本部にいる時はなるべくトリオン体で過ごすように心掛けている。それは自身の不眠症と、それによってできている黒いクマを周囲に見せないためだ。
 いつ換装が解けてもいいように身支度を整えてトリガーを起動する。すっかり歩き慣れた廊下をいつも通り進んでいく。
 ふと、すれ違った男女の指に赤い糸が結ばれているのが目に入る。
(……歩きにくそう)
 見えない赤い糸で結ばれている男女は、添い遂げることが運命付けられているなど、昔から言うけれど、そんなものをわざわざ自分たちで指に付ける行為を理解が出来なかった。少々呆れた様子でラウンジを通る。
「……え?」
 彩里の視界に飛び込んできたのは、赤い糸を結んだ男女が、数多くラウンジでくつろぐ様子だった。



「トリオン体の視覚情報の伝達系にエラーが起きてるね。他の部分はどうかな?」
「特に問題はないです」
「それにしても赤い糸が見える不具合なんて、不思議なことになったね」
「本当ですよ……。これ、あってるんですかね?」
「さぁ……。自分のは見えないの?」
 開発部の女性職員に自分のトリオン体を診てもらう。赤い糸が見える不具合だなんて聞いたことがなかったが、視界に余分な情報が増えたこと以外影響はなかった。
 職員に言われて自分の指を確認する。そこには赤い糸が指には巻き付いているが先はなかった。目前の職員もそうだったが、彼女の旦那にあたる職員がこちらに近付くとその赤い糸が突然現れて繋がる。
「お二人は仲良しなご夫婦、ですよね?」
「え?」
「今、二人が近付いたら赤い糸が繋がりました。さっきまでは先端は見えてなかったんですけど」
「ある程度近くになると繋がるってことかしら」
「たぶん……?」
 赤い糸が見えたとき、ラウンジや廊下では確かに男女間が近い人が多かった。確証ではないため、曖昧な返事しかできない。
「これ、直ります?」
「直るよ、もう修正はできてるからトリガー再起動したら無くなると思う。不具合自体は簡単なものだったから」
「じゃあ……!」
「でも、今日は一日そのままでいてね」
 室長もデータ欲しがると思うから、と笑顔で付け足される。防衛隊員は開発部職員がいるからこそ成り立つため、開発部からのお願いは断りにくい。それこそ大きな不調はないこの現状、協力するしか選択肢は残っていないのだ。
「どうせトリオン体で過ごすつもりだったんでしょ? 協力よろしくね」
 返事を聞かずに仕事に戻る女性職員はかなりのマイペースだ。彩里は深くため息をその場でついて、ありがとうございましたと礼を告げその場を後にした。


 *

「よ、アヤリ」
「梨本、今日の防衛任務のことだけど」
「修くん、遊真くん」
 個人ランク戦会場で、試合の休憩をしていたところ玉狛第二の二人に声をかけられる。本日の夕方の防衛任務は玉狛第二と合同だ。B級のフリー隊員である彩里は別部隊に合流して任務に当たることもあるため、隊長である修が確認しに来ることはなにもおかしくない。
「修くんの指示に従うよ。 どうしたらいい?」
「あ、そうじゃなくて。梨本は今日任務入らなくていいって通達が来たんだ」 
「え」
「開発部から、本人に伝え忘れたから伝えてくれってさっき連絡があって……」
 がくりと項垂れる。彩里にとって近界民を倒すことは自分を支える役割をもっている、その機会が失われるというのは周囲の人間が思っている以上にショックなことだった。
「修くん、それ無しにできない?」
「できないと思う」
「そうだよね……」
 はぁ、と大きなため息を彩里は吐き出した。
「体調でも悪いの?」
「そんなことないんだけど、トリオン体の不具合があるの」
「どんな?」
「赤い糸が、見えるの」
「あかいいと?」
 遊真がなにそれ、と声にすると修が簡単に説明をする。現実的な遊真のことだ、赤い糸のこともあったとしても本当に結ばれるなど信じていないだろう。ふーんとだけ呟いていた。
「アヤリ、おれとランク戦しようよ」
 遊真の明るい声につられて顔を上げる。
 ふと遊真の指に赤い糸があるのか気になったが、手を頭の後ろに回していたため確認できなかった。
「……やる」
「よし、オサム、まだ時間あるよな?」
「大丈夫だ」
 修をその場に残し、二人は互いにブースに入った。


 *


 遊真に防衛任務があるため、内容は五本勝負となった。今日は勝てる気がする、彩里の調子は絶好調だった。防衛任務に入っていればかなり戦果を挙げることができただろう。
 ガキンッと弧月とスコーピオンが交わる。このまま押し込めば弧月の方が有利なはず、だが、その狙いは遊真にもう読まれているだろう。彩里はあえて一本後ろに下がる。体重を掛けていたものが突然無くなり遊真の身体はバランスを崩した。
(ここ……!)
 小さな背中に弧月を刺し込もうと足を踏み込む。相手のことは油断してはいけない。念には念を、追尾弾も撃っておく。
 獲った、彩里の剣先が遊真に刺さる、その直前だった。
 シールドでは間に合わない、そう判断した遊真はグラスホッパーを起動して彩里から距離を取る。そのままもう一度、折り返すようにグラスホッパーを踏み込むことで彩里の懐に飛び込んだ。
 突然の遊真の切り返しではあったが、先程撃った追尾弾が遊真のシールドを起動させる。
 ふと、ひらりとした物が視界に入った。
 ひらひらしたものは見慣れている彩里であったが、今視界に入ったものは赤色。その細くとも目立つ色は集中を奪うには十分だった。
「なに見てるの、アヤリ」
 遊真が集中力の切れた相手を見逃すはずがない。彩里の心臓部分に遊真のスコーピオンが突き刺さった。

 ぼふんっと身体が緊急脱出用のマットに沈み込む。そのまま左手を天井に掲げた。
「……ない」
『なにがないの?』
 遊真の声がスピーカーから響く。どうやらこちらの声も聞こえてしまっていたようだった。
『最後おしかったな、なにかあっただろ?』
「なんでもないよ」
『ふむ』
 もし、遊真と自分の間に赤い糸が繋がっていたら……。いやいや、どんなに気になっている相手とはいえ、近界民。自分にとっては嫌いな相手であって、この気になるのも裏切らないように、ボーダーに悪いことをしないように気になっているだけだ。そう彩里は自分に言い聞かせる。
『あかいいとでも見えた?』
「そんなわけっ……!」
『そう? おれはアヤリとだったら悪くないと思うけどな』
「遊真くんのバカ! そんなことあるわけないよ!」
『そうか、それはザンネンですな』
 じゃあ、おれ行くなと、遊真はブースから出ていったようだ。はぁとまた大きなため息をついて顔を手で隠す。
「どうしよう……」
 自分の顔が熱くなっているのがわかる。このまま防衛任務で一緒にならなくてよかった、どう顔を合わせたらいいかわからなくなってしまうから。
 彩里はそのまま自分の顔の熱を誤魔化すために、他の人との個人ランク戦を行うことにした。





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