グッバイ、イエスタデイ


なんてことはない、波風立たない人生。
クラスメイトは愉快な人たちばかりだし、授業も楽しいし、学校生活はそれなりに充実している。平和に慎ましく生きているつもりだった。



「みう」



まさかこのかわいらしい一言で、わたしの運命が大きく変わることになろうとは夢にも思わなかったのである。



「なあに、ポン太ちゃん」



少しだけ首を傾げながらこちらを見つめるポン太ちゃんは、神獣という生き物で笠置くんの息子さん?らしい。我がクラスのアイドルはいつもなら笠置くんやシアンちゃんの側にいるのに、どういうわけか今日に限ってわたしの側から離れようとしない。特別なにをするわけでなく、膝の上に乗って見つめてくるだけ。



「みぃ!」

「ポン太、どうしたの?こっちにおいで」

「ほら、シアンちゃんが呼んでるよ」



シアンちゃんの呼びかけにも、ポン太ちゃんはふるふると首を横に振って制服をぎゅっと掴み離さまいとしている。朝からずっとこの調子でわたしにぴったんこだ。

朝は無理に引き離す理由もないのでこのままでいたけれど、昼休みになり、ついに痺れを切らしたシアンちゃんが自らわたしの席へとやってきた。

いつも彼女は忙しそうだから、この機会にシアンちゃんとお話できて嬉しく思うのんきな自分がいた。これもポン太ちゃんのおかげかな、なんて密かに感謝したり。



「だめね…。どうしたらいいのかしら」

「お菓子をあげてみる?」

「その手があったわ!ほーら、ポン太が大好きなビスケットよ。こっちへいらっしゃい」

「み、みう…。みっ」



一度はビスケットに目を奪われるも、顔を背けてわたしの制服にぎゅっとしがみついた。これにはさすがに驚いた。お菓子に誘い出されないなんていつものポン太ちゃんじゃない。



「やっぱり変!いつもならすぐ飛びつくのに!」

「病気、ではなさそうだけど…」



ふたりで原因を考えてみても答えは出ない。その間もポン太ちゃんはわたしの膝の上で制服を掴みこちらを見つめてくる。んー、かわいい。

悩んでいると隣から笑い声が聞こえてきた。友達と雑誌を見て談笑している笠置くんを、シアンちゃんが青筋を立てて睨みつける。その姿を見て、またかと思いポン太ちゃんの耳を塞いだ。



「ちょっと、八満!あんたも考えなさいよ!」

「なんでポン太が安栖から離れねーのかってことか?そんなもんわかんねーもんはわかんねーって」

「あんたね、他人事じゃないのよ!このままポン太が彼女から離れなくなったらどうするのよ!」

「俺としてはこのまま安栖のところにいてくれたほうが万々歳だけどな」

「この、無責任!!」



そしてはじまるいつもの痴話喧嘩。わたしを含め、このクラスで驚く人はいない。シアンちゃんがこの学校に入学する前から目の前の光景が日常茶飯事だからだ。ポン太ちゃんも聞き慣れているだろうが、なんとなく親同士の喧嘩を子どもに聞かせちゃいけない気がして耳を塞いだ。

それをわかっているのか否か、ポン太ちゃんが自分の耳を塞いでいるわたしの手に触れてぎゅっと掴んできた。んんっ、かわいい!



「もしかしてポン太のやつ、安栖さんのことが好きになったとか?」



口喧嘩を続けるふたりを置いて、岡本くんが楽しそうにポン太ちゃんのほっぺたをぷにぷにと突きながら話しかけてきた。



「もともと、ポン太と彼女は仲良いじゃない」



笠置くんをこてんぱんに殴って黙らせたシアンちゃんの言葉はクラスの女子全員に言えること。たしかに毎日撫でさせてもらったりお菓子をあげたりするくらいには仲良しだ、と思いたい。



「違うよ、シアンちゃん。ポン太の初恋ってやつだよ。ライクじゃなくてラブのほう」



は、初恋?ポン太ちゃんがわたしに?
楽しそうに言う岡本くんからポン太ちゃんに視線を移す。ポン太ちゃんはこちらを見上げて首を傾げた。きっと岡本くんの冗談だろう。本気でそう考えているのなら思い過ごしだ。



「はああああ!?」



いち早く反応したのは当事者のわたしではなくシアンちゃんだった。その声に少しだけびっくりした。というかシアンちゃん信じたの?



「み!」



わたしにぎゅっと抱きついて頭をすりすりしてくるポン太ちゃんに、クラス中が一斉に振り向き騒ついた。こんなに注目されたのははじめてだ。

困惑しすぎて頭がパンク寸前のわたしは、その中でにやりと不敵な笑みを浮かべている彼に気がつかなかった。



「まさか…ほ、ほんとに…?」



誰もが言葉を失った中でシアンちゃんの声がやけに響く。元気なのはポン太ちゃんだけだ。
今、2年D組は完全に停止していた。

そもそも岡本くんの冗談か思い過ごしのはず。一刻も早く「そんなことあるわけないよ」と代弁しなくてはいけないのに、注目の的となりパニック中のわたしの口はうまく動いてくれない。そしてとうとう代弁の機会を失うのだ。
なぜならわたしの肩に手が乗せられたから。



「神獣に愛された人間、ね」



ぽんっと手を乗せられた肩から伝わる寒気がわたしを襲う。恐る恐る見上げると、そこには奇天烈な被り物をした彼が不敵な笑みを浮かべながら立っていた。この手から逃れられないことは、みんなに目を逸らされたことで理解した。

さようなら、わたしの日常。



2010.01.06
2019.01.03 fix.

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