(三) 「藤次郎、藤次郎」 夜具の上で、男は我が物顔で開かれた柔肌を貪り続け、藤次郎が解放されたのは明朝、卯の刻六つの頃だった。 藤次郎は彼が寝入ったのを確認すると、夜具から起き上がりると着替えもそこそこに宿屋を後にする。 藤次郎の体内には夜通し抱かれた男の跡が残っている。少しでも身動ぎすれば、最奥に向かって放たれた男の白濁が後孔から太腿を伝い、流れ落ちる。 しかし、悠長に事を構えている時間は藤次郎にはない。 彼には、男が目覚める前に一刻も早くしなければならないことがあったからだ。 果たして藤次郎が向かった先は、藤次郎が男と寝泊まりをしている宿屋の真向かいの宿屋だ。 女中の案内のもと、藤次郎が足を運んだのは縁側にあるひとつの座敷。そこに肩まである髪を後ろに束ね、腰には脇差しと本差しの刀二本を差した、粋な着物を着た浪人風の男がいた。 男は過去にどのような事件、もしくは事故に見舞われたのか。右目から頬にかけて古傷で閉ざされている。だからだろうか、もう片方の左目からはどこか哀愁を漂わせていた。 年頃はおそらく三十半ばあたりだろう。目鼻立ちがはっきりしたなかなかの男前だ。 彼は落ち着いた物腰で杯に継ぎ足した酒をほろほろと飲んでいた。 「銀之助様、お待たせしました」 藤次郎は座敷へ入るなり、銀之助と呼ぶ男に頭を下げた。 「構わない、気にするな。それで藤次郎、奴はどうだ? 尻尾を出しそうか?」 「やはりまだ俺を疑っているようだ。汚いことばかりを押しつけてくる。なかなか阿片の密売人と引き合わせてくれない」 実は藤次郎と話している銀之助と名乗るこの男、公儀隠密で、藤次郎はその者の密偵であった。 彼が男に言い寄ったのもすべて、彼の仕事を全うするためだ。けっして人殺しのためなどではない。 男は阿片を売る仲介人で、その用心なことからなかなか尻尾を掴めず苦労していたのだが、美しい青年を選り好みするという情報を得て、今回藤次郎が探る役目を仰せつかった。 あわよくば、仲介役のあの男と密売人を一網打尽にするための苦肉の策であったことは言うまでもない。 「そうか、これまで尻尾を出さなかった奴だ。そう簡単にはいくまい。藤次郎?」 そこまで言うと、銀之助は一度薄い唇を閉ざし、藤次郎の顔色を窺った。 刀を振るうたくましい腕が伸びてきたかと思えば、藤次郎の身体が傾き、あっという間に銀之助の腕の中に入った。 「あっ……」 藤次郎は短い声を上げる。 銀之助の手が彼の双丘を撫でれば、触れられたそこから痺れるような疼きが生まれ出で、身体が震える。 ただでさえ、抱かれた後は身体が過剰に反応する。それに加えて相手が自分の好いた男ならば余計だ。 銀之助は、藤次郎の下肢を伝う白濁に眉を潜めた。 「抱かれたか」 銀之助の言葉に、藤次郎はきつく唇を噛みしめる。 この任務を任された時から、こうなることはもうわかっていた。だが、好いてもいない相手に自らの身体を明け渡すのは藤次郎の本心ではない。 「俺の心は貴方だけのものだ。誰にも渡さない」 唇の戒めを解くと、彼は自分に言い聞かせるようにして静かにそう告げた。 すると、藤次郎に陰が被さる。 「っふ……」 薄い唇が藤次郎の唇を吸い上げた。 藤次郎の荒れた心が静まり、彼の後頭部に手を回す。 藤次郎に与えられたほんの束の間の接吻に、身体が熱を持ちはじめる。 だが、銀之助は男に夜通し抱かれ、疲労している藤次郎を組み敷こうとはしなかった。 藤次郎を労り、肩を撫でる。 その手は思いやりが込められていた。 「可愛いことを言う。今だけはゆっくり休め」 「だけどあの男が……」 いつ目を覚ますかわからない。 自分が傍にいないと勘づけばおそらくは身の上を疑われるだろう。 「案ずるな、あの男。相当貪欲な奴だ。夜通しお前を抱いたのであれば、おそらく日中までは起きまい」 肩を撫でるその手が心地好い。 藤次郎は銀之助の言葉のまま、ほんのひとときの安らぎを得るのだった。 ―身の置き場・完―