遊真くんと何度も戦ってみたけれど、一向に勝つ気配が見えなかった。攻撃手に転向して約半年、色々な隊員とある程度戦えるようになってきてはいたが、彼は私より何倍も強いようだ。なぜ未だにC級なのだろうか。ここまで強いと最初のポイントが加算されていてもおかしくないと思うのだが、彼が近界民ということに関係しているのだろうか。
 彼を認めたわけではない。だけど実力があるのも、話してみると思ったより話しやすいというのは事実だった。一度交流を持ってしまえば、気になっていたことはさらに気になってしまうし、疑問だって増えてくる。ただ自分も約束をしてしまった以上、勝てないけど君のことを教えてくださいなんて言いたくもなく、なんとかして勝ち越したいと今日も他の人隊員と個人ランク戦に励んでいた。
「梨本」
「……修くん」
 声のする方を振り返れば、玉狛に入隊した三雲修君がいた。いつもは他の二人と一緒のことが多いけれど、今日は一人のようだ。
「さっきレイジさんから連絡あって、今日支部に来てくれって」
「分かった、お邪魔するね」
 連絡を入れようと、ポケットからスマートフォンを取り出してメッセージ画面を開く。画面に目を落としていると頭上から「聞きたかったんだけど」と言われたので顔をあげ、修君を見る。
「なんで梨本は空閑を嫌うんだ?」
「遊真くんってわけじゃなくて近界民が嫌いなんだよ」
「でも空閑は襲ってきているトリオン兵とは関係ないだろ」
「それでも近界民は近界民だから」
 私にとって敵なんだよと告げれば「それはそうかもしれないけど」と口を閉じる彼。その表情からなにかまだ、言葉を考えているように見えたので言葉の整理が終わるのを待つ。
「それでも、空閑と仲良くしてほしい」
「なんで?」
「詳しいことはぼくから言うことはできない」
 頼む、と真剣に目を見て言う修くん。私も黙って彼を見るけれどまったく外れない視線。むしろ視線からも頼むという言葉が聞こえてくるようで、
私は先に視線を外して「今後次第で前向きに考えておくよ」と応える。彼はほっと息を吐いて「ありがとう」と私に告げた。


 支部で食事を済ませた後、今日も屋上へ向かった。泊まるわけではなかったが、すぐに帰るのも面倒で、あわてて帰らなければならない時間でないことをいいことに、お気に入りのこの場所でゆっくりしたかったので。前回は先客がいたため独りの時間でなくなってしまったが、今日は誰もいないようで、少しほっとしてしまった。
「アヤリじゃん」
 独りの時間は思ったよりも早く終わってしまって、声のする方向に視線を向ければ、またしても遊真くんが立っていた。少し顔をしかめて視線を元の場所に戻せば、私の行動など気にした様子をまったく見せることなく、隣に腰を下ろした。
「なんでわざわざ隣に……」
「だめなの?」
「ダメって言ったら移動してくれるの?」
「いや、ことわる」
 言っても無駄じゃんという意味を込めて深くため息をつく。彼はまぁまぁと口を尖らせながらも笑っていた。
「おれがアヤリと話したかったんだ」
 同い年の男の子にそんな台詞を微笑まれながら言われれば、私の顔は勝手に熱くなってしまう。ダメだダメだと首を振って熱くなる顔を誤魔化す。相手は同い年だとしても近界民であることを忘れてはいけない。今はボーダーに入隊していて敵ではないのかもしれないが、近界民であることに変わりはないのだから。
「話したかったって言われても、話すことそんなにないよ」
「いやいや、おれたちはお前に興味がある」
「おれたち?」
「まずはそこからだな」
 よろしくと言って、左手の人差し指に着けている指輪を掲げる。何をしているのだろうか、指輪になにか仕組みでも……? 私が何をしているか尋ねる前に「心得た」とどこからともなく声がして、黒い炊飯器のようなものが指輪から現れた。これは勝負の約束をしたあの日に聞きたかった、浮いていた黒いものだ。
「はじめましてアヤリ。私の名前はレプリカ」
「え、喋れるの……?」
「以後よろしく」
「……トリオン兵?」
「如何にも」
 咄嗟にトリガーを起動しようとポケットから取り出す。丸っこい形にウサギの耳のような突起物、ふよふよと浮かぶ姿はこの世の中で見たことのないものだった。トリオン兵であることを認めるそれ、トリオン兵というものは私たちに危害しか残さない、だから排除しなければならない。
「トリガー起動……!」
「まてよ」
 私が戦闘体に換装すると、遊真くんが私とトリオン兵の間に入った。本来だったらこのまま二人とも攻撃したって構わない、だけど城戸司令から空閑隊員に危害を与えてはいけないという通達がきたため、遊真くんに攻撃することはできない。だけどトリオン兵に関しては何も知らせはなかったはず。
「遊真くん、どいて」
「話をきけって」
「どいてよ!」
「きけよ」
 赤い眼が私を睨み付ける。今までもこんなやり取りはたくさんあったけれど、今日ほど私に敵意、いや、殺意を含んだものは初めてだった。トリオン体であるはずなのに、身体が冷たくなっていく感覚だった。
 数秒、そのままの状態が続く。私は動くことが出来なくて、彼も、そしてトリオン兵も攻撃してくる様子はない。私は息を吐いてトリガーを解除した。トリオン兵が感謝すると私に告げ、隣で遊真くんは先ほどまでの殺意を感じさせないような笑顔を私に向けた。
「……ちゃんと説明してね」
「おう」
「了解だ、アヤリ」


 彼らの話を聞いた。二人はずっと一緒にいて、遊真くんは物心ついたときから戦争をしていたこと、有吾さんという名の父親のこと、有吾さんが遊真くんを守るために黒トリガーを残して亡くなったこと、嘘を見抜くというサイドエフェクトをもっていること、彼を元に戻すためにこちらに来たこと、こちらに来てからの出来事、ボーダーに入隊するまでの経緯、あまりの情報量に視界にパチパチと星が飛び散る。私と同じ十五歳でなんて重い過去を背負っているのだろうか。同情などできない。私は三門市にならどこにでもいる状況の人間だったけど、遊真くんのような人間は近界では当たり前なのだろうか。情報の整理をすれば疑問が沢山浮かんでくるし、私には理解できない生活だけど、大事に思っていた人がいなくなってしまう辛さはわかる。
「なんで私に話してくれたの」
「アヤリには知ってほしかったから」
「なんで?」
「なんでだろうな?」
 自分でもわからんと困った表情を浮かべている。そんな遊真くんにレプリカは「ユーマ」と声を掛ける。その声に「そうだった」と応えている。
「今日はおれのことを話したかったのと、もう一つ」
「もう一つ?」
「レプリカ、ここでもできそうか?」
「室内よりは見えずらい可能性があるが、問題ないだろう」
「よし、たのんだぞ」
「心得た」
 レプリカの口から発光体が現れる。何かの攻撃かと思って身構えたが「ダイジョブだから」と遊真くんに言われそのまま観察することにした。浮かび上がる発光体は夜空の深い色によってより映えているようで、後ろの星たちが隠れてしまう。大きな物、小さな物が軌道を描いてぐるぐると回っているそれは私の瞳を輝かせるには十分だった。思わず、綺麗と呟いてしまう。
「これをアヤリに見せたかったんだ」
「どうして?」
「以前、星が好きだと言っていただろう」
「うん」
「それを聞いてユーマが考えた」
「遊真くんが」
 遊真くんを見ると、満足そうな表情を浮かべていた。私の好きなものを覚えていてくれたのかと思うと普通に嬉しくなってしまうのは確かだ。ありがとうと言えば、どういたしましてと応える、そんなやりとりをしていると、やっぱり彼は人間なんだなって、私たちと違うところなんて本当に出身地だけなのしれない。
「ところでこれはなんなの?」
「ユーゴが歩いた、近界の地図だ。軌道配置図という」
「これ全部、近界民の国なの?」
「そうだ」
「これ機密事項とかじゃないの?」
「保有しているのは我々だ。問題ないだろう」
「レプリカはなんでも答えてくれるね、先生みたい」
「そういえば迅は私のことを先生と呼んでいた」
「迅さんが。私も呼んでいい?」
「それを決めるのは私じゃない、アヤリ自身だ」
「おれにいつも言うやつじゃん」
 二人の会話を聞きながら、コンビというものもいいのかもしれないとほほえましさを覚えた。私は単独行動の方が多かったし、今もあまり部隊で動くことはないけれど、師匠と弟弟子とよく三人で行動していたことを思い出す。今も楽しいことがないわけではないけれど、やっぱりあの頃は特別楽しかった。
「アヤリ? どうした?」
「え?」
「なんで泣いてるの」
 指摘されて目元を触れば、私の手は確かに濡れていた。
「なんでだろ、わかんないや」
「またウソついてる」
 そう言ってこちらに手を伸ばして、私の目元を遊真くんの指が拭う。突然のことに驚いたけどなんだか嫌じゃなくって、そのまま受け入れた。遊真くんの指が顔から離れてぽんぽんと私の頭を撫でて、なんとなく肩の辺りに物の存在を感じたので、きっとレプリカ先生が近くに来てくれているのだろう。私は止まらない涙を自分の力で止めることが出来ずに泣き続けた。途中途中、いなくなってしまった師匠、鳩原さんの手の感触を思い出してしまったり「なんで」なんて声に出してしまったけれど、何も尋ねない二人に甘えることにした。二人は全く困る素振りを見せず、ずっと近くにいてくれた。
 大嫌いな近界民。そんな相手の多くの存在を示す、綺麗な軌道配置図の明かりに照らされながら、私は優しい近界民と先生みたいなトリオン兵の前でひたすら涙を流した。





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