思ったより人間らしくて笑えるよ
日付が変わった頃、帰路に着いていると背後から気配を感じた。南郷さんたちとバーの前で別れてからずっと感じていた気配。ひとりになってから随分経つが、その気配が動くことはないため、好戦的なものではない。しかし、纏わりつくような気持ち悪い視線に嫌気がさした俺は、ついに後ろを振り返ってなにもない空間を見つめた。
「いい加減にしろ。わかってんだ、つけてきていることは」
「成る程成る程。馬鹿ではなかろうと思うていたが矢張り頭は切れるようだ。てっきり家まで無視すると思いきや、話しかけてくるとは驚きだが」
なにもなかった空間に現れたのは、歪な表情で笑う見覚えのない女だった。女はこちらに近寄り、一定の距離をもって立ち止まりクククと笑った。
「お初にお目にかかる、赤木しげる氏。君の事はあの子から聞いているよ」
「あの子以外に、うら若き乙女達からも君の名前は耳にするがね」と女は楽しそうに言った。あの子、というのがすずを指していることはすぐにわかった。そして目の前の女が何者なのかも検討がつく。恐らくすずが以前話していた「前席の彼女」だ。「彼女はお話じょうずで、詩人のような言葉を劇団員のように話すの」と言っていた。詩人かどうかは判別し難いが、大袈裟に喋るあたりたしかに当てはまる。
「なんか用?」
「たまたま君を見かけたものだからね。乙女達を虜にする赤木氏がどんな男か気になったのだよ」
「それであとをつけてたって?悪趣味だな」
「お言葉だが。不良とのチキンラン生還後すぐ悪徳刑事と運命共同体となり極道者に殴り込みする方がよっぽど悪趣味だとは思わんかね?」
まるで、全てを見てきたかのように話す女。崩さない余裕そうな歪な笑みが不愉快だ。吐き気がする。
「それでは小鳥遊すずめが悲しむぞ」
睨みつけると、女は「怖い怖い」と肩を竦めた。尚も笑みを浮かべているあたりそんなことは微塵も思っていないだろう。
「あいつはわかっている」
「ハハハ!亭主関白なのだな、赤木氏。それとも彼女なら己を理解してくれるという信頼か?君は固執しない人間…いや人間か如何かも訝しんでいたが、思ったより人間らしくて笑えるよ」
女はまた大袈裟に笑った。「乙女達はその固執を己に向けて欲しくて必死なのか、はたまた甘いマスクに誘惑されただけの蝶なのか、何にせよ愚かだな」とわけのわからないことを呟いた。
つき合っていられない。面倒になって女に背を向けて歩き出す。なによりこれ以上、こいつと喋ることが不快だった。
「君には小鳥遊すずめしか居ないというのに」
足を止めて顔だけ振り返ると、女はさらに目を細くさせ満足そうに下卑た笑みを浮かべた。不快感を実態化するならこの女の姿になるだろう。
「おや。この名は君の足を止める力があるのか。それ程までに固執しているとは恐れ入る」
「消えろ。あんたに話すことなどない」
「随分と嫌われてしまったらしい。問題ない、私も君の事は好いていないからな。其の点では気が合うじゃないか」
この女の笑い声さえ耳障りに感じた。もう話はない、そう思ったのは女も同じようで「思わぬ収穫があったからな、今宵はお暇するとしよう」と踵を返した。
「その絆が君の一方通行なのか、それとも相思相愛なのか見ものだな」
足を止め顔だけ振り返った女はそう告げて、今度は振り返ることなく街の雑踏に消えた。
その姿を睨みつけ、俺もその場をあとにする。
あの女のせいで今夜は酷く疲れた。もう二度と会いたくないと思いつつ、彼女が待つ家へといつもより早く足を動かして帰路に着いた。