「御剣検事! 御剣さん!?」
成歩堂法律事務所になまえの声が響く。ちょっと目を離した隙に検事の姿が消えたのだ。
(御剣検事、どこへ行っちゃったんだろう……)
所長の成歩堂が不在だったため、御剣検事と一緒に待たせてもらっていたのだが…。
「みゃあ。」
その時、赤ん坊が甘えるような声があたりに響いた。足元を見れば、一匹のねこがなまえを見上げていた。
高級そうな灰色の毛色をした珍しいねこだった。逆三角形の顎を上向きにさせ、なまえをじっと見上げている。
しばらく観察するように見つめた後、なまえの顔を見てみゃあと一声鳴いた。
(可愛いっ!)
思わずしゃがみこみ、その利発そうな頭を撫でる。
(お利口さんだな……成歩堂さんちの猫かしら)
ねこは目を細めて大人しく撫でられている。喉をくすぐるように撫でるとゴロゴロ言い始める。
そうして暫く過ごしていると、入り口の扉の開く音がした。
「……なまえちゃんかい?」
背後から声がかかり振り向けば、ちょうど成歩堂が戻ってきたところだった。
「わぁ! なまえさんだ! お久しぶりです」
両手を合わせて頭を下げ、真宵がにこにこ笑顔を向けてくる。
「あれ、御剣は?」
成歩堂が不思議そうに声を上げた途端、灰色の猫が「みゃあ」と鳴いた。
* * *
「みつるぎ検事、どこいっちゃったんだろうねえ……」
おやつのドーナツを頬張りながら真宵が言うと、なまえの膝の上の猫がぴくりと耳を立てた。
「もしかしてその猫、御剣が連れてきたんじゃないかな」
「確かにちょっとみつるぎ検事に似てるかもこの猫!」
成歩堂の言葉に真宵が同意すると、猫が嫌そうに顔を顰めた。
「そっくりだね、そっくり! これで眉間に皺寄せてたらまんまだよね!」
猫の灰色の丸い背中を撫でながら、なまえはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……いえ、その……検事と一緒にここを訪れたときには、この子は連れてなかったんですよ」
「ふうん…」
成歩堂が何かを考えるように顎に手を当てる。
この事務所の猫でもないし、一体どこから来たのだろうとなまえは首を傾げた。首輪もしていないから飼い猫でもないらしい。
その割には高級感の漂う佇まいをしている。
「ナルホドォオオオオ!! プリン買ってきたぜェええ!!」
突如訪れた矢張の怒鳴り声に、猫はまた嫌そうな表情をした。
* * *
「かーっ! ちっとも可愛げがねえ猫でやんの!」
矢張が差し出したえさに見向きもせずに、ねこは優雅に毛づくろいをしている。
無理矢理食べさせようとすればふん、と顔を逸らす。
「どっかの誰かにそっくりだぜ!!」
矢張がイライラしながらTVのリモコンをつけると、画面には『大江戸戦士トノサマン』のタイトルがばばんと映し出される。
「みゃあ!」
途端に猫が興奮したように声を上げ、なまえの膝の上から降りる。
その食いつきの良さを見て矢張がチャンネルを変えると、猫が抗議するように鳴き声を響かせる。
「あンだよ!
猫の分際でトノサマンを観ようなんざ100年早いんだよ!!」
先ほど無理矢理抱き上げようとして引っかかれたのを根に持っているのか、矢張がエキセントリックな声を上げる。ねこも睨み付けるように矢張を見上げている。
すっかり犬猿の仲になったようだった。
「……大人げないぞ、矢張」
「そうだよ! 矢張さんも大人しくトノサマンの再放送一緒に観ようよ!」
真宵が頬を膨らませると、チャンネルは漸くトノサマンに戻ったのだった。
* * *
トノサマン放送中は食い入るようにTV画面を見つめ、ご機嫌そうだったねこも、番組が終わるとなまえの膝の上に丸まった。
「この野郎! ちゃっかりなまえちゃんの膝枕を陣取りやがって、生意気だぜ!!」
矢張の叫び声を涼しい顔で受け流しながら、ねこはなまえに顎をくすぐられ、ゴロゴロと喉を鳴らす。
「この子、本当になまえさんが好きなんだね。あたしやナルホドくんには目もくれないのにさ」
「誰にも懐かないって顔してるもんな」
「誰にも心を開きません! って感じだよね!」
「なまえちゃんにしか懐かない猫か。ますますあいつにそっくりだな……」
成歩堂と真宵の話を聞いていたのかいないのか、ねこは次第に寝息をたて始めて…――
「え……!?」
なまえが驚いた声を上げると、成歩堂や真宵や矢張も思わずなまえに目を向けて…――
「ちょ、ちょっとこれなに!? 大変だよ、ナルホドくん!! みみみみみつるぎ検事が!」
真宵が指さす前で、白い光に包まれた灰色の猫が、みるみるうちに人間の形へと伸縮を繰り返していく…。
やがて灰色の猫は、完全に御剣怜侍の姿になった。
「ミツルギのヤツ、化け猫だったのかよ!?」
揺れる灰色の髪と白いクラバット、ワインレッドのスーツ姿の御剣が確かに目の前に現われたのだった。
* * *
「イタタタタッ! 痛いって! 真宵ちゃん」
「ゆめじゃないのかな!? ナルホドくん!」
真宵に頬をつねられ、悲鳴を上げる成歩堂の前でなまえは呆然としていた。
なまえの膝に頭をのせ、御剣は静かにクラバットの胸元を上下させている。
矢張はたった今起きた不思議な現象を残したいのか、ありのまま見たことを熱心にスケッチしていた。
暫くすると、御剣が目を開き、なまえの顔を見てはっとしたように起き上がった。
「いつの間にか寝てしまっていたのか……!」
御剣は驚愕したように辺りを見回し、成歩堂や真宵を見て更に目を見開いた。
「ミツルギよぉおおお! たとえお前が化け猫でもよォ! オラァ、一生お前のダチだぜぇえええ!」
矢張が目をウルウルさせながら御剣にがばりと抱きつく。
その異様な様子に御剣がぐわっと奇声を上げ、迷惑そうに突き飛ばす。
「成歩堂! この男は一体どうしたのだ!? いつも以上に可笑しな事になっているが……」
「御剣……お前、何も覚えてないのかよ……」
「?」
御剣は冷や汗をかいている成歩堂を見て、「意味が分からない」と言わん様子で首を傾げる。それから時計に目を遣ると、低く唸った。
「うム……また後日出直そう」
額に指を当て、気だるそうに呟くと、その顔が真っすぐになまえを見た。
「なまえ君!」
「は、はい!」
御剣の一声で慌ててソファを立ち上がると、直立不動の姿勢になる。
「お邪魔しました!」
急いで帰っていく御剣となまえの背中を見送りながら、真宵は再び成歩堂の頬をつねった。
「だから痛いって! 真宵ちゃん!」
「ゆめじゃないよね! 今の……みつるぎ検事、猫になってたよね!?」
「あいつ、女に興味なさそうな涼しい顔しやがってたクセによ、実はなまえちゃんが好きだったのかよチクショオオオオオオ!」
矢張はスケッチブックの紙を破りとり、エキセントリックに喚きたてた。
* * *
(ねこになった御剣検事……可愛かったな)
あれは夢ではないかと幾度も思ったけれど、なまえ以外に証人は3人もいるのだ。4人とも、御剣検事が猫の姿から人間に戻る瞬間を目撃している。
(御剣さんは……何も覚えていないのかな……)
トノサマンの前で興奮したり、なまえにゴロゴロ懐いていた愛らしい様子を思い出すと、どこか淋しい気持ちがした。
「……なまえ君?」
真っ赤なスポーツカーのドアを開け、御剣が訝し気になまえを振り返る。
「は、はいッ! ただいま!!」
なまえは背筋をピンと伸ばし、慌てて車に乗り込んだ。
* * *
それから、御剣は二度と猫の姿に変化することはなく、何事もなかったかのように日々は過ぎていったけれど…――
一つだけ、今までと変わったことは…――
「みみみみ、御剣検事!? み、み、み、御剣さん!?」
狼狽するなまえの膝の上で御剣は静かに寝息を立てている。
身体は猫になったことを覚えているのだろうか。
なまえの膝の上がよほど居心地が良かったのか、気が付くといつもなまえを膝枕にして寝入ってしまうようになったのだ。
1202号室のソファの上で仮眠をとる鬼検事を見て、先ほど訪れた糸鋸刑事も驚愕していた。
『なまえちゃんにしか懐かない猫か。ますますあいつにそっくりだな……』
ふいに先日の成歩堂の言葉を思い出す。
(あれはどういう意味なんだろう……)
寝ているときも皺を寄せている眉間に指を置き、そっとほぐす。
(私にしか懐かない? 御剣検事が……?)
頬が痺れるように熱を持ち、みるみるうちに頬が赤らんでいくのを感じる。
「み、みつるぎ検事! あ、あの……! もうすぐ狩魔検事が来ますよ! みつるぎさ……だから起きて……!」
そろそろ起こさなければいけないのに、いつまでもこうしていたいような複雑な気持ちになりながら、なまえは顔を真っ赤にして御剣に声をかけるのだった。
fin
あとがき
ホームズ君や響也をわんこにする話を書いたことがあるのですが、にゃんこになるとしたら誰かなあと思ってツンデレなみっちゃんを選びました。
王泥喜くんがにゃんこになって響也を引っかいたり、夢主にゴロゴロ甘えて事務所の皆に好意がバレバレ! っていうのも美味しいのですが、王泥喜くんは小型犬も似合うなあと。響也やホームズ君はゴールデンレトリバーのイメージしかない(笑)
このみっちゃんはにゃんこになってたときの記憶があるのか謎すぐる!
無意識に好意を持ってるけど、まだ自分の気持ちに気づいていなさそうな検事さんになりました。