自分たちの心を騙すためだ。騙しきれないことを理解しつつ、しかし嘘をつき続けるために縋ることができる事実をつくり上げた。ひどく重いそれは、同時に境界線を明確にするものでもあった。なまえは誰かの目があるとき――それがたとえ自分でも――降谷ではなく安室に対して接しなくてはいけない。



 アルコールが原因か重く感じる身体で寝返りを打ち、ベッドサイドへ手を伸ばす。眼鏡を手に取り身体を起こすと隣で安室が身じろぎした。ベッドから抜け出せば,
すでに安室も目を覚ましていたようで「おはようございます」とはっきりとした声で言って起き上がった。なまえは安室にあいさつを返し、とりあえずコーヒーを淹れようと覚醒しきっていない頭で考えながらキッチンへと足を向ける。
 安室に急いでいる様子はないから二人分淹れても大丈夫だろうと判断し普段よりも多い量の粉と水をセットする。
 なまえが壁に寄りかかりながら出来上がりを待っていると、安室がリビングへ来た。
「コーヒーですか?」
「はい。もう少しでできるので、よかったら先に洗面所使ってください」
「ありがとうございます。それじゃあお借りしますね」
「どうぞ」
 マグカップを二つ用意し、水が沸騰していく音を聞く。安室は朝食を食べていく時間があるだろうか。組んでいた腕を解き、なまえは冷蔵庫を開けてレタスとトマト、卵と牛乳を取り出す。冷凍庫にあるバゲットを焼くかフレンチトーストにするか迷っていたところでコーヒーが出来上がり、安室が戻ってきた。なまえは安室に椅子を勧めてからマグカップにコーヒーを注いで手渡し、自分も席へ落ち着く。
「安室さん。今日、何か予定あるんですか?」
「今日は午後から探偵の方で仕事があります」
 午後からということは、まだ時間はあるだろうか。それともそろそろ帰るのだろうか。下着などは昨晩コンビニで買いそろえたが、さすがにそれ以外の着替えまではなかったうえ、仕事の準備のため安室は一度自宅に戻る必要があるだろう。なまえが思考を巡らせながら時計に目をやれば針は午前9時を指している。
「安室さん。まだ時間、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですが……」
「それなら、よかったらごはん食べていきませんか?」
「いいんですか?」
 なまえを遠慮がちに窺った安室に「もちろんです」と頷けば、微笑で肯定が返ってくる。
「いまちょうどバゲットがあるので消費しようかなぁって思ってるんですけど、ふつうに焼くかフレンチトーストにしようか迷ってたんです。安室さんはどっちがいいですか?」
 なまえが尋ねると、安室は少し傾げてから口を開く。
「じゃあ、フレンチトーストで」
「了解です。私、ちょっと着替えてちゃいますね」
 マグカップを残して席を立ったなまえが寝室へ足を向ける。その背中を安室が呼び止めた。
「もし勝手に使ってもいいなら、僕がつくりましょうか?」
「え、いいんですか?」
 驚いて振り返るなまえに安室が穏やかな笑顔を見せる。なまえは安室に食事の準備を頼むことに決め、簡単に調理器具や食材の場所を説明してから身支度に取りかかるためリビングを後にした。着替えて顔を洗い、軽く化粧を施す。手早くそれらを済ませ、なまえがリビングに戻ればフレンチトーストの焼けるいい香りが漂っていた。
「おいしそう」
 安室の手元をのぞき込むと、危ないですよという言葉とともに視線が寄越される。形ばかりの返事をし、なまえはサラダをつくる作業に取りかかった。
 食事をつくり終え、テーブルに並べたところで席に着く。なまえが安室に頼んで表面をキャラメリゼにしてもらったフレンチトーストが湯気を上げている。
「いただきます」
 声をそろえて言い、なまえはさっそくフレンチトーストにナイフを入れた。パリパリとした表面とふわとろになった中身の食感に頬を緩ませながら咀嚼する。
「おいしいです」
 安室はなまえの感想に微笑んで返事に代えた。



 食事とその後片付けを終え、コーヒーを淹れ直した二人は再び席に落ち着いた。安室が出なくてはいけない時間まであと30分ほどあったため漫然と会話が続く。最近映画化されたことで話題になっている本についての話をしていると、不意に安室がリビングの本棚へ視線を移した。
「気になっていたんですけど、ずいぶん本が多いですね」
 見てもいいですかと尋ねる安室に二つ返事で了承し、なまえも立ち上がって本棚の前に移動した。
「いままでに買った本、全部持ってきたんです」
 なるほど、と頷いた安室が左上から順に視線で背表紙をなぞっていく。安室が眺めているあたりは純文学でまとめてあるため知っている本も多いのか、興味深そうに時折手に取って開いている。
 すると、おもむろに安室がある本に手を伸ばした。文庫本が多く占める本棚でハードカバーのものと並んでもなおひときわ目立っている大型本だ。
「アンデルセンの全集……」
 開いた本には挿絵が描かれている。なまえは安室が手に取っている全集の次巻を本棚から引き抜いた。
「これ、引っ越し祝いなんです」
 ページをめくるなまえに安室が視線を移す。
「もらった、わけないですよね。もしかして……」
「自分で買っちゃいました」
 両手で挟むようになまえが本を閉じると、遅れて前髪を風が揺らす。わざとらしく照れた声色をつくってみせたが、勢いで購入したことは安室に伝わったようだ。買ったことを後悔しているわけではないし、引っ越し祝いを口実にせずともいずれは手元に置きたいと思っていたため知られても構わないが、なんとなく気恥ずかしい。
 全集の話題を切り上げるように持っていた本をしまう。安室は空気を読んだのかに倣って本棚に本を戻した。
「みょうじさん、好きな作家は?」
「私は有名どころだと新名香保里さんが好きです」
 ジャンルを問わずにアンテナを建てていそうな安室にはもう少し知名度の低い作家を挙げても通じるだろうとは思ったが、ちょうど先日読み返していたため新名香保里の名前を言った。
「ああ、左文字シリーズの……」
「安室さん、読んでますか?」
「一応読んでますよ。最新刊はまだ買ってませんけど」
 読んでいるという部分に対しては同士を見つけたようでうれしくなったが、後半の言葉から彼の多忙さが透けて見える気がしてしまった。それはさすがになまえの穿ちすぎだろうか。
安室への単純な興味から詮索したくなる気持ちを抑えつつ口を開く。
「そうなんですか。私でよければいつでもお貸ししますよ?」
「いいんですか? それじゃあ今度、お借りしてもいいですか?」
 なまえは「もちろんです」と笑顔で返す。そのとき、ふっとあの賢い少年のことが思い浮かんだ。
「あ、ミステリーっていえば、コナンくんも好きでしたよね」
「ああ、コナンくん。たしかに……そうでしたね」
 安室の物言いはなまえにというよりはコナンに対して一歩引いているように響く。先日、ポアロでコナンが帰り際、安室に何かを囁いていたことを思い出す。安室もコナンに何かを言い返し、親しげに笑っていたはずだ。
「ずいぶん他人行儀ですね。安室さん、コナンくんと、とーっても仲が良いみたいですけど?」
冗談めかして核心に踏み込む。
コナンはなまえに安室と知り合いかと尋ねたのだ。以来の関係で何度も顔を合わせ、互いの名前を知っている状態で、一緒に誘われて安室のバイト先で食事をしているという、その前提があるのにもかかわらず。
なまえと安室は両者ともに微笑みを崩さないまま対峙した。安室は穏やかな表情で先ほどなまえがしてみせたのをまねるように小首を傾げる。
「嫉妬ですかね?」
 安室はどうやら話題をコナンのことから逸らしたいらしい。なまえは重ねて追究したら何がわかるのだろうかと思ったがおとなしく引き下がる。その代わりに安室のおふざけに乗ることにした。
「あら、どちらにでしょう?」
「コナンくんにかと」
「強いて言うなら安室さんに、ですね」
「それは残念です」
 相変わらず立て板に水の如くよく口が回る。思ったことをそのまま口に出しそうになりなまえは一度閉口した。
「安室さんは息をするように嘘つきますね」
 わざとらしく呆れた表情をつくり、ため息をつくようなふりをした。安室はなまえの言葉に笑って「そうですかね」と言い、柳に風と受け流す。
 なまえが安室を見上げたタイミングで安室もなまえの方を見た。目が合って、どちらからともなく失笑した。
「……あ、そろそろ出かける支度、しなくちゃですね」
 笑いすぎてうっすらと目じりに滲んだ涙を指先で拭い、時計を見やればあと10分ほどで11時になるところだった。
「ああ、そうですね」
 なまえを倣って時計に視線を移した安室が頷く。
 出かける支度といっても安室はもう出られるらしいし、なまえも荷物はまとめてある。することといえば、マグカップを洗うくらいだ。なまえは手早く二つのマグカップを洗ってついでに火元の確認をした。
「じゃあ、行きましょうか」
 お待たせしましたという言葉とともにそう言って、安室を先に出るように促して部屋の電気を消そうとスイッチに手を伸ばした。しかしその手はピクリと反応して止まる。
「ああっ」
「どうかしました?」
 思わずといったように声を上げたなまえに、安室が問いかける。なまえはすみません、と気まずさ半分、恥ずかしさ半分でリビングに戻る。
購入後しばらく本棚に陳列されたまま手つかずになっているうちから2冊を抜き取り鞄にしまう。部屋を見渡して忘れていることはないかを確かめ、今度こそ電気を消す。
「本、読もうかと思って」
 ドアの前で待っていた安室に言い訳のように付け加えれば、彼は穏やかな表情に柔らかさをまとわせふっと笑う。
「それは忘れてはいけませんね」
「はい」
 心を緩めたような笑みは、きっと気を許した友人にしか向けられない。
 視線でもう忘れ物などは大丈夫かと確認をする安室に、なまえは目礼で首肯してうれしさに綻びそうになったくちびるを引き結びながらリビングを後にした。
「みょうじさんはポアロに行かれるんですよね?」
なまえのマンションを出てしばらく歩いた分かれ道でふと道行く人に目を向けながら安室が言う。
「はい。せっかく近くなったので行きたいなと思って」
安室はなまえの意図を察しているだろうと思いながら、顔を出そうとする憂鬱さを押し込めて言葉を続ける。
「安室さんはお仕事ですよね、お疲れさまです。いってらっしゃい」
「ありがとうございます。いってきます」
 形式的なあいさつを交わしてなまえと安室は別れた。



 なまえはひとり喫茶店ポアロの一角に座っていた。時刻は午後3時過ぎ。時間がゆっくりと流れていく。
 なまえは安室と別れたのち、ポアロへ行く前に洋服と日用品を買うためショッピングセンターに寄った。つい先延ばしにしてしまいがちな買い物を済ませてしまおうという考えだ。なまえが賑わう店内を一通り見て回り必要なものを購入し終えてポアロへ訪れる頃には、時計は午後2時を過ぎたところだった。
 遅めの昼食を食べ終えたなまえは見るともなしに店内に視線を巡らせる。ポアロはなまえが住んでいるマンションから近く、落ち着ける空間だった。
しかし、それだけの理由でポアロに訪れたわけではない。ここに来たのは安室透と親しくなろうとするみょうじなまえを印象づけるためだ。恋愛感情を抱いていると周囲に思い込ませれば、安室の近くにいることはなんら不自然に映らなくなる。
「お待たせしました、アメリカンです」
 顔を上げれば梓という店員に微笑まれ、空になった皿と入れ替わりに注文していた飲み物が置かれた。目礼をして小さく笑い返せば、彼女は人懐こく目を細めて「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていく。今日も梓のほかにはマスター以外に人がいないようなので、彼女はアルバイトではなく正従業員なのかもしれない。
 カップに口をつければ、コーヒーの心がほどけるような香りが立ち上る。なまえはほっと息をつき鞄から文庫本を取り出した。しかし読む体裁を整えるだけで、実際のところ内容はほとんど頭に入ってこない。ひとりになると、安室といたときには忘れていた虚無感に似た割り切れなさを思い出してしまう。
 機械的に文字を追いながら、なまえは仕組んだような展開になってしまったことを思い返しては心によぎる痛みに知らず知らずのうちに眉をひそめた。すべてわかっていたことだし、罪悪感を覚えるのはなまえの勝手な都合でしかない。どうするか選び、提示したのはなまえだが、それを選択して受け入れたのは安室なのだ。
 ただ、安室がなぜなまえと会うことになったのかを知らせていないだけだ。
 なまえはこめかみを押さえて首を振った。せっかく持ってきた本は、いまは読む気になれない。
 携帯を取り出してニュース一覧のページにアクセスした。画面に指を滑らせていけば、いちばん大きく取り上げられているのはビッグ大阪の比護とアイドルの沖野ヨーコが熱愛発覚という記事だった。
 どちらにもそれほど興味はないが、沖野ヨーコからの連想で毛利小五郎を思い出した。彼は沖野ヨーコのファンで、たまにテレビで共演しているところを見かける。小五郎はメディア露出が多いため顔が知られており尾行などには向かないが、もしテレビに出演していなかったら安室の存在を知ることはなかったはずだ。
 安室と再会したこと自体は図ったことだったが、彼が毛利小五郎と知り合いであると知ったのは偶然だ。小五郎とともに歩く降谷の姿を町で見かけたことで、小五郎を介して接触できると考えた。
 もちもんなまえもすぐに接触しようと思ったわけではない。しかし、最後に会ってから何年経とうと見間違えるはずのない降谷の姿になまえの心は激しく揺さぶられた。
 なまえの日常から消えた、親しいと思っていた友人であり先輩である相手。気がつけば共通の知り合いの誰も降谷の連絡先を知らないという事態になっていた。なまえは古谷に嫌われたなどという理由ではないことは築いてきた信頼関係でわかっていた。しかし降谷が音信不通になったという事実はなまえの中にしこりを残した。そして時折思い出しては痛みを飲み込み、徐々に降谷のことは記憶から薄らいでいったのだ。
 それにもかかわらず、再会は突然、一方的に突きつけられた。なまえは動揺したが、同時に悟った。もともと切れている糸なのだ。それを結び直そうとして失敗したところで失うものなどないのだと。そして計画を立てた。ただの偶然をつくるために。
 当初の予定では降谷の写真を小五郎のもとへ持ち込み、関係を偽って小五郎と降谷のつながりなど知らないふりをして調査を依頼するつもりだったが、時期を計っているうちにストーカーらしき人物からのメッセージが見つかったため、その相談を優先することにした。ついでという体で降谷を探していることを切り出せばいいと考えた。
 しかし実際に小五郎のもとを訪れると、小五郎の弟子だと名乗る降谷零がいた。正確には、安室透と自己紹介をした人物であったが、彼の姿は記憶に残っている降谷零とほとんど変わらなかった。
 思いがけないタイミングでの再会につい目を見張ったが、降谷が初対面のようにふるまったためそれに倣った。驚いた表情をしてしまったことはその場に小五郎以外の人たちがいたことを意外に思ったと受け取られたため、なまえが降谷のことを知っていると気づかれることはなかった。
 連絡先を交換して食事に行った。降谷、もとい安室というべきか。彼は終始丁寧語を崩さなかったが、二人でいるときは小五郎たちといるときに比べて気さくな口調で話した。そのことが安室透ではなく、なまえがよく知る降谷零だということをいっそう意識させた。そして同時に離れがたいと思わせられた。
 安室がなまえとのつながりを断ち切ろうとしないかぎり、彼が当たり前のようにいる未来をなまえの方から手放すつもりはない。手放したくはない。
 なまえは静かに息を吐き出し、気分を変えるためにメニューを手に取った。
甘いものでも食べようかとケーキの載っているページを開く。カウンターに視線をやれば梓と目が合った。なまえの意図を察してやってきた彼女にケーキを注文する。お願いしますと切り上げれば、梓は笑顔で頷いたあとで予想外のことを言った。
「あの……なまえさんですか?」
「え?」
 どういう意味なのだろう。口元で笑ったまま彼女の言葉を反芻する。
「あ、ごめんなさい……! 前にコナンくんと来ていましたよね? 安室さんとも仲が良いって聞いたので……えーと……」
慌ててしまっているために要領を得ない話し方になった梓になまえは微笑みかけ、大丈夫だと目で伝える。彼女の断片的な話から拾ったところ、ポアロの常連である小五郎たちと関わりがあり同僚とも知り合いだという人物がいたから確認を兼ねて声をかけたのだろうと推測できた。
「前にコナンくんと一緒に来ました。毛利さんたちとも面識がありますし、安室さんともお話したことがあります」
 それと、名前もなまえで合っています。そう付け加えれば、梓はほっとしたように笑った。
「よかった。なまえさん、ですね。私は榎本梓です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 会釈を返したところで梓が他のテーブルから呼ばれて立ち去った。呼んだ客はどうやら常連らしく、梓は彼らと親しげに笑っている。なまえは少し話しただけだが、梓が明るい性格なのがよくわかった。美人であるということも相まって人気があるのだろう。
 梓の明るさに微笑みが誘われる。思わず口元を綻ばせたなまえは気持ちを切り替え、改めて本に手を伸ばした。栞を挟んだページを探して開く。さて、と読む姿勢に入ろうとしたところで再びテーブルに人が来た。
「……あの、なまえさんですか?」
 遠慮がちにかけられた声と同時に顔を上げれば、知った女性が立っていた。 
「あ、蘭さん……こんにちは」
 小五郎の娘の蘭が会釈をしてほっと目を細めた。その姿が先ほどの梓と重なり、なまえはつい笑みをこぼす。
「こんにちは。外からなまえさんが見えたので……すみません、邪魔しちゃって」
「そんな。むしろ、声かけてもらえてうれしいです。……蘭さん、今日はひとりなの?」
 見たところ、小五郎とコナンは珍しく一緒ではないらしい。蘭は頷き、なまえが椅子に座るように勧めると席に落ち着いた。蘭は時間があるようなので一緒にお茶でも、と誘いメニューを開いて手渡す。注文を済ませると、彼女は話を戻した。
「あの、なまえさん、沖野ヨーコ熱愛発覚っていうニュース見ました?」
 と話を振ってきた。なまえは脈絡のなさに内心で首をかしげつつ口を開く。
「ああ、それならさっきちょうど見てました。毛利さんがショックを受けそうだなって思いながら」
 冗談交じりに言えば、蘭は苦笑して続ける。
「なんか、ちょっと前まで嘆き悲しんでいたんですけど……コナンくんの友達で庇護さんのファンの子から、熱愛は本当か調べてほしいっていう依頼があって、いま調査に乗り出しているんです……」
「え、そうなの?」
 探偵の仕事というよりはむしろ、小五郎の私的な理由による調査である気がする。レストランに蘭は行かなくて正解だったのではないだろうか。
 そこへ梓がなまえと蘭が注文していた品を運んできた。なまえの前にはモンブランが、蘭の前にはいちごパフェとアイスティーが置かれる。梓はカウンターの中へ戻るかと思いきや、トレーを胸の前で抱えてなまえを見た。その瞳には、好奇心に似た色が映っている。
「あの、なまえさん。お聞きしたかったんですけど……」
 梓はひと呼吸置き、
「安室さんと、どうなんですか?」
 と言った。なまえは唐突かつ抽象的な質問にどう答えるべきか戸惑い、首を傾げた。
「え? 安室さんですか?」
「そうです! ほら、なまえさん、安室さんと歳が近いし気が合いそうだって聞いたので、なまえさんは安室さんのことどう思っているのかなって聞いてみたかったんです」
「あ、私も気になってました!」
 蘭が身を乗り出して梓に同意する。
 なまえが訊かれている相手は降谷ではなく安室だ。尊敬する先輩で、音信不通だった、彼ではない。つい最近出会ったばかりの人当たりがよく頭の回転が速い安室透だ。なまえはコーヒーを口に運び、ひと息ついてから口を開いた。
「素敵な方だと思っていますよ?」
 蘭と梓が嬉々として顔を見合わせる。
 安室となまえの関係は、少なくともなまえが安室に対して恋愛感情とまではいかずとも、それに近い好意を抱いていると思われることが望ましい。なまえが安室とのつながりを持つためにポアロに来たと周囲が考えれば、彼のそばにいても不自然ではなくなるのだ。
 そしてなまえには、安室に対して恋愛感情を持っていると仄めかしても嘘ではないと縋れる事実がある。何もないところから嘘をつくのは難しい。しかし、そこにたとえ作り上げたものでも事実が混ざれば嘘は全くの虚偽ではなくなる。
「好きになっちゃいそう、なーんて」
 なまえはいたずらっぽく言ってみせて蘭と梓と視線を合わせた。驚いた顔で目を瞬かせた二人へ微笑みを傾けてカップに口をつける。
 なまえはすっかり冷めたコーヒーとともに胸を巣食っている憂鬱を飲み込んだ。


ホワイト・エレファント