表情で口を開いた。
「まず音程の変化がないことと音部記号がないことから、音の高さに重要な意味はない。なくても伝わるものを示しているのが推察できる。……というのは?」
「……ええ、まぁ。そこまでは」
「次に、ここに出てくる音符は二種類のみ」
「休符は区切りっていう認識は合っていますか、降谷先生」
「合っていると思うよ」
「なんですか、そのふわっとした返答は」
「出題者に聞くまではわからないからね」
 穿ちすぎだろうか。降谷は含みのある微笑を浮かべている。
「……うーん。もう少し考えてみます……」
「じゃあ先にほかの問題の答え合わせをしようか」
 なまえがわからない問題につまずいたままでいるよりも建設的だ。ちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけ、悔しいけれど。そんな思いは表情に出さないように心がけ、なまえは降谷に頷いてからQ2の紙を人差し指で押さえた。
「えーと、この図形はTとO、かな? と」
 思いました、と付け加えて窺えば、降谷は首を縦に振った。
「俺も同じ答えになったよ」
 図形以外の部分から答えを読み取る問題だが、合っていたようだ。
「よかったー。こういう図形のって苦手で。物理的に視点を変えるのがちょっと」
「少しわかる気がする」
「それってどっちの意味ですか?」
「みょうじが苦手って意味で」
 さすが付き合いが長いだけある。ばれているならどうしようもない。よくご存じですねという意味を込めてなまえが深く首肯すると降谷が破顔した。
「えーと。次のQ3は……KingとAceが正直者、ですよね?」
「俺も同じ答えになったよ」
 なまえはふっと息を吐いて胸をなでおろした。論理パズルは丁寧にやっていけば必ず答えが出る問題だが、実は合っているか少し不安だったのだ。
「Kingを正直者と仮定して解き始めたらあっさり終わっちゃって、間違えているかと思ってほかの組み合わせがないかも確認しちゃいました」
「ひっかけじゃなかったけどね。……それで、Q1はわかりそう?」
 いたずらっぽく目を細める降谷と視線を合わせ、なまえは「たぶん」と頷いた。
「終着点まではたどり着けなかったんですけど、たぶん……たぶん」
 音程は関係ない。音符は2種類。休符は区切り。意地の悪い問題。おそらくこれだろうなとは思う、が、わからないから確信は持てない。
 合っていますように、と祈るような気持ちで口を開いた。


ホワイト・エレファント