鳩原さんがいなくなってからどうも眠れない。いつもと横になる時間は変えていないのに、酷いときは外が明るくなり始めてから眠っていたりする。さらには食欲もなくゼリーのような、噛まなくても摂取できるものを胃に入れて生活していた。いつのまにか目元に濃い隈ができ、ふらふらと歩くようになってしまったらしい、身体に現れるのは思ったより早かった。
 いくら私の食欲がなくとも、眠れなくなっても世の中は動き続けていくので、手を抜くことができない性格だった私は学校もボーダーの活動も今まで通りこなし続けていた。空き時間に、少しでも鳩原さんが規定を破った理由を見つけたくて、色々調べたり、本人とどこかでふらりと会えるのではないかと市内を歩く時間を増やしたが何も手掛かりは見つけることが出来ない。ボーダー内であまり話せることではないため、隊員に聞くことが出来ず、自身にできることは本当に何もないと痛感していた。あれから訓練にも顔を出していない。ユズルから「訓練はちゃんと出なよ」とメッセージが届いていたが、返信せずに画面を閉じてそのままにしている。
 鳩原さんに教えてもらうのが好きで、上手になったねって褒めてもらうのが好きで、鳩原さんが辛い思いをしなくていいように私が近界民もトリオン兵も撃つんだと、近界民と戦うことだけが目的で入隊したボーダーで、私がやっと守りたい、助けたい、支えたい、一緒にいたいと思えた人だったのに。なんでいなくなってしまったのだろうか。また涙が出てきそうだ。泣きそうな顔、目元の隈、誰が見ても弱っている人間であると思われてしまう自分を見せたくなくて、自室へトリガーを取りに戻ることとした。トリオン体でいれば、ひとまず外見は誤魔化せるだろうから。
 廊下を歩いていると、こちらに向かって歩いている人物がいた。見知ったその人物とは、特に会話をする仲ではない。すれ違う時に挨拶をすれば怒られることも、今の私を気にする人物でもないだろう。少しずつ距離が縮まるがどうもおかしい、私にむかって真っ直ぐ歩いてきている気がする。お互いに補足できる距離にいて、私はぶつからないように端に避けたつもりだったが、相手の身体はこちらを正面に捉えているように思える。
「梨本彩里だな」
「……二宮さん」
 鳩原さんの所属していた部隊の隊長である、二宮匡貴さん、何回か鳩原さんと話しているところを見かけたことがあるが、二人で話したことなどもちろんない。
「話がある。うちの作戦室に来い」
「話ってなんのですか」
「作戦室で話す」
 正直、早く部屋に戻りたい気持ちがいっぱいで、今も二宮さんにこの顔を見られていると思えば、トリオン体になって隠したくて仕方なかった。今は予定があるのでまた今度でと告げ、会釈しながら二宮さんの横をすり抜ける。上司に対して非常に失礼な態度をとっていることは理解しているが、今は自分のことで精一杯だった。
「鳩原に関してだが」


 二宮隊の作戦室は、清掃の行き届いた部屋だった。そこに座れと言われるがまま、椅子に腰を下ろす。
「話ってなんですか」
「さっきも言ったが、鳩原に関してだが」
「鳩原さん……」
「お前と絵馬は鳩原から何か聞いていないのか」
「何も……」
「よく思い出せ」
 そう言われ、鳩原さんと話してきたことを思い出せる限り、記憶から蘇らせていく。だが、規定を犯すようなことをする人だとは思えない。いつも私とユズルに優しく技術を教えてくれて、できたら褒め、できなかったら原因を一緒に考えてくれる。自分はダメなんだと、自分を責める人ではあったが、それが今回のことと関係しているようには思えなかった。
「……時折、自分を責めるような発言はありました。だけど、隊務規定を破るようなことをしているとは思えません。特に相談されたとか、そういうものはなかった、です」
「あぁ、お前らにはそう伝わっているのか」
「どういうことですか?」
 二宮さんは目を伏せ、あからさまに私から視線を逸らした、何か言えないようなことがあるのだろう。私は「教えてください」と頼み続けることしかできなかったが、二宮さんの眉が少し動いたのを合図に二宮さんの視線がこちらに向いた。
「機密事項だ。他人には言うな」
「はい」
「絵馬にもだ」
「……わかりました」
「あの馬鹿、鳩原未来は」
 嫌な予感にカラカラとのどが渇いていく、ごくんと唾を飲み込んだ。そんな私のことなど気にも留めない二宮さんの言葉を聞き逃さないように集中する。
「民間人にトリガーを横流した疑いがある。その民間人と共に近界へ密航した。それがあいつの犯したことだ」
 これは記憶封印措置適応にもなる違反だと付け足される。なんとなく嫌な予感はしていた。調べても大した情報は出てこない、みんながただの隊務規定違反だと話す中、その詳しい内容も、突然解雇になるなんて少なくとも私が入隊してからは聞いたことのない事例だった。
「なんとなく、大変なことになっている気はしていました」
「……そうか」
「私なりに調べてみましたけど、何もわからなかったので……」
「……」
「でも、記憶がまだあって、どこかで生きていることがわかって少し安心しました」
「お前はそれでいいのか」
「……そう思わないとやってられませんよ」
 教えてくれてありがとうございましたと席を立つ。このままここに居続けては、彼女の新しい情報が掴めた嬉しさと、もう会うことは難しいという現実にまた泣きそうになってしまう。そういえば、泣いても大丈夫なように部屋にトリガーを取りに向かったはずだったのに、部屋に寄らずにここに着いてきたため今は生身だ。失礼しますと頭を下げ、扉に手を掛けた。
「俺は情報を集める、お前はどうする」
「どうするって言われても……」
「もし何か掴んだら、小さいこともいい。共有しろ」
 そう言って二宮さんの手から一枚の紙が渡される。中を開くとそこには丁寧な字で連絡先と名前が書いてあった。
「もともと教えてくれるつもりだったんです?」
「重要な情報源になりうると思ったからな」
「納得です」
「行くならさっさと行け」
「分かりました。今日の話、ユズルには内緒にしてくださいね」
「言っただろう、機密事項だと」
「そうでしたね」
 念のための確認ですよと、この気持ちを独りで抱えていかなければいけないことを知る。現状、唯一信頼できるユズルには話すことが出来ない。否、彼には伝えない方が良い内容だろう。しんどいなと、言葉には出さず代わりにため息を漏らしながら扉を開く。
「おい」
「はい?」
「今度、行くぞ」
「何に」
「晩飯にだ」
 まともに食っていないだろと、二宮さんにまでばれてしまっているようだ、やっぱりなるべくトリオン体で過ごそうと決めつつも、二宮さんに気遣いは、鳩原さんの尻拭い的なところもあるだろうけど、口数は少なくてわかりにくいけど良い人なんだよと笑いながら言っていた鳩原さんのことを思い出した。
 二宮さんは信頼してもいい人だと思う。だって二宮さんは、私たちと同じ残された側の人なのだから。





_ /reload/novel/2/?index=1