合コンなんて行かないでください

 秋も深まってきた十一月の夕暮れ、ホテル・バンドーの向かい、成歩堂なんでも事務所では、中学校から帰宅したばかりのみぬきが事務員のなまえに話しかけていた。
「なまえさん、今日可愛くないですか?」
「そうかな?」
 窓際の席でキーボードを打つ手を止めて、なまえが顔をあげる。
「やっぱりお化粧がいつもと違う! ひょっとしてデートですか?」
「デートっていうか、合コンなのかな」
「へええ、合コンですか!」
 身を乗り出すみぬきは興味津々だ。
 みぬきの言葉に、なまえの向かいに座った王泥喜が露骨に反応しているのを見て、成歩堂龍一は密かに笑いを噛み殺す。所長席から向かいにある部下たちのデスクを眺めていると、その人間模様が手に取るようにわかるのだ。
 昔は部屋の中央に置かれていた茜色のソファと硝子テーブルを部屋の入り口側に移動させ、窓際には王泥喜となまえのデスクやノートパソコンが置かれている。手狭にはなったが、いつも賑やかなのでみぬきも嬉しそうだ。再受験する司法試験のテキストを復習しながら、成歩堂は引き続きみぬきたちの会話に耳を傾ける。
「なまえさん、彼氏欲しいんですか?」
「うん。週末遊ぶ友達がみ〜んな彼氏できちゃってね。土日淋しいんだ。私も彼氏欲しいなって言ったら、彼の友達を紹介してくれるって子たちが合コン開いてくれるって」
「いい出会いがあるといいですね!」
「とりあえず今日は楽しく飲んでくるよ♪」
 ウキウキのなまえとみぬきの会話に耳をそばだてているのが丸わかりの王泥喜が面白い。素知らぬ顔でパソコンを操作しながらも、どこかソワソワしていて目線に落ち着きがないのが笑える。
「なまえさんなら、きっと、す〜ぐにいい彼氏ができますよ! ね、オドロキさん」
「いっ!?」
 急に話しかけられて、あきらかに動揺する王泥喜をみぬきがさらに煽っていく。
「なまえさん可愛いし、出会いの場に行ったら絶対ほっとかれませんよ。オドロキさんが一人ぼっちのクリスマスイブを迎える中、なまえさんは彼氏とラブラブなイルミネーションデートしてそう!」
「イルミネーションデートかぁ。憧れちゃうな。よし、頑張ってクリスマスまでに彼氏作るぞ!」
「その意気です、なまえさん!」
 もはや王泥喜に話しかけたことなどすっかり忘れた様子で、女の子ふたりで盛り上がっている。
「やあ、ここはいつも賑やかだね」
 そこに牙琉検事が顔を出したから、みぬきが黄色い悲鳴をあげて大はしゃぎだ。
「成歩堂さん、お邪魔します」
 所長席の成歩堂には丁寧に頭を下げ、席を立ったなまえに検事が資料を渡す。
「解剖記録、変更があったからさ」
「わっ! わざわざありがとうございます! 連絡いただけたら伺いましたのに」
 なんせ人手が足りないし、弁護の依頼も少なかったので、なまえは事務員といっても忙しくフロアで働くわけではなく、なんでも屋の仕事やマジックショーの手伝いを兼ねていた。手が空いていない王泥喜の代わりになまえが解剖記録を受け取りに行くこともある。
「バイクでスタジオに向かう途中だったから気にしなくていいよ。それに慣れないヒールを履いた女の子を何度も呼びつけるなんて、ぼくには出来ない」
 髪を掻き上げてカッコをつけているが、その仕草が実にサマになっているのが憎らしい。
(相変わらず気障な男だ)
 足を痛めていたことを見抜かれて、なまえは恥ずかしそうにしている。
「ガリューさん、優しい!」
 みぬきがキャアキャア騒ぐ中、王泥喜は面白くなさそうに牙琉となまえを見つめていた。

 定時を過ぎると、なまえは「他にやることがないか」とみんなに聞いてまわった後、「お先に失礼します」と頭を下げて事務所を出て行った。
「あの子、面白いね」
 みぬきに引き止められていた牙琉がソファの上で呟く。
「デートかいって聞いたら、彼氏が欲しいから合コンに行くんです! だって。『いい人がいたら紹介してください』なんてぼくに言うんだぜ」
 ククククッと身体を折り曲げて牙琉が思い出し笑いをしている。
「ぼくじゃだめなのかい? って訊いたら、パパラッチに追われるのは嫌です。いかにも真面目そうな、普通の社会人の男性がいいんです、だってさ」
 王泥喜が目を丸くして牙琉を見ている。
「おまけにその場に局長もいてさ、『もしいい人がいたら紹介をお願いします』って御剣局長にまで頼んでるんだ」
 成歩堂はなまえに淹れてもらったコーヒーを吹きだしそうになった。なまえに勢いよく頼まれて、たじたじになっている御剣の姿が目に浮かぶ。
「局長、困惑しながらも『うム』なんて答えてるから笑いを堪えるのに必死だったよ」
「なまえさん、やるう〜! みぬきのマジックショーにも誘ったら観に来てくれましたし、律儀な人ですよね、御剣さん」
「あれは近々、本当に紹介が行くかもしれないな。局長なら女の子の頼み事を本気にしちまいそうだ」
「検事局長の紹介なんて、お見合いみたいなもんじゃないですか! 来年にはジューン・ブライドでお嫁さんも夢じゃないですね!」

 ガタンッ!!

 物凄い音を立てて王泥喜が席を立った。
 王泥喜はみんなの視線を浴びて気まずそうに咳払いをした後、「ちょっとコンビニ行ってきます」などと言って素知らぬ様子で財布も持たずに入り口まで歩いて行く。
 事務所をゆっくりと出て行った後、階段を駆け降りる音が廊下から聞こえてきて、成歩堂はついに吹き出した。
「やれやれ、だね」
 牙琉がひと仕事終えたといった様子で息をつく。
「オドロキさん、なまえさんに追いつけるかなあ?」
「彼女は脚を痛めてるから、駅に着くまでには追いつくんじゃないかな」
「みぬき、オドロキさんが振られるほうに10円賭けます。ガリューさんはどうですか?」
「おデコくんの頑張りしだい、かな?」

 * * * 

「なまえさん! 待って! 待ってください!」

 信号待ちをしているなまえが振り返ると、必死の形相の王泥喜がこちらに向かって走ってくるのが見える。
「王泥喜くん? どうしたの、そんなに慌てて」
 息を切らせる王泥喜を見ていると、いきなりぐっと腕を引かれた。
「結婚なんてしないでください!」
「へ? なに? なんのはなし?」
「合コンなんて行かないでください!」
「いやだよ。せっかく友達がセッティングしてくれてるんだから」
 離してもらおうともがいたら、両肩に手を載せられて、よりいっそう強く捕まえられてしまった。
「彼氏なんて作らなくてもいいじゃないですか! 土日淋しいんだったら、オレと出かけましょうよ。クリスマスイルミネーションだって、オレとふたりで見に行けばいいんだっ!」
「ちょっと、王泥喜くん?」
 王泥喜の大声に、通行人がこちらを振り返るから、恥ずかしくてたまらない。
「だめだよ、わたし彼氏作るって決めたんだから」
「いかにも真面目そうな、普通の社会人の男がいいんでしょう? だったらそんなの、お、お、オレだっていいじゃないですか!」
 なんだかどもってるけど、一生懸命言ってる気持ちは伝わってくる。
「そんなこといきなり言われたって困るよ。君のこと、今までそういう目で見てきたことなかったし」
 恥ずかしすぎて顔が熱い。
「だったらそういう目で見ようとしてみてくださいよ! とりあえず今週の土曜日、デートしてください」
「えっ」
「土曜日は都合悪いですか?」
「そんなことないけど」
「じゃあ決まりですね。何回かふたりで会ってみてからオレのこと、ありかなしか決めてくれればいいんで」
 あれよあれよというまに、デートの約束を取りつけられてしまった。
「でも、今日の合コンは行くからね」
「だめですよ! そんな足引きずりながら合コンなんて行ったら、下心のある男に送り狼されるのがオチです」
「そんなに心配だったら君、迎えにくる?」
「行きますッ!!」
 冗談で言ったつもりなのに、本気で来ると言い出した。
「場所、どこですか?」
「……やっぱりいいよ、遅くなると思うし悪いから」
「いいから場所、教えてください!! オレが家までなまえさんを無事に送り届けますから」
(どうしよう。この子、本気だ……)
 かなり強引なのに、そんな王泥喜に嫌悪感はまったくわかない。むしろこんなふうに真剣に迫られると、1回ぐらいデートしてみてもいいかもしれないなどと思えてくる。
(って、もうデートの約束してるんだった!)
 とんでもない勢いで距離を詰めてこようとする王泥喜に圧倒されながらも、気がつけば合コンが開催される店の名前まで教えてしまっていた。
「じゃあ、後で迎えに行きますんで。お開きになる前に必ず連絡ください」
「わ、わかった……」
 強い眼差しにたじたじになりながらもなまえが頷くと、やっと安心したように王泥喜が笑顔を見せて事務所へと踵を返す。
(一体あの子、どうしちゃったんだろう……?)
 去っていく王泥喜のベストの背中の黒い部分を呆然と見詰めてしまう。
 急に何かのスイッチが入ったかのように激しく王泥喜から求められて目眩がしそうだ。今の出来事が衝撃的すぎて、肝心の合コンに身が入らないような気がする。
(王泥喜くんのことだから、送り狼になるなんてことはないだろうと思うけど)
 それでも今の王泥喜からは、今まで感じたことがなかったような危険な匂いがする。
(いやいや、王泥喜くんとか今さらないでしょ! いい子だけど、ぜんぜん眼中になかったし!)
 夜もあんな調子で迫られたらどうしよう。ふと、そんな考えがなまえの脳裏をかすめ、必死に首を横に振りつつ、いやらしい想像を掻き消す。
(いやいや、ないない! 王泥喜くんなんてありえないよ!)
 なまえの動揺を感じ取ったのか、いつのまにか振り返っていた王泥喜がにこやかにこちらを見ていた。
「……っ」
 そのままひらひらと手を振ってみせてくる。
(ちょっと調子に乗らないでよね、王泥喜くんのくせに!)
 心の中ではさんざん悪態をついてるのに、しおらしく王泥喜に手を振り返す自分がいて、心と体がバラバラになっていくのを感じる。むしろなまえは、心よりも身体のほうが正直なんだろうか。
(飲み会後の迎えに来るなんて、どう考えたってそれ、みんなから彼氏だと思われるやつだよね。どうしよう……)
 手を振り返されて嬉しそうに目を細める王泥喜を見て、なまえの中の敏感な部分が、ぎゅっと掴まれるような心地がした。



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