夕方、玉狛支部へ向かう道を歩みながら、昼間の出来事が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
 どうして近界民が本部内にいるのだろう。どうしてC級の隊服を着ているのだろう。どうして三輪先輩以外の人たちは気にしていないのだろう。私もさっきの会話を立ち聞きするまでは、近界民がいるなんて知らなかった。上層部も、先輩たちも、同僚たちも、みんな隠しているのか、知らないのかわからないけれど、近界民がボーダーにいて、普通に隊員として活動しているのは事実だ。知るべきではない内容を知ってしまった。あの近界民、悪い人には見えなかったが、近界民であることに変わりはない。居合わせなければこんなにモヤモヤせずに済んだだろう、なんて後悔してもしょうがない。
(上層部が対応してくれるのを待つしかないか…)
「こんばんわ、梨本です。今日の夕飯はなんですか?」
「お」
「あ」
 慣れた足取りで玉狛支部にお邪魔する、支部の中は夕飯のとても良い匂いでいっぱいだ。いつもだったらそのまま配膳を手伝うなどしてごちそうになるところだろう。いつもと同じだったのであれば。
「昼間の、おカネ拾ってくれた人じゃん」
「空閑、知り合いか?」
「はじめまして、ですよね…?」
 知らない顔と昼間に初めて知った顔があった。玉狛には顔を久しく出していなかったわけではあるが、知らない顔があることに身体が強張る。自分から笑顔が消える感覚が分かる。
「なんで近界民がいるの」
「やっぱりばれてたか」
「空閑!? お前知られたのか」
「いや〜、これにはさけられないわけが」
 今のこの人達の反応で確信を得ることができた。メガネの男の子は慌てていて、小さな女の子は息を呑んで立っている、当の本人の白い髪の男の子も否定していない。彼は近界民で、本部と支部を出入りしているようだ。拳を力強く握りしめ、彼を睨む。私の敵意に気付いたのであろう、赤い眼が私を睨み返してきたのが分かる。
「なんで近界民が、ボーダーに……っ」
「梨本、いい加減にしろ」
 後ろから頭を小突かれる。振り返るとそこに、玉狛第一の隊長、木崎レイジさんが立っていた。
「レイジさん……」
「お前も玉狛が近界民と友好的な関係でいようとしていることぐらい知っているだろう」
「でもっ、ここじゃなくて本部にもっ」
「正隊員になるためだ。当前だろ」
「近界民が正隊員!?」
「いい加減にしろ」
 再びごつんと頭を小突かれる。痛みを訴えるためにレイジさんを見上げれば、受け入れろと釘を刺された。
「レイジさん、その人は……?」
「あぁ、お前ら三人は初対面だったか」
「おれは、昼間に会ったけどね」
「おい、梨本。自己紹介しろ」
「近界民がいるから嫌です」
「お前、今日の夕飯無しでいいか」
 それも困ると口を噤んでいると、頭上からため息を漏らす音が聞こえた。
「悪いな、こいつは梨本彩里。本部のB級隊員で訳あって飯をここで食べさせている」
「どうも……」
「ぼくは三雲修、よろしく」
「雨取千佳です」
「こいつの態度が悪くてすまん。近界民が嫌いでな」
「そういう人がたくさんいるのはわかってるからいーよ」
「あぁ、こっちは空閑遊真。きみが知っている通り近界民だ」
 メガネの男の子、三雲くんが白くて小さい近界民を紹介してくれる。昼間はどうも、と横で挨拶をする彼を私は再び睨む。睨まれた彼よりも横にいる二人が肩をびくりと震わせるのがわかった。
 そんなやり取りをしていると他の面々が食事のために集まってきた。みんな私に「ひさしぶり」「元気にしてた?」と声を掛けてくれる。みんなに「元気でしたよ」と笑って挨拶をして、食事をする席に移動する。いつも座る場所に向かう際、近界民の横を通らないといけなかったため、目を合わせず通れば「またウソ」と呟きが聞こえた。
 振り返って声の主を見れば、赤い眼が私をまっすぐ捉えていた。


 食事を済ませ、玉狛第二の結成までの流れを聞いた。近界民の彼も上層部の承認を得て隊員となっていること、雨取さんのトリオンの量、先月の小型トリオン兵の一斉駆除作戦が三雲くんと近界民のおかげで実施できたこと。この一ヵ月、部隊のことや訓練などで、玉狛に顔を出していなかっただけで環境が大きく変わっていたようだ。
 今晩はそんな話をしていたら遅くなってしまったので泊めてもらうことにした。泊まることは頻繁にあるため、私が主に使わせていただいている部屋に着替えなども一式置いてある。ここはもう一つの家のようなものだ。支部ももう私にとっては落ち着く場所であるが、やはり眠れないのは変わらない。時刻は二十三時過ぎ、気分転換でもしようと屋上へ向かう。普段ならこんな遅い時間は私一人しかいないのだけれど、扉を開けると、白髪の後ろ姿と、横に浮かぶ黒い何かが目に入った。先約がいるなど思ってもいなかった私はつい、「近界民…」と呟いてしまったため、私に気が付いたのだろう。くるりと赤い眼がこちら向けられた。
「ナシモトじゃん、こんな時間になにしてんだ?」
「別に関係ないでしょ」
「それもそうだな」
 そう呟いて私から視線を外し再び空を見上げ始めた。扉を開いたときに見えた気がした黒い何かはいなくなっていた。なにかのトリガーだったのか、はたまた私の見間違いだったのか。
「ねぇ、さっき横に浮いていた黒いの何?」
「なんだ、見てたのか」
「危険なものならすぐに回収しないといけないから。教えて」
「うーん、教えてもいいけど、タダじゃ教えられないな」
「何それ。危険なものってことでいいの」
「その心配はないよ。まったく危険ではない」
「信用できると思う?」
「ふむ、じゃあ明日戦おうよ。ナシモトが勝ったらおれが答えれることは教えるよ」
「きみが勝ったら?」
「おれの質問に答えてもらう」
「いいよ、約束は守ってよね」
「もちろん」
 じゃあ、明日。そう言って手をあげる彼はまた空を見上げ始めた。まだ室内に戻る様子はないようだ。同じ空間に長くいる必要はない、今日のところは私が諦めて室内に戻るとしよう。私は黙って踵を返し、自室へと戻ることとした。

  *

 戦うだけなら支部でもできると思ったが、C級の彼はついでにポイント稼ぎのために他の人とも戦いたいらしく、本部へ行くことになった。
 今日は本部まで送れる方がいなかったため、二人で玉狛から本部までの長い道を、彼が前を、私が後ろを歩く。私が前を歩いたほうが、道が分かってスムーズなのは明白だったが、いちいち後ろを確認するのが面倒で、後ろから曲がる場所だけ声を掛けて行く方法をとった。
 後姿をまじまじと観察する。小さい背丈、白い髪。これで同じ十五歳とは思えない、近界民はみんなこういう見た目なのだろうか。でも私が知っている玉狛のもう一人の近界民はなにも違和感のない風貌で、今は出払っているが私に良くしてくれる親切な方だ。その人に関しては、最初は近界民と知らずに接していたため、いざ近界民だと明かされた日はとても驚きショックでもあったが、それ以上にその人自身を私が好きになっていたため、大きな変化はなかった。
だが、今回は違う。突然玉狛に増えていた彼、見た目も違和感でしかない。そして近界民であると関係が深まる前に知ってしまった。「あんたも仲良くなればまた認めちゃうんじゃない? なんたって私の弟子だから!」と自慢げな小南先輩と「彩里は小南先輩ほどちょろくないですよ」と鳥丸先輩のやり取りを聞きながら全くその通りだと自分に言い聞かせた。近界民は近界民で、私にとって敵でしかなくて、近界民がいなければきっと世の中ももっと変わっていたし、より良いものだったと思うから。
「そんなに見つめられると、背中に穴が空きそうだけど」
 いつの間にか立ち止まって、次はどっち?とこちらを向いていた。「別に見つめてないよ」と言って次は右と伝えると「りょーかい」と再び前を向いて歩きだす。
「ナシモトはなんで近界民がきらいなの?」
「近界民なら嫌われる理由わかるでしょ」
「検討はつくな」
 じゃあ聞かないでよと思ったが言葉にはせずに黙って歩きだす。
「でも近界民にだって色々な奴がいるぞ?」
「近界民は近界民だから」
「そっか」
 そう短い会話を終え、こちらに視線を向けていた彼も、前も向いて歩いていく。本来ならば車で行った方が適切な距離、せめてトリオン体で走るべきである本部までの道のりを無言で歩くのはとても長く感じる。ボーダーの敷地で暮らしている私にとっては、たまに時間を潰したいときに玉狛から部屋までの帰り道にあたいするため、歩き慣れた道であるが、今日ほど長く感じたことはない。
「そこの扉が最寄りの連絡通路」
「お、ここか」
 本部への連絡通路は三門市の至るところにあるため、私たちは支部から一番近い入口にようやくたどり着いた。カバンから自身のトリガーを取り出して認証させる。彼も同様にトリガーをかざして二人で中に入る。勝負だなって口元に笑みを浮かべる彼を見て、本部に入るのに近界民が笑っているのが悔しくて、負けないよと応え、足早に今度は私が前を歩いた。





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