問題を解き始めて数分後、二人がペンを置いたのはほぼ同時だった。
「……終わった?」
「終わりました」
 せーの、で声を合わせて答えを読み上げていく。フジイロ、インディゴ、クリイロ、コガネ、ルリイロ、シロ、サンガツ、アイイロ、ミドリ、ハイイロ、モエギ、スナイロ、アズキ、アオ。
「合ってたな」
「合ってましたね!」
 二人の解答がすべて合致したところでなまえは降谷のほうへ紙を滑らせ、問題用紙の空欄へ色を順番に書き込んでもらう。
 降谷が記入を終えたところで、彼は正方形の紙へ手を伸ばして中央へ置いた。なまえは軽く身を乗り出すように紙へ顔を近づけ、問題を見つめる。
「Q1の問題は、7番目と9番目のウサギ……ということはミドリウサギとサンガツウサギ、ですね」
「サンガツとミドリ、ということは?」
「“march”と“green“を消していけばいいんですよね?」
「おそらく」
 語順は変えず、それぞれ出てきた順にM、A、R、C、H、 G、R、E、E、Nの上へ斜線を引いていく。残ったのは。
「HEISEIHARA。へいせいは? 平成は……?」
これだけでは意味が通じないような。ということは、次の問題を解かないといけないのだろう。もしくはこの解答が間違っているか。どちらにせよ次に進むしかないだろう。
「……ひとまずそれは置いておくとして、Q2に移ろうか」
「はい」
 同じ考えに至ったらしい降谷に頷き返し、残った問題へと視線を移す。
「あ、解く前に。みょうじ、裏は確認した?」
「え?」
 なんのことだろうと見返せば、降谷のしなやかな手が動き、厚紙を裏返した。
「あ……気づいていませんでした」
 そこには、淡いグレーのインクで11羽の鳥――白鳥だろうか――が描かれており、加えて問題のヒントだと思われる短い文章も添えられていた。
『Elisa was executed as a witch.』
「……表にも書かれていましたけど、完全にアンデルセンの『野の白鳥』ですね」
「そうだね」
『野の白鳥』はアンデルセンの数多くある有名な作品のうちのひとつだ。
11人の優秀な兄と末の妹・エリーザ。彼らは幸せに暮らしていたが、父親である王がある日、悪い妃と結婚したことで生活は一変する。エリーザは田舎へ連れられ百姓の夫婦のもとで暮らすことになり、兄たちは妃の呪いで白鳥へと姿を変えられてしまった。
 歳月が流れ、エリーザは白鳥に変えられた兄たちを元に戻す方法を知る。それは、イラクサで鎖帷子を編むことだ。編んでいる間、誰とも口を聞いてはいけない。さもないと王子たちは死んでしまう。エリーザは痛みに耐えながら編み物を続けていた。そんな中、ある国の王に見染められエリーザは王妃となる。
王妃となってもエリーザは隠れて鎖帷子を編み続けるが、ある晩に足りなくなったイラクサを摘みに行ったところを目撃されてしまう。そして魔女だと疑われた彼女は処刑されることになる。
当日、処刑場へ向かう馬車の中でも編み物を続ける彼女を視界に捉えた民衆は、薄気味悪いと鎖帷子を引き裂こうとする。そこに11羽の白鳥が現れエリーザをかばう。役人がエリーザの手から鎖帷子を奪おうとする寸前、彼女はそれらを白鳥たちへと投げた。すると11羽の白鳥は11人の王子へと姿を変えたのだ。エリーザは疲れで意識を失うが、いちばん上の兄がこれまでの出来事を話して聞かせ、彼女に罪がないことを証明し、魔女の疑いは晴れた。
 こんな概要の話だった。なまえは幼い頃によくこの話を読んでいたし、以前引っ越し祝いと称してアンデルセンの全集を購入し何度も読み返している。
「エリーザは魔女として処刑された、か……」
 降谷がそうこぼし紙を表に直した。英語の意味は理解できるが、腑に落ちない。エリーザが辿った人生とは対照的な一文だ。なまえはエリーザが魔女として処刑されていた場合を考えてみたが、問題は解けそうにない。
「うーん、うーん……火あぶり?」
 エリーザの処刑方法を口にすると、降谷は視線で肯定をくれる。しかしそれがなにに対する肯定かは謎だった。降谷はなまえがアンデルセンの全集を持っていることは知っているから、憶測で処刑方法を言ったわけではないとわかっているはずだ。
「答えはもう出てるよ」
 楽しげに目を細めて言う降谷を見返し、首を捻って数秒。そのままだよとヒントをくれる彼と視線が合った瞬間、答えがわかった。
「え、あー……そのままって、そういうこと?」
「そういうこと」
「でも方法は……あ! わかったかも。もしかしてさっきヒント言われました?」
「言われてたね」
「あー。わかったと思います。でも確かめたいのでちょっと待ってください!」
 降谷に導いてもらってばかりで少し悔しいからとなまえが付け加えれば、言われた本人は思わずといったようにもれた笑みをきれいに爪が整えられた手で口元を覆い隠し「それじゃあ待ってるよ、いってらっしゃい」と意気込む後輩を見送った。
 応援を背に、なまえは迷わずパウダールームに足を向ける。ずらりと並んだ鏡の一番手前にある箱からドライヤーを取り出し、スイッチをTURBOへ切り替えてQ1と書かれた紙に熱風を当てた。そして十分に温めたその紙のアルファベットの書かれた面を見れば、今までなかった丸い円が四つ浮かび上がっていた。それは左から順にr、k、d、n、iをそれぞれ囲んでいる。
 熱が冷めて円が消える前にその丸にボールペンで上書きして会場へ戻り、なまえは待っていた降谷に紙を差し出した。
「この四つのアルファベットに印が出ました」
「なるほど」
 顔を見合わせ、同時に答えを言う。
「drinkだね」
「drinkですね。けど……」
 解き方に辿り着いてしまえば易しい並べ替えだ。しかし、なまえはその先でつまずいてしまっていた。彼女の語調と顔色から続きを悟ったのか、降谷は見守るような視線をなまえへ向ける。
「……お察しの通り、これがどう答えにつながるのかわからないんです」
 ヒントをくださいとなまえが見返せば、降谷は笑みを深めた。
「伏線回収がまだされていないものがあるよ」
「伏線……」
 今までさりげない会話が解決への手がかりになっていたが、降谷が伏線回収とまで言うのなら、なまえはその手がかり以上に重大なものを見落としていることになる。
 これまでに引っかかったものはなにかあった気がする。しかし思い出せない。そしてdrinkといえば、今も飲み物が入ったままのグラスが手元にある。飲み物は何種類か試したが、グラスに入れるときも飲み終わった後も特に変わった点はなかった。ドリンクコーナーも特筆すべき点はなかったように思う。
 なまえは自分のグラスに視線を移し、じっと見つめた。汗をかいたグラスがコースターを濡らしている。コースターは各テーブルに置いてあった安っぽい素材でできていた。気がつかないうちにグラスがずれていたのか、コースターをはみ出して水滴がテーブルを濡らしている。中身はごくふつうのアイスティーだ。
 そこまで考えたなまえは違和感を覚えた。
「……なんだろう」
「いま、答えになりそうなものが視界に入っていたよ」
「え?」
 降谷の遠回しの助言を受けてなまえはもう一度辺りへ視線を配る。並べられた料理、カトラリー、ドリンクコーナー、謎解きに挑む人々。降谷の手元、封筒、皿、アイスコーヒー。確かになにかに引っかかりを覚えるのだが、なまえはその正体が掴めないまま降谷へ苦笑を向けた。
「んー、ちょっとどこか引っかかった気はするんですけど……降参です」
 なまえが首を振って告げると、降谷は「無意識的には情報を拾っていると思うよ」と微笑んでおもむろに鞄からなにかを取り出した。
「ほら」
 片手に収まるほどの紙片に見えたそれは、ただの紙より厚みがある。
「もらったコースター?」
「そう」
降谷が謎を紐解いていく。いたずらっぽい微笑みをたたえた彼がグラスを持ち上げてコースターをテーブルに敷けば、デフォルトされたうさぎが隠された。振動で水滴が重力に誘われるままグラスを伝い滑り落ち、氷が解け切ったグラスはしっとりと厚紙を濡らしていく。
「あっ……」
 彼が水で濡れたコースターからグラスをどかすと、その面にはそれまでなかった文字が浮かび上がっていた。
「使われているのはハイドロクロミックインクだろうね」
 これは水によって変色するという特徴を持っているハイドロクロミックという物質を利用したものだと降谷が付け加えた。ハイドロクロミックインクが使用されているものは、多くの人にとって絵描きシートや習字の練習用ボードなどが一般的な製品として思い浮かぶかもしれない。
「あー、だからわざとコースターが各テーブルに置いてあったんですね……」
「そうだね。しかも違和感を持たれにくいように砂糖やミルクも用意してね」
「手が込んでますねぇ。えっと、それでコースターに書かれているのは順番に8、7、14、6、10、2……」
「こっちは問題なく解けそうだね。じゃあみょうじ、Q1の問題は?」
「えっと……なんでしょう……」
「毛色は違うけど、問題は統一されているよ」
「統一?」
「そうだね。難しく捉えず、素直に考えればわかるよ」
なまえは彼のヒントをもとに問題に共通しているものを脳内で挙げていく。まず思いついたのは童話だが、最初の音符の問題はモールス信号だった。童話ではないだろう。統一という意味でも別々の物語をモチーフにしている点で平仄が合わない。ではなにかヒントになるようなことは主催が言っていなかったかと思い出してみる。
「あっ!」
「わかった?」
「あー……素直に、そうですね……英語、ですよね?」
 正解、と降谷はなまえに教師のように頷いてみせる。そしてQ1の解答欄に並ぶアルファベットの文字列の上の部分にペンを走らせた。
「そう。つまりこの答えは……He is Eiharaになるね」
「なるほど。……そしてこっちのコースターはうさぎの順番を見ればいいんですよね。だから……」
 うさぎの並びはフジイロ、インディゴ、クリイロ、コガネ、ルリイロ、シロ、サンガツ、アイイロ、ミドリ、ハイイロ、モエギ、スナイロ、アズキ、アオだった。コースターに刻まれた数字と見比べていく。
「8番目がアイイロ、7番目がサンガツ、14番目がアオ、6番目がシロ、10番目がハイイロ、2番目がインディゴ……英語に訳せない色もあるからそのまま頭文字をとって……ASASHI……あ、さ、し……」
「つなげると?」
「栄原朝士、ですね」
「正解」
「……なんだかとても気力を使いました……しかも集中しちゃって全然ほかの人と話せてないですね」
 なまえが苦笑をこぼせば降谷も頷いて同意を示す。
「同窓会というよりはミステリー企画だな」
 広げた紙を片づけながらそう話していれば、主催側の奈緒美がグラスを片手に寄ってきた。
「なまえ、零さん、どう? 楽しんでる?」
「謎解きはね」
 簡にして要を得たとは言い難い言い回しだったが、奈緒美は彼の意図するとことを明確に汲みとったらしく声をあげて笑った。
「いやぁ、問題つくってたらみんな熱が入りすぎちゃって。それに思ったより参加率高いんですもん。でも、二人はずいぶん余裕そうってことは……もう解けました?」
 疑問形をとりながらも彼女は腰をかがめて降谷となまえに顔を寄せる。ただ談笑するだけのつもりではなく、主催として解答を確認しに来たのだろう。
「素敵なものを持っているのは?」
奈緒美が含み笑いをして問いかけた。なまえと降谷は視線を合わせ、頷き合ってから声を重ねる。
「栄原朝士」
 一瞬の間ののち、
「せいかーい!」
 と奈緒美が満面の笑みで手を叩く。そして隠し持っていたらしいベルを高らかに鳴らした。会場の視線が彼女に集まる。
「はーい、みなさん注目! クイズの正解者が出ました! いちばん最初に正解した二人には、高級和牛をそれぞれに差し上げまーす!」
 ベルによって一度静まった会場は、正解者が出たことと景品の豪華さに先ほど以上にざわめきだす。しかし奈緒美はそんな反応も意に介さず、よく通る声をさらに張って続きを言う。
「先着順であと10人まで景品を手に入れるチャンスがあります! 残りはワインとかアイスとかあるのでがんばってください! 以上!」
 連絡事項だけ告げ、奈緒美は満足げに息を吐くと椅子を引いてなまえの隣に腰を落ち着けた。
「いやー、さすが零さんたち。A5ランクの和牛だから届いたら家飲みしましょうね」
「ちゃっかりしてるな」
 当然のようににこりと笑った彼女に降谷はあきれた表情をつくってみせるも、雰囲気は柔らかい。
「おいしいお酒とお惣菜持っていくんで!」
「じゃあこの前ホットプレート買ったから会場は私の家かな」
「えっもしかしてたこ焼きもできるやつ?」
「できるよ」
「じゃあお肉の前にタコパだね」
 とんとん拍子に話が進んでいき日程が決まる。奈緒美はさっそくスケジュール帳に予定を書き込んでから、逡巡した様子をのぞかせつつも口を開く。
「……こうやって集まる予定があるの、うれしい」
 降谷の存在が欠けていた決して短くない年月に横たわっている喪失感は、彼にも彼と関わりの深かった人々にも残っている。
「だから二人も忙しいと思うけど、いっぱい遊んでくださいね!」
「ああ、もちろん」
「うん、行こうね」
 奈緒美はなまえと降谷の返答にはにかむと「会場の様子を見て回ってくるから、またあとで」と立ち上がり、先ほどよりも心なしか軽い足取りで去っていた。
 なお、同窓会の最後になまえと降谷が幹事たちの賞賛と羨望の入り混じった視線を受けながら手渡されたカタログを確認すれば和牛は一人2万円相当だった。景品だけが理由ではないだろうが、奈緒美が熱心に同窓会に誘ってくれた理由がわかると二人は笑い合った。
 また余談ではあるが、この同窓会がきっかけで有志の謎解きクラブが発足したりリアル脱出ゲームの参加チームが組まれたり、同窓会と別で謎解き会が開催されるようになった。


ホワイト・エレファント