砂漠のオアシス


ザオ遺跡でイオンさまを救出したあと、彼の疲労も加味してオアシスで一泊したのちケセドニアへ向かうことになった。
外見がルークによく似た、六神将・鮮血のアッシュの存在。六神将の不穏な動き。
気になることはたくさんあるが、とりあえずイオンさまを無事救出できたことに安堵する。


同室のナタリアが寝静まった頃、彼女を起こさないように部屋を出た。

日中、みんなが水浴びで汗を流す中ぼくはそれを遠慮した。タオルで汗を拭いたりしていたがその場しのぎに過ぎず、まとわりつく気持ち悪さは完全には解消されない。
早く水浴びがしたい。逸る気持ちが足を急かす。



「あーっ気持ちいい!ね、ふたりとも」



豪快に水浴びをしているパテルと水際ではしゃいでいるメーテルは気持ちよさそうに鳴くとぼくに水をかけてきた。ぼくも負けじとそれを返し水をかけあう。
やっと汗を流せたことが嬉しくて、普段ならすぐに感じ取るはずの背後から忍び寄る気配に気づけなかった。



「旅をするうち思ったよりも頭は弱くないと感心しましたが、やはり馬鹿でしたね。こんな時間になにをしているのです」



人の気分を底に叩きつける声に慌てて振り返り、パテルの陰に隠れる。
ジェイドが近くにいたこと、水浴びに夢中だったせいか声をかけられるまで全然気づかなかった。確実に背中を見られてしまった。焦る気持ちを抑えてせめて声色だけでも努めて普段通りに嫌味を返す。



「水浴びに決まってんじゃん。性格も悪けりゃ態度も悪い、ついでに頭も悪いんじゃないの?」

「その言葉そっくりそのままお返しします。仮にそうだとしてもあなたほどではありませんよ、こんな真夜中に水浴びなど」



「馬鹿なんですか?ああ、馬鹿でしたね」と自己完結をして嫌味を続けるジェイドに違和感を覚える。言葉だけ聞けば普段通りの小言だが、パテルの陰から窺うジェイドの表情と声色が本気で怒っているように感じたからだ。



「…あんたも見ただろ。こんな背中、見せられたほうが気の毒だ。ぼくならごめんだね」



悲しそうに鳴くパテルと、水際から近寄ってきたメーテルを撫でる。ごめんね、君たちにそんな顔をさせたかったわけじゃないんだ。



「こんな気色悪いもの、見たくないだろ」



ぼくの言葉を黙って聞いていたジェイドの大きなため息に、ぼくは思わず身体を強張らせた。

ぼくの背中には、見るに耐えない無数の古傷と、竜騎士の所以たる術式が刻まれている。これを見た者たちはみな口を揃えてこう言った。父親に身体をいじられた「化け物」だと。

だからきっとこいつもそう思ったはずだ。なんて気色悪い、化け物に変えられた哀れな娘だと。
大丈夫、そんなこと慣れている。今さらなにを言われたって平気だ。なのにどうして手が震える?どうして恐怖を感じずにはいられないんだ。



「夜の砂漠は冷えます。風邪でも引いたらどうするのですか」



いつの間にか目の前にはジェイドがいて、ぼくは暖かいものに包まれていた。ぼくに視線を向けるジェイドは切なそうに眉を顰めていて、なぜか先ほどまで羽織っていたはずの上着を着ておらず薄着だ。
どうやらぼくが包まれているものこそジェイドの上着のようで、彼はそのためだけに服が濡れることもお構いなしでぼくの側に近寄ったらしい。
馬鹿はどっちだよ。



「言ったろ、そういう風に造られたって。この子たちと干渉するのは音素や感情だけじゃない。竜化したこの身体はちょっとやそっとの暑さや寒さは感じないんだ」

「はあ…。やはり馬鹿ですね」



心底呆れました、とでも言いたげにジェイドはため息をついてぼくを軽く睨んだ。な、なんだよ。っていうか何回馬鹿って言えば気が済むんだよ。そう言って反抗的に睨んでも「言い足りないくらいです」と呆気なく返された。



「あなたがお強いことは理解しました。とはいえ風邪を引かないとは限らないでしょう」

「そ、そうだけど。現に寒くないし」

「可能性はゼロではないはずです」



ああ言えばこう言う。出会ってからずっと変わらないぼくらの会話レベル。どちらかと言えば今はぼくのほうが押され気味だけど。というかなんでこいつはこんなに怒っているんだ?



「メリエル、あなたは竜騎士である以前に女性です。もっと自分を大切になさい」



真剣なジェイドの言葉に目を丸くした。
そんなこと今まで言われたことなかった。だからって女であることを忘れたわけじゃないけど。
しかもぼくの背中を見た上で、彼は自分を大切にしろと言った。もしかして怒ってたのってそれが理由?自分を蔑ろにしていたから?



「なっなに言ってんだよ!こんな身体を見られるくらいなら風邪引いたほうがましだ!」



驚いたせいで反応が遅れたが慌てて否定すると、ジェイドは少し間を空けて「見られなければいいんですね?」とぼくに確認してきた。それに頷くとジェイドは言葉を続ける。



「それなら私が盾になりましょう」

「は?」

「私があなたの背後に立てば、小さいあなたなら丸々隠れてしまいますから。そうすれば誰にも背中を見られずに済むでしょう」



たしかにそうだが、なんでこいつにそんなことをさせなきゃならないんだ。というかこいつだって毎回こんなのを見せられたら不快だろう。

そんな風にありのまま言葉をぶつけた。ぼくだっていくら気に食わない相手でも、無理にそんなことをさせるのは心苦しい。
なのにジェイドは「なにを言っているのです」とさも当然のように言葉を続けた。



「あなたが生きた証と、彼らとの絆でしょう」



「なぜそれを不快に思うのですか」と、ジェイドは上着越しにぼくの背中を撫でる。その手つきは慈しむかのように優しい。


背中を見られることが嫌いだった。
父親の研究のためにいじられた証拠で、誰もが気味悪がったから。信頼する幼馴染たちにも怖くて見せられないほどに。

だけどこの背中を嫌いにはなれなかった。
これはぼくと父親を繋ぐ唯一のもので、これがなければパテルやメーテルと共に過ごすことはなかったから。



「あなたが彼らをパテルメーテルと呼ぶほど大切なものなのでしょう」



こいつは気づいていた。ぼくがふたりに望んでいる姿を。
ただそれぞれ、パテルに嫌いになれなかった父親を、メーテルに幼い頃亡くなり記憶に薄い母親を映しているだけで、もちろんふたりはぼくの父親と母親ではない。ふたりと過ごす日々を名前に乗せて憧れのそれと重ねているだけ。

それをジェイドは見抜いていた。

探る目が嫌いだ。まるですべて見てきたかのように言い当てるこいつが嫌いだ。
でも今は不思議と嫌いでたまらなかった視線特有の寒気がない。
なぜかジェイドなら、不快に感じないんだ。

でもそんなこと絶対に言ってやらない。



「おや。なにやらみなさん・・・・嬉しそうですね」



ジェイドは、嬉しそうに喉を鳴らすパテルと彼に頬ずりをするメーテルを見てにやりと笑う。なぜジェイドが「ふたり」ではなく「みなさん」と言ったのかは知らないふりをした。

オアシスの月夜は、少しだけ、あつい。

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