目の前の美しい絵画に声が出ない


俺のお気に入りの場所、海岸。今日のような休日はもちろん、部活終わりも立ち寄ることが多い。

夕方以降になるとミュージシャンやダンサーが集い毎日どんちゃん騒ぎだが、この時間帯はいつものパーティー会場が嘘のように静かだ。騒がしい夕方の海岸も好きだが、波の音しか聞こえない昼間の海岸も好きだ。


なにをするわけでなく靴を脱いで波打ち際を散歩する。天気もいいし、そよ風と、ときたまかかる水しぶきが気持ちいい。帰宅後やらなきゃならない春休みの課題を忘れさせてくれる。(あんまーから口うるさく言われるのが嫌で逃げてきた)


そのとき、目の前をなにかが掠める。
一瞬のできごとに驚き思わず足を止めた。横切っったものを目で追うと、藍色の小鳥が自由に飛びまわっていた。

なんとなく小鳥をぼうっと見つめていると、俺の視界に大きな岩の上に立つ少女が映り込んだ。
小鳥は少女が伸ばした細い指に止まり羽休めをしていた。つば広の白い麦わら帽子を被った少女の白いワンピースが揺れる。


どれくらいその光景を見つめていたのかは分からない。このときは本当にぼうっとしていた。
あんまり見つめすぎたせいか、麦わら帽子の上に小鳥を乗せた少女がゆっくりとこちらに振り返った。


目を見開いてその光景をいっぱいに焼きつけた。
絹のような髪が風になびき、日の光を反射してきらきら輝く色白の肌と、俺が好きなターコイズブルーの瞳が美しく、目の前の光景が一枚の絵画に見えた。

その瞳に射抜かれ言葉を失った。
力強い瞳ではない。むしろその逆で、少女の瞳は儚いものだった。俺には今にも消えてしまいそうに見えて、引きとめなければと本能的に思う一方で、目の前の美しい絵画に声が出ない。

そんな俺に対して少女は俺を風景の一部のように一瞥しただけ。それが俺には永遠に思えた。


身体の自由が効いたのは、少女が去って少ししたあとだった。足元を見ると先ほどの小鳥と同じ藍色の羽根が落ちていた。

羽根を拾いあげてはじめて、今さらだけど心臓が早鐘を打つ。瞼の裏でもう一度、少女の姿を思い浮かべたらもっと鼓動が速くなった。


放心状態となった俺は、そのあと帰宅するまでの記憶があやふやで、気づけば自室のベッドにダイブし、羽根を片手に天井を見つめていた。

階段下から「課題終わらしたんか?」というあんまーの少し怒った声が聞こえてきたが適当に返事をした。当然のことながら帰宅までの記憶があやふやなほど放心状態な今、やる気あるなしに関わらず、課題などまともにこなせる気がしない。


その日からあの子の儚げな瞳を忘れることができず、ついに迎えた春休み最終日の朝。あんまーの怒声をBGMにほとんど終わらせていない課題と泣きながら向かいあったのは言うまでもない。

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