お隣さんと内緒
※山崎×作家主


案外、人のことを考える時間は自分を満たしていってくれるものだ。

たまたま引っ越してきた日に廊下で出会って、新しいお隣さんですかよろしくってありきたりなご挨拶をした。
それだけなのに、俺はその瞬間にこの人のことを好きかもしれないと思ってしまった。
まだ胸がどきどきと音が鳴ったまま、壁に耳を当てて欲しがりな気持ちを連れてくる。

「好きじゃねーよ」

壁の先から聞こえた気持ちを見透かされたかのような言葉に我にかえった。
俺のことかな、その言葉にどんな意味が込められていたのかと想像して背筋がゾクリとした。

少したって男性と話し合う声が聞こえて、お隣さんはヤマザキさんだということがわかった。
この時だけは壁が薄くて良かったって感謝をする。
ヤマザキさん、山崎さんかぁ。


外に出る様子を見計らってほんの少し開けた扉からから覗けば、あの日以来見れていなかった姿に胸が高鳴る。
たまに外に出ては袋いっぱいのあんぱんと牛乳を買っていて、その時だけ手を休めて扉から少しだけ覗いてみていた。
仕事しなきゃいけないのにやめられないな、でもこういう時は自由の利く仕事でよかったとも思う。
小説家という仕事のかたわら、まさか隣人に盗聴?いやもしかしてストーカー?
こんなことがばれたらワイドショーが嫌な意味で盛り上がるだろうなと想像して苦笑する。


あーあ、という声が響いてうるせーと反撃するご近所さん。
いつも静かにしている山崎さんが珍しい声を出したものだからびっくりして、持っていた筆を落としてしまった。
うちの方の壁にもパァンとなにかがぶつかる音がして、もしかして山崎さんって情緒不安定?
これがなんの音かはわからないけれど、壁に耳を当ててみても話し声や生活音と言われるものが極端に少なくなっていた。
それと同時に少しだけ開けた扉から見える姿が日に日にやつれていて、でも伸びてきた髭も悪くないなって思った。
俺は案外好きになった人の外見は気にしないタイプだったのかもしれない。
袋いっぱいのあんぱんと牛乳だけは謎に包まれたままだけど。

また壁にパァンとなにかを叩きつけるような音に、ご近所さんはうるせーと反撃していて最近この組み合わせが多いとひとり思う。
しかしこれから数日、音がしなくなった。
壁に耳をあててもそもそも部屋にいる気配がない。
どこかへ出かけているのか、様子を見に廊下へ出ればポストにチラシがたくさん溜まっていて留守にしていることを知らせる。
早く帰ってきて欲しいと、まるで同棲でもしているかのような気持ちが生まれるが、どうせ俺は直接話すこともできない。
扉を閉めてまたひとり狭い暗くなった部屋に戻る。
あの挨拶がきっと最初で最後なのに、この気持ちを知ってしまったら、人間はやっぱり欲が出てしまうものなのだな。

瞬間、ここには不釣り合いな女の笑い声が聞こえてきた。
少しだけ扉を開ければ階段を下っていく女の姿、あれはきっと向かいの女だ。
反対を振り返ればきっと先ほどまでなかったであろう物が、山崎さんの部屋の前に置かれている。
それはあたたかそうな食欲を誘る色をしていてそれが無性に腹が立った。
そういう仲なのかな、料理なんて俺だって作れるのに。

ぐるぐると思考を巡らせているのと比例して時間がたっていたようで、階段を上がってくる音がする。
山崎さん、帰ってきたのかな。
久しぶりに姿を見たい気持ちはあったけれど、どうしても先ほどの女の姿がよぎってしまう。
帰ってくることわかっててあの料理持ってきてたのか、部屋だけじゃなくて体内にまで入れちゃうんだからいいよな。
嫉妬で頭が少しおかしくなる、俺が勝手に抱いている気持ちなのにね。
頭を冷やしに散歩でもしようと扉に手をかける。
そこには下着1枚身につけただけの山崎さんが廊下に倒れていた。


「あのー、お隣さんいませんか」

思わず声が出てしまってうっかりいることを気づかれてしまう。
ちょっとお時間良いですかって、そんなのだめです。
バレてしまえば居留守を使うわけにもいかなくて、しぶしぶ扉を開ければのびていた髭もそって小奇麗になった山崎さんがいた。

あの日倒れていた山崎さんを最初に見つけて救急車を呼んだ、でも俺に出来たことはそれだけだった。
以来ずっと隣の部屋は空いたままで、俺はただの隣人だから山崎さんがどうなってしまったのかなんて知る術もなく、そのうち帰って来る音がきこえてこないかなって玄関でうずくまる日々が続いていた。
でもこんなにも明るい声が出せるくらい元気になって良かった。

「こないだ廊下で倒れてた俺を助けてくれたって聞いて」
「俺なにもしてな…」
「いーえ、ちゃんと聞きましたもん。お隣さんが見つけてくれたんですよね」

ありがとう、と続けられた言葉に思わずうつむく。
そんなこと言われる立場じゃない、俺はあなたの音を聴いて満たしていただけなのに。

「山崎さんにお礼言われるようなことなんて」
「……名前、名乗りましたっけ」

初めて会った日から今日まで話したことはない。
走馬灯のように駆け巡るあの日だって、よろしくって言っただけで、俺は壁を通してあなたの名前を知ったんだ。
少し雰囲気の変わった山崎さんにゾクリとする。

「…っ違うんです!ここ壁薄いからうっかり聞こえちゃったというか聴いてたというか、ひとめぼれしちゃって俺知りたくてそれで」

言えば言うほどぼろがでて、なんて汚いことをしてしまったのだと罪悪感が募っていく。
ごめんなさいと絞るように出た声は、自分でもわかるくらい情けない小ささで、きっとこの人にも気持ち悪いと思われてしまう。
静まりかえったこの場の雰囲気に耐えかねたように、すこし遅れて聞こえてきた言葉。

「気づいてるかもしれないんですけど俺、真選組なんです」

そんなこと知らなかった、顔をあげてみれば戸惑った表情が映る。

「職業柄ちょっとそういうことに気を張ってまして、疑っちゃいました」
「あ!いえ…俺が悪いんです、ごめんなさい」
「おかげさまで事件も解決しましたし、よかったら礼させてください」
「……っ!お礼してもらうほどのことなんてしてないです」
「俺がしたいんです」

山崎さんと会えたことが嬉しくて舞い上がっていた。
目の前に彼がいて、しかもお礼がしたいだなんて、ただの隣人だった俺がいいんだろうか。
ましてや彼は真選組だ。
そうか、きっともうこの部屋には帰ってこないのか。
それならば最後に思い出として、彼からの提案を受けることにした。


***

お礼と称してご飯に誘った理由は敵と内通してないか、確認するためだった。
みょうじさんのもつ落ち着いた雰囲気はあまり周りにいないタイプで(普段が騒がしい場所にいるだけかもしれないが)自分でも驚くほど一息つける場所のようだった。
その居心地の良さからするりとこちらの内側にはいってきた彼は悪い奴ではないのだと直感で思い、そこからはプライベートな付き合いにシフトしていた。

よければまた会って欲しいとこちらから伝えた時、みょうじさんの驚きようには少し笑ってしまうほどで、正直自分でもこの関係を続けるとは思っていなかった。
だって、彼は俺にひとめぼれしたと言っていたのだから。
しかしあの日以来、特に言い寄られることも、そういった素振りを見せることもなく、少しずつ会う機会を重ねるようになったが、それでもやはり友達の域を超えるかと言われたら難しいだろう。

そんな思いを抱きながら少し経ったころ、見廻りで外出した時だ。
みょうじさんの姿を見つけた。
彼はそわそわとした様子でそこに立っていて、こんなにもじっとりとした目線を送っているのに気づかないなんて、それはこの場所のこの先のことのせいなのだろうか。
こんな夜に所詮歓楽街と呼ばれる所に1人で立ってんだから男ならばわかり切ったことだ。
ほら女の子だって来た、こんな所で落ち合って向かう先なんてひとつしかないだろう。
なんだ、あのひと別に女もいけるんじゃあないか。


「こないだ女の子といましたよね」

酔った勢いでその事をすべらしてしまった。
居酒屋の雰囲気にのまれた部分もあるかもしれないが、そういう話を振ったのだからそういう話題になるだろう。
避けるべき話題のはずだったのに、見てたんですねって恥ずかしそうにうつむきながらお酒を飲む姿に、なんとなく腹が立った。

「実は今度書くお話が、今までに挑戦したことのないものをってことでですね…」
「それとどういう関係なんです」
「……その、…か、官能小説なんです」

それで経験のない自分では良いものが書けない、そう思ってあんな場所にいたと。

「結局シャワー浴びただけで怖くなってしまって、何もせずお金だけ渡して帰っていただきました」
「どうしてですか、せっかくなのに」
「……やはり女の子は苦手のようで。締切だってあるのに筆が進まなくて困っちゃいますよ」

自虐的に笑うその姿に、この安心感がもたらす意味を俺はわかってしまった。
まさかいつのまにか俺もみょうじさんのことを気になっていただなんて。
しかもここまで焦らしてくるなんてずるい。
先に好きと告げたのはみょうじさんなのに、今日まで何も無かったように振る舞ってきたのだから。
ならばこちらからも仕向けるまでだ。

「じゃあ、男でもいいんじゃないですか」
「え……」
「女も男も変わらんでしょう」

そう言ってみょうじさんの手をとる。
俺のことを見る目は少し悲しげで、でもそのなかに期待を孕んでいるように見えた。


それからは、あっという間だったように思う。
みょうじさんが嫌がらないことを良しとして手を引いて、あの歓楽街にあるホテルに連れ込んだ。
部屋に入って早々、ドアの前でみょうじさんを後ろから抱きしめて、そのまま手をすべらせて着物を解こうとすれば、急にいやいやと手を止められる。

「やっぱ、り…だめ、です」
「今更なにを言ってるんですか、お話書きたいんでしょう」
「でも…っ!こんなこと、はずかしい」

首すじにふうと息を吹きかければびくりと震えた体からは力がぬけて、いとも簡単に片手で両手首を扉に押し付けることができた。
耳元で少しだけいじわるを言うと、首を振ってかわいらしい抵抗を見せる。

「そんなみょうじさんを俺は見たいですよ」
「や、だ…だめです、だめ、山崎さんおねがい」
「……俺のこと嫌いですか?」
「ちが、っおれ…山崎さんに嫌われたくなくて…!」
「じゃあ、このまま大人しくしててください」

ぴたりとやんだ抵抗によっぽど俺のことが好きなんだと自惚れてしまう。
はだけた着物から現れた素肌の柔らかさを確かめるように撫でれば、それだけで漏れ出す声にますます煽られる。
いじわるしてごめん、心の中で謝っても無駄だろうけど、でも散々焦らされてここまできたらもう待ってやれる気もしない。

「あ、まって、やだ…!そこはだめぇ」
「ほら、またやだって言った。そんなに嫌ですか?」
「っ……!おれ、山崎さんのことが好き、なんです…だから、だめ、恥ずかしくて死んじゃう…」
「死なれたら俺が困ります」
「どうしてそういうこと言うんですか…一生内緒にしようと思って、たのに…」
「前に一目惚れだって自分で言ってましたから大丈夫ですよ」
「…!っいつ?!え、そんなこと…」
「あなたと初めてちゃんとお話したときです」

恥ずかしそうにうつむいていた顔がゆっくりと振り返って、泣きそうな顔をしたみょうじさんと目があう。

「じゃあいままでそれを承知で、会ってくれてたんですか…?」

あーあ、泣かせちゃったな。

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はじめ