「手でも繋ぐか」

 ふいにそんな声が聞こえて、暗い海に対岸の街の光がきらきらと反射するのを眺めながら、横目でちらりと隣の様子をうかがう。彼もまた私と同じように柵から少し身を乗り出して遠くの夜景を見つめていた。その横顔がいつもより熱を帯びていると思うのは、自惚れだろうか。

「恋人でもないのに?」

 そんな胸の内とは裏腹に、口をついて出たのは可愛げの欠片もない言葉。いつもこうして茶化しては可能性の芽を摘んでしまうのだ。もしかすると、この曖昧な距離感が心地良かったのかもしれない。
 冷たい海から強い風が不穏な音を立てて静かな私達の間を吹き抜けた。白い息を隠すようにマフラーに口元をうずめて視線を落とす。少しの沈黙の後にぼやけた視界の端で、弾かれたように天花寺が私を見たのがわかった。

「お前、なんつう顔して──」
「違う、違うの!」

 彼に背中を向けてぐいと瞼をこする。そうだ違う、こんなつもりじゃなかった。いつもみたいに適当にかわして、むきになった天花寺をからかって、それで終わりのはずだった。なのにどうして遠く向こうのイルミネーションがこんなにも滲んで見えるのだろう。瞳がやけに熱くて、何もかもが零れ落ちそうだった。

「名前」

 名前を呼ぶと同時に、彼は私に触れていた。後ろから回された二本の腕。逃げ出すことも、身動きをとることさえも出来ないくらい、強く抱きしめられている。その事実に余計に目が熱くなる。

「オレが泣かせたって思って良いか?」
「それ、は、どういう、」

 後ろから迫る低音に心臓が悲鳴を上げていた。緊張で固まったままの身体に、さらに天花寺の腕がきつく回される。吐息がすぐ耳元まで来るのを感じて、思わずきゅっと目をつむった。これ以上何か言われたら、

「惚れた男に素直になれなくて泣いてるって思って、良いんだよな?」

 声をあげて泣くことしか出来ない。こんな姿、見せるはずじゃなかった。そんな悔しさに、何故だかあたたかい嬉しさが混じりぼろぼろととめどなく流れるそれは後から後から溢れてきて頬を濡らしていく。天花寺はといえば、力を強めるばかりで一向に私を離す気配も見せず、どんな表情をしているのか窺うことさえ出来ない。

 あと少し。あと少しだけ、この強く苦しいくらいに温かい腕に包まれていてもいいだろうか。今零れた一滴が、頬を伝い終わったらちゃんと振り向くから。きちんと目を見て、あなたのことが好きですと言葉にするから。そうしたら優しく微笑んで、今度は正面から抱きしめてほしいなあなんて。そんな我儘を秘めながら、胸で交差するたくましい腕をぎゅっと掴んだ。