飼い猫を探してるんです
雨風が吹き荒れる嵐の夜、歯車は静かに動き出した。
豪雨が窓を叩く音が部屋に響き渡る。そんな中、わたしはもう冷えてしまった夕飯とにらめっこをしていた。これはわたしのものではない。今この状況を作り出した彼のもの。しかし、当の本人はいつまで経っても帰ってこない。
「少し出てくる。先に飯食べといていいよ」
そう言い残し夕方に出て行ったきりもうすぐ夜が明ける。彼が帰ってこない限りわたしと夕飯のにらめっこは続く。
いいよ、わかったよ。わたしの負け。
にらめっこは痺れを切らしたわたしの敗北という結果に終わった。
いくらなんでも遅すぎる。
場所を告げずわたしに留守番させるあたり、きっと不良たちとの喧嘩かなにかだと思っていたのにどうやらそうでもないらしい。ならば彼はいったいどこへ向かったのか。
と、そのとき。わたしにある予感。
もしかして、なにかに巻き込まれているのではないのだろうか。不良同士の喧嘩とか交通事故とかそういうものではない。
たとえば、彼とわたしが望むもの。
そう考えたらいてもたってもいられず、雨傘を片手に家を飛び出した。
雨足は弱まったようで静寂の中にしとしとという音だけが聞こえる。その音は、まだ朝方で薄暗く人影もない街並みの哀愁を引き立てていた。
まるでこの世界にひとりしかいないみたい。
わたしってばなにを考えているのだろう。今は彼を探しに行かなくては。それにわたしはもうひとりではないのだから。
歩きはじめて数分後「ちょっといいかな」という声に呼び止められる。朝方とは言っても、人々が動き出すような時間ではない。と、なればおのずと呼び止めた人間がどんな人間であるか予想ができる。警察か、チンピラか。
「こんな時間にどうしたんだい?」
正解は前者。警察官は巡回中のようだった。なにか事件でもあったのだろうか?どこか表情が厳しい。
「昨夕から帰らない飼い猫を探しているんです。昨晩は嵐だったでしょう?心配で…」
「そうかい。それは心配だね」
なんとなく本当のことは言わないほうがいいような気がして、咄嗟に猫探しなんて言ってしまったけれど、当然彼は猫ではなく正真正銘の人間だ。興味があることしか見向きもしないところや、放浪癖があるところは猫らしいかも。
それが嘘だと疑わない警察は厳しかった表情を柔らげてさらに言葉を続ける。
「でも気をつけるんだよ」
「え?」
「昨晩チキンランっていういわゆる度胸だめしを不良グループ同士が行なってね。結局、車は両方とも崖から落ちてしまったんだが、ひとりは重体、もうひとりは車から自力で脱出してその場から逃走したらしいんだ。そいつは今もこの街のどこかにいるっていうからね、こうして巡回をしているんだよ」
「チキンラン、ですか」
「ああ。そんな得体の知れない輩がいるんだ。お嬢ちゃんも猫を見つけたらまっすぐ家に帰りなさい。いいね」
そう念を押したあと、警察はそのまま自転車に跨って去っていく。
チキンランか。
どうやら咄嗟に「飼い猫を探すため」と嘘をついたのは間違いではなかったらしい。きっと警察官が言う輩というのは彼のことだ。
場所を告げなかったこと、わたしを連れて行かなかったこと、こんな時間まで帰ってこないこと。もしも輩が彼だとしたらすべて辻褄があう。たしかな証拠があるわけではないけれど、幼馴染の勘がそう言っている。
「しーくん…」
大丈夫。崖から落ちてもなお、自力で車から脱出したくらいだ、彼ならきっと無事でいるはず。
それよりなぜ帰ってこないかが問題だ。
昨晩はチキンランをしていたとして、今は?チキンランのあとに彼が向かう場所。ずぶ濡れの彼が向かう場所は…。
朝日が昇りはじめ、雨もあがった頃。わたしの目の前には「みどり」という雀荘があった。
これはあくまで予想なのだけれど、ずぶ濡れのまま歩き回った彼が目指したものは雨宿りができる場所。ついでに濡れた服を替えられれば万々歳。だとすれば彼がいる場所はおのずと絞られる。夜中にも関わらず灯りがついているところ、そこに彼がいる。
そこで見つけたのが「雀荘みどり」という店。朝方にも関わらず窓から微かに灯りが漏れていた。たぶん、いやきっとそうだ。この店に彼がいる。
「ごめんください」
返事はない。しかし扉の向こうからなにやら話し声がする。途切れ途切れ聞こえる声の中に、微かではあるが聞き慣れた声がした。その声はだんだんと近づいてきて、扉の前でこう言った。
そしてわたしは確信したのだ。
ああ、やはり彼がいたと。
「迎えも来たみたいだし」
内側から開かれた扉の向こうにいたのは、わたしが想像したとおりの人物だった。少しぶりに見た彼の表情は、どこか不満げに見えた。
「やっぱり、しーくんだ」
「あらら。ばれちゃった」
彼は少し笑うと早々に歩きだし「行くよ」とだけ言って立ち去ろうとする。彼のあとに続く前に扉の向こうを見てみると、そこには大勢の大人たちがいた。なんとも言い難い雰囲気だけど、彼はここでいったいなにをしたのだろう。わからないけれど、少なくともお世話にはなったはずだ。
「連れがお世話になりました」
呆気にとられている大人たちに一礼して、すぐに彼のあとを追いかける。追いかけるといっても、しーくんはちゃんと階段下で待っていてくれた。
「なにしてんの」
「ちょっとご挨拶。お世話になったんでしょう?海に飛び込んでずぶ濡れになった服も乾いているみたいだし」
「なんだ。もう知ってたのか」
「そりゃあね」
なんだかおかしくなってしまって、ふたりでひとしきり笑うと、彼の胃袋が空腹を訴えた。どうやらチキンランのあとすぐに麻雀をしたみたいでなにも食べていないらしい。「夕飯は?」と尋ねてきた彼に「今日は肉じゃがだよ」と答えると、しーくんは嬉しそうに笑った。
「物足りなさそう」
「え?」
「不完全燃焼って感じがしたから」
わたしの目から視線を外さない彼は、しばらくそうしたあと、わたしの鼻を軽く詰まんで笑った。
地味に痛い。
「まだ足りない」
そう言ってまた歩き出す彼の少し後ろをついていく。今のしーくんの背中は、昨夕に見た彼の背中とは違うものに見えた。
実はこのときもうすでに、動き出した歯車を戻すことは不可能になっていたのだけれど、わたしは気がついていなかった。
でもなんの問題もない。それでも構わない。しーくんの進む道はそれ即ちわたしの道でもある。彼がその道を歩むというのなら、わたしは喜んでこの身を捧げましょう。
わたしは、赤木しげるが見つめる
世界が見たい。