おにいさまと呼びたいのじゃ!

「そち、たしかナユタの事務官であったな?」
 青空の下、城の中庭に咲き誇る花々に見惚れていたわたしに、突然声をかけてきたのは、クライン王国の巫女、レイファ・パドマ・クライン様だった。
「はい。たしかにわたしは、ナユタ検事の事務官ですが……」
 日本の裁判でナユタ検事の事務官を務めた際に、一緒に何度か仕事をしている。わたしの何を気に入ってくださったのかはわからないが、科学捜査官の茜さんとともに引き抜かれて、こうしてクラインの地を頻繁に訪れるようになった。
「名はなんという?」
「みょうじなまえと申します。レイファ様」
 クラインではどのような礼の仕方が適切かどうかよくわからないので、日本流の一番丁寧なお辞儀をしてみせた。
「よいよい。そう固くならずとも良い!」
 レイファ様が面白くなさそうに大きく首を振る。どうやら畏まられることを好まないお方らしい。
「そちはナユタのことをよく知っておるのか?」
「よく知っているなんて、そんな、恐れ多いことです!」
 こちらがお姫様であれば、あちらは王子様である。めったなことなんて言えない。そんなわたしの答え方がお気に召さなかったようで、レイファ様はふくれっ面である。
「恐れ多いとかそんなことはどうでもよいのじゃ! 実際のところはどうなのだ!」
「レイファ様や王泥喜くんほどではないと思うのですが、最近はよく行動を共にするので、多少は知っているかと……」
 そう答えた途端、レイファ様の顔がぱあああっと明るくなる。
「そちに決めたぞ!」
「な、なにをでしょう……」
「わらわの相談役じゃ!」
 ナユタ検事に関係する相談であれば、王泥喜くんのほうがいいのではないだろうか。
「相談役でしたら、王泥喜くんのほうが適役かと思うのですが」
 そのとたん、頬を真っ赤に染めて、レイファ様が恥ずかしそうに首を振る。
「だめじゃ、だめじゃ! あのツノ頭などに、乙女の秘密は到底打ち明けられぬ!」
「乙女の秘密……ですか?」
 この頬の赤らめかた、もしかしたら恋の悩みだろうか。だとしたら確かに、王泥喜くんには話せないだろうな。
「わかりました。わたしでお役に立てるかどうかはわかりませんが、お悩みをお聞きすることぐらいはできるかと」
「本当かっ! 嘘ではなかろうな!?」
 食いつきがすごい。両手を握り締め、身を乗り出して必死にわたしを見てくるレイファ様は、とても子どもらしい表情をしている。思わず微笑み返すと、それを承諾の意と受け取ったのか、本当に嬉しそうに笑った。
(我儘なところはありそうだけれど、可愛らしい、お方だな……)
 微笑むわたしの前でレイファ様が「謝礼は弾むぞ!」などと叫んでいる。
「そんな、お礼なんて受け取れません!」
「ふむ。そちは欲がないのだなあ」
 片頬に手を当てて首をかしげる仕草まで、お姫様のそれだ。
「わらわはそちが気に入ったぞ、なまえ! さっそく相談に乗ってくれぬか?」

 
「……で、レイファ様の相談ていうのは、一体なんだったの?」
 ヤクの肉の挟まれたハンバーガーを齧りながら、王泥喜くんが言った。
「ちょっとあんた! 乙女の秘密をあんたなんかが聞いていいとでも思ってんの!?」
 茜さんがビールジョッキを掲げて、王泥喜くんに猛烈に抗議する。このふたりは仲がいいんだか悪いんだか、よくわからないな。お互いをののしり合いながらも、なんだかんだと一緒に食事をするんだから、本当はこれで気が合うんだろうか。
 ここは、クラインで唯一まともなハンバーガーを食べられる店として、在住外国人にも人気の店だ。なんといっても名物は、王泥喜くんの食べているヤクのハンバーガーである。昼はカフェ、夜はバーとして開かれていて、食事をガッツリ食べるというよりは、お酒を楽しむ目的の客が多い。
 わたしたちもまあ、お酒目的で訪れたといえるのかもしれない。日本人がそばにいるだけで心強くなってしまう異国の地で、わたしと茜さんと王泥喜くんは、定期的に集まって食事会をしていた。
「乙女の秘密なんて言葉、茜さんには似合いませんよ」
「言ったわね! そんなふうにデリカシーがないから、あんた彼女の一人もできないのよ」
「どうせ茜さんだっていないんでしょう? 彼氏」
「ほんとに腹立つわねあんた! もうカップ麺、日本から運んであげないわよ!」
「わあああっ、すみません! オレが悪かったです!」
「……わかればいいのよ、わかれば」
 米つきバッタのように頭を下げ続ける王泥喜くんの前で、茜さんは頬に手を当てて、すっかりふくれっ面だ。
 どうやらいったん、口喧嘩の勝敗はついたようである。そこでわたしはゆっくりと口を開く。
「相談の件なんですけれど、わたしから聞いたということ、レイファ様には内緒にしてもらえますか?」
「もちろん!」
 王泥喜くんがハンバーガーを手にしたまま、白い歯を見せてにいっと笑った。

『わらわは、ナユタをその……』
 レイファ様はきょときょとと地面に視線を落としながら、頬を赤らめてもじもじしている。
 もしかして、ナユタ検事に恋してるとか、そんな相談だったらどうしよう! 固唾を呑んで身構えるわたしの前で、レイファ様がぎゅっと両目を瞑って叫んだ。
『おに、おにっ……! おにいさまと呼びたいのじゃっ!』
 恥ずかしくてしかたがないといった様子で顔を真っ赤にしている。
 レイファ様の相談というのは、思いもよらないぐらい、可愛らしい願いだった。

「そういうこと、か……」
 王泥喜くんが納得したように頷く。
「それならオレもナユタから相談を受けたよ。レイファ様がナユタを怖がってくるってさ。だから鬼のように恐れられてると勘違いしたんだな、ナユタのやつ」
「ツンデレと天然……交わるのは難しそうですね」
「あいつ……言うほど天然か? まあ。言わんとすることはわからなくもないけどさ」
 軽く首をひねった後、王泥喜くんが人の悪い笑みを浮かべた。
「『オレのことをド腐れピーマンだなんて言ったから罰が当たったんだ!』って言ってやったら、ナユタのやつ、顔を青くして震えてたよ」
「それはまた、人の悪い」
 王泥喜くんがニヤニヤしながらこっちを見てくる。
「ナユタが面白いから、しばらくほっといたらどうかな?」
「だめです! レイファ様は真剣なんですから」
 反論するわたしに、王泥喜くんがははっと笑った。
「ずいぶんと仲良くなったんだね、レイファ様と」  

 翌朝――レイファ様と話し合った後、わたしは城の中庭に、ナユタ検事を呼び出した。そしてよく晴れた午後のお茶の時間、ナユタ検事がゆっくりと姿を現したのだ。
「それでなまえ、改まって話したいことというのはなんでしょう? 給与査定のことですか?」
 柔和な笑みを向けてくるナユタ検事に、わたしはきっぱりと首を横に振ってみせた。
「いいえ。レイファ様が、ナユタ検事にお話したいことがあるそうです」
「レイファ様が……ですか?」
 ナユタ検事が目を丸くして、わたしの後ろに隠れているレイファ様に視線を向ける。
「大丈夫ですよ。レイファ様。わたしが一緒にいますからね?」
 緊張でがちがちになっているレイファ様に優しく声をかける。
「わ、わらわは、ナユタを……今日からこう呼びたい!」
 そこまで言うと、レイファ様は怯えるように全身をぶるぶると震わせた。
「おにっ……おにっ」
 翡翠の瞳は、今にも泣きだしそうに潤んでいる。
 怖がっているように見えるレイファ様の様子に、ナユタ検事が寂しげな顔つきになった。
 これじゃあ誤解されても仕方がない。
 できるだけ口は出さないほうがいいかとは思ったが、このままでは上手くいくものもダメになると判断して、少しだけ口をはさむことにした。
「ナユタ検事。レイファ様はあなたを、鬼のように怖いと言ってるわけではありません」
「……では、なんだと言うのです?」
 わたしは震えているレイファ様の耳元で囁いた。
「さあ、レイファ様、勇気を出して」
 ちいさな手をそっと握ってあげると、レイファ様がつんと顎を上げ、高飛車とも言えそうな声音で叫んだ。
「わらわはナユタのことを、おにっ、おにっ……おにいさまと呼びたいのじゃ!!」
「なんと! そうだったのですか……」
 ナユタ検事が目を見開いて、レイファ様を見詰めている。レイファ様はこれ以上ないぐらいに真っ赤な顔でナユタ検事を見上げていた。
「今まで気がつかず、申し訳ございませんでした。レイファ様」
「うむ。苦しゅうないぞ……おにっ おにっ……おにいさま」
 たどたどしい妹の姿にナユタ検事が優しく目を細める。
 それは、ナユタ検事の極上の微笑みだった。

「なまえよ、礼じゃ! 肩たたきをするぞ」
 金銭のお礼は受け取らないと言ったわたしに、レイファ様が肩たたきをしてくれた。青空の下、中庭の椅子に腰かけて花々を眺めながら、レイファ様の優しい肩たたきに瞳を細める。
「お上手ですね、レイファ様……すごく心地いいです」
「そうだろう、そうだろう! わらわは母上に、毎晩肩たたきをしておるのじゃ!」
 得意になっているレイファ様が、とっても可愛らしい。
「親孝行されてるんですね」
「まあな!」
 わたしの向かいの椅子に座るナユタ検事が小さく笑っている。妹が可愛らしくてしかたないといった様子だ。
 レイファ様は肩たたきを一生懸命にしてくれながら、少し遠慮がちに声をかけてきた。
「なあ、そち……わらわのバアヤに立候補するつもりはないか?」
「ば、ばあやですか!?」
「給金は弾むぞ?」
 必死にわたしを口説こうとしているレイファ様に、ナユタ検事が悩ましげな表情を浮かべる。
「困りますねえ、レイファ様。なまえは拙僧の事務官なのです」
「いやじゃ! わらわのばあやにしたいのじゃ!」
「やれやれ、困りましたねえ……いくら駄々をこねられても、なまえを渡すつもりは毛頭ないのですが」
 溜息をつくナユタ検事に、「おにいさまは、ずるい!」とレイファ様が怒っている。
「そんなになまえを気に入っておるのなら、いっそのことお兄さまの嫁にすればよいのじゃ! さすればなまえが、わらわの義理の姉上になるのか! 我ながら名案じゃ!」
 レイファ様はひとりで興奮して騒いでいる。わたしとナユタ検事といえば、レイファ様の言葉に凍り付いていた。
「よ……」
「よめ……?」
 やがてフリーズが溶けると、ナユタ検事が腕を組んで目を閉じる。しばらく何かを考えるように黙り込んだ後、おもむろに瞼を上げて口を開いた。
「嫁ですか……まあ、悪くはないですね」
「御冗談ですよね?」
「少なくともあなたの人柄は気に入っています。検討の余地はあるかと思っていますが」
 検討の余地って! 
 わたしは嫌な冷や汗を背中に感じながらも、必死に問いかける。
「あの、既に婚約者とかいらっしゃいますよね?」
「いいえ、今までそれどころではありませんでしたから」
 王子様の嫁なんて冗談じゃない。今にも逃げ出したいような思いで震えていたら、ナユタ検事が面白そうな目つきでわたしを見た。
「おや、なまえは嫌ですか? 拙僧の花嫁になるのは」
「あまりにも身分が違いすぎますよ!」
「つまりそれは、身分の差さえどうにかなれば、嫌ではないという事ですね?」
 うわあ、検察官の追及って容赦がない。
 さっきまで固まってたくせに、なにが彼をその気にさせたんだろう。
「お兄さまと結婚するのじゃ、なまえ。母上に頼めば身分の差など、どうにでもなろう!」
 困り果てるわたしに、レイファ様がさらに囲い込もうとしてくる。
 茜さん、王泥喜くん、今度はわたしが相談に乗って欲しいよ!
 仲の良い兄妹に追い詰められながら、わたしは日本人の友人たちを、今夜もあのハンバーガーショップに呼び出すことを誓った。



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