案外、悪女だな


「新しい学び舎に心躍る入学式。春風が舞い、桜吹雪の中で佇む君を見たときから、君のことが忘れられない。よければ僕とおつき合いをして欲しい。返事は急かさないけれど待っているよ。」



顔だけ後ろを振り返ると居間で寛いでいたはずのしーくんが、壁にもたれかかりながらこちらをじっと見つめていた。鍋のぐつぐつと煮立つ音がやけに響く。



「なにしてるの?」

「これ。返事すんの?」



わたしの質問には答えてもらえず代わりに彼から質問を頂戴した。
しーくんが言うこれとは彼の手の中でひらひらさせている紙のことらしい。近寄ってそれを受け取り、よく見れば今日呼び出された男子生徒に渡された手紙だった。自分で封を切ることなく、中身だけをしーくんから手渡されるというのはなんだか変な感じだ。手紙に目を通すと、どうやら彼の言葉はこの手紙を朗読したもののようだ。



「せっかくのお手紙だし返事はしなくちゃ」

「なんて返事するの」

「そりゃあ、いいですよって」



その瞬間、彼がもたれかかっていたはずの壁に背中を叩きつけられた。しーくんがわたしの腕を引っ張って壁に叩きつけたことでふたりの立ち位置が逆になってしまった。勢いがよかった割に背中が痛まないことからしーくんが加減してくれていることがわかる。

わたしの両腕を自分の両手で壁に縫いつけた彼の瞳は、こちらをじっと見つめて離さない。先ほどとの違いをあげるとすれば少しばかり怒気が含まれている。



「本気?」

「本気もなにも、お友達になろうって言ってくれているのに断ったら悪いでしょう」

「は?」



わたしの腕を掴む彼の手の力が弱まる。それと同時に彼の瞳からも怒りの色が失せはじめた。代わりに少々呆れているようだった。



「案外、悪女だな」

「あ、失礼だよ」

「恋文」



本日二度目の言葉をしーくんが呟いた。帰宅後、しーくんに渡した預かりものと同じ言葉。



「これは恋文。この手紙の男は、あんたに友達以上の感情を抱いている。自分だけのものにしたいって思ってる」



顎に手を添えられ強制的に上を向かされる。顔が近い。久しぶりに彼の瞳をこんなに間近で見た。
相変わらずきれいな瞳。わたしが好きな瞳だ。この瞳を見て、わたしは…。



「すず」



彼だけが呼ぶわたしの名前。妖しく光る瞳に宿る狂気がわたしを射貫く。



「全てを捧げられるか?あんたの身体も、心も全て手紙の男のものになるんだ。それでもいいなら今のように答えればいい」



わたしの顎を掴む手とは別の手で、腰を抱きすくめられる。これによりわたしの身体としーくんの身体は密着した。あと離れているのは顔だけだ。すっかり自由になった両手を彼の胸板に添える。



「しーくんも一緒なら、いいよ」



あ、久しぶりに見た。しーくんの呆気に取られた間抜け顔。その表情にちょっぴり嬉しくなって、わたしは言葉を続ける。



「だって、いつも側にある空気がなくなったら死んでしまうもの」



突然、身体が軽くなる。顎と腰に置かれていた手が外されたためだ。自由の身となったわたしの耳に届いたのはくつくつと喉を鳴らした笑い声だった。俯いているので彼の表情は窺えないが、笑い声からするとひどく嬉しそうだ。



「腹、減った」



次に彼が顔を上げたときにはもういつもの表情に戻っていて。なにごともなかったかのようにいつもと同じような台詞を吐く。
残念。もう少しだけ滅多に見られないあの間抜け顔を見ていたかったのに。



「まだかかる?」

「もう少しでできるよ」



持ち場である台所へ戻ったわたしにある疑問が浮かぶ。
しーくんはわたしのことなどお構いなしに背後から抱きついてくる。ちょっとだけ動きづらい。



「しーくんこそどうするの、恋文」

「ああ。あれ」



家についてすぐに任務を果たした恋文。その達成感のせいで自分の恋文のことは忘れていたのだけれど。



「いつも側にある空気がなくなったら死んじゃうからね」



翌日。手紙ではまどろっこしいので手紙をくれた彼に「赤木しげるも一緒ならお受け致します」と直接言うと彼は「急用ができた」と言い残し青ざめた表情で足早に去って行った。それからと言うものの再度彼に呼び出されることはなかった。

そのことについて前席の彼女に言うとたいそうお気に召したのか「最強の害虫防止策だ」と豪快に笑われた。

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