赤木少年夢
「クラスメイト」の6年後




夕暮れに照らされた水面がきらきらと光っている。
彼の銀髪もオレンジ色に染まってとてもきれい。
片手をひらひら振る彼の背中が遠ざかる。



「名前!」

「ふあ!?」

「もう講義終わったよ。ずっと幸せそうに寝てたけどなんの夢見てたのよ」



夢というほどあやふやなものでもない。あれは昔の記憶だ。あの日のできごとは今でもわたしの心を掴んで離さない。「またあした」と言って別れた彼はわたしの前から姿を消した。孤高の存在であった彼の所在を知る者はおらず、商店街の人たちにも彼のことを聞きまわったが結局足取りを掴むことは叶わなかった。

そしてあっという間に6年という歳月が経ち中学生だったわたしは大学生になった。



「うーん、昔気になってた人の夢かな」

「えー!?なにそれ初耳!」

「だって中学時代の話だもん。それに彼とは中学から会ってないの」

「へえ。もしかしたら会える前触れかもよ。正夢になったりして」



そのあと友人から、好きな人だったのかとかつき合っていたのかとか迫られて挙げ句の果てには吐くまで帰さないと言ってきたので、「お使い頼まれてたから帰るわ、じゃ!」と言って走って逃げた。

正直、彼への気持ちがなんなのか未だにわからない。もちろんつき合っていたわけでもないし、好きなのかと言われると首を傾げてしまう。気になっているという言葉がいちばんしっくりくるのだ。

それにしてもどうして今さらあんな夢を見たのだろう。彼の夢を見たのはこれが初めてではない。でもそれは彼が姿を消してすぐのことであって、高校から今までは一度もない。それが今になってどうして。

正夢になったりして。

ふいに友人の言葉が蘇り足を止める。まさか。だってあんなに探したのに、今さら会えるわけがない。それでも心のどこかで期待している自分がいた。



「お嬢さんひとり?」

「暇なら俺たちと遊ぼうよ」



気づけば辺りは真っ暗で見知らぬ男たちに囲まれていた。考えごとをしていたとはいえどれだけゆっくり歩いていたのだろう。4人の男たちは逃げ道を塞ぐようにしてわたしを取り囲む。



「離してください!」

「照れてんの?かわいーね」

「めんどくせえな、ここでいいか」

「やめ…むうっ!?」

「うるせえな、騒ぐなよ」



腕と口を手で塞がれてしまい、救けを呼ぶにもできなくなってしまった。男の手がわたしの服を脱がそうと迫りくる。怖くて思わず目を瞑ったときに浮かんだのはあの日の彼。



「なんだてめえは!?」



どさっ、と倒れる音がした途端、今まで塞がれていた腕と口が自由になる。恐る恐る目を開けると、そこには冷たい目をした銀髪の青年が立っていた。
その冷たい目と銀髪には見覚えがある。オレンジ色に染まった銀髪と同じ。身長が伸び、顔立ちが大人っぽくなっても彼だ。



「赤木くん…」



どうしていなくなっちゃったのとか、6年間もなにをしていたのとか、実際に会えたら聞こうと思っていたことはたくさんあった。でも今は、本当にまた会えたことが嬉しくてそれらが言葉になることはなかった。



「動くなよ、女がどうなってもいいのか?」



わたしの首に腕がかかり軽く締められる。わたしを盾にしようとしているの?なんて卑怯な人たち!
赤木くんに救けてもらってばかりじゃいられない。わたしは意を決して男の腕に思い切り噛みついた。怯んだ隙をついてそこから脱出し赤木くんの元へと駆け寄る。



「ふーん。血気盛んだな」

「お、お見苦しいところを…」



改めて言われると恥ずかしい。そんなわたしを見て、赤木くんはあの頃と変わらない笑顔をくれた。やっぱりなにも変わっていない。ちょっとだけ安心した。



「無視してんじゃねえよ!」

「泣いて謝っても許さねえぞ!」



本当に卑怯な人たち。そもそも自分たちが悪いのに、鉄パイプなどの武器を持ち出してきた。文句のひとつでも言ってやろうと思ったら赤木くんに手で制された。そして男たちに向かっていく。まさか1人で4人を相手する気!?いくらなんでも無茶だ。誰か救けを呼ぼうと辺りをきょろきょろしているとまたもや聞こえた倒れる音。まさか赤木くんが!?と思って振り返ると、倒れていたのは男たちのうちのひとりだった。赤木くんは無傷で立っている。
そこからは早かった。2人目3人目となぎ倒していく赤木くん。ついには4人目が捨て台詞を吐いて逃げ出し、そこには赤木くんだけが立っていた。



「赤木…?赤木か?おまえ、赤木しげるなのか?」



赤木くんの元へ駆け寄ろうとすると、黒服の男性が赤木くんを呼びながら近寄ってくる。知り合いなのかな?



「6年前、盲目の代打ち市川と死闘を演じた赤木しげる。おまえがその赤木しげるなのか?」



代打ちってなんだろう?なんのことかはさっぱりだが6年前といえば赤木くんが姿を消した頃だ。もしかしてそのことに関係しているの?
赤木くんに視線を移しても彼は口を開かない。それどころかわたしのことも黒服さんのことも見ずにどこか遠いところを見つめている。



「話があるんだ。どうだ?これから一杯…?」



途端、赤木くんに手を掴まれる。
そして今まで沈黙を守ってきた彼が「逃げるよ」と呟いて走り出した。突然のことについていけないわたしは、引きづられながら半強制的に足を動かす。

遠くの方で黒服さんの声が聞こえたが、赤木くんはそれを無視して走り続けた。
どのくらい走ったのかはわからない。もともと体育会系ではないわたしは息があがり限界が迫っていた。でも呼吸が乱れても喜んでいる自分がいることに気づく。赤木くんが触れている手が熱くて、こうして一緒に走っていることが楽しい。
そんな邪なことを考えているせいで、突然立ち止まった赤木くんに気がつかず、彼の背中に顔を打ちつけ、その反動で盛大に尻もちをついてしまった。



「地べたに座るの、好きなの?」

「あ、あはは…」



彼の前で尻もちをついたのは2度目だ。あのときのように赤木くんは手を貸してくれたが、疲れて立ち上がれないのでそれを断る。息があがっているのでうまく伝えられなかったが、それを察した赤木くんはその場にしゃがみこみ待ってくれた。



「はあ…は、久しぶりに、走ったあ」

「体力ないな」

「息を、乱さない赤木くんの、ほうが、すごいと思う」



徐々に呼吸が戻ってきた。
あんなに走ったのに少しも息を乱さないなんて赤木くんってすごいなあ。って感心してる場合か、さっきのことお礼しなきゃ。



「救けてくれてありがとう。赤木くん強いんだね」

「あんたこそ血の気が多いんだな。ククク…」

「もう!そのことは忘れて!」



聞きたいことはたくさんあった。先程の黒服さんのことも気になっていた。でも赤木くんのこの笑顔を見ていたらそんなことどうでもよくなった。



「…あんたは聞かないんだ」

「え?」

「俺がいなくなった理由」

「そりゃあ、当時は赤木くんのこと探したし、会えたら聞こうと思ってたこともあるよ。またあしたって言ったのにいなくなっちゃうんだもん」

「俺は明日とは言ってない」

「あれ?そうだっけ?」



いつの間にか赤木くんがわたしの隣に座り込み、煙草に火をつけた。その仕草が男の人って感じがしてどきどきした。あまりに見つめすぎたせいで「俺の顔になにかついてる?」と見透かしたように笑われてしまった。恥ずかしい。
「で?」と赤木くんが煙を吐きながら訊ねる。続きを促しているようだ。



「もうなんだっていいかなって思ったの」

「え?」

「なにをしてたとしても赤木くんは赤木くんだし、聞いたところでわたしはなにも変わらないし。赤木くんが元気そうなことがわかっただけで満足しちゃった」



そう言って笑うと赤木くんの手から煙草がすり抜け地面に落ちた。赤木くんはというと不思議そうにこちらを見ている。「わたしの顔になにかついてる?」と訊ねると少し笑って立ちあがり、煙草の火を足でもみ消し吸い殻を近くのごみ入れに捨てた。



「相変わらず、変な女」



あの日みたいに笑って再度わたしに手を差し伸べてくれる。呼吸もだいぶ落ち着いてきたので、今度こそお礼を言いつつ彼の手を借りて立ちあがろうとしたそのとき、ふいに6年前のことを思い出した。あのときもこうやって立ちあがらせてもらって、赤木くんがわたしの額に…。
あの日が蘇り顔に熱が集まるのが嫌でもわかる。



「顔、赤いけど?」

「え!?いや、あの…っ」

「ククク…。すけべ」



頭が爆発しそうだ。心臓がばくばくしてうるさい。せっかく呼吸を落ち着かせたのにまた乱れそうだ。
赤木くんは楽しそうに笑い、彼の手に乗せるか迷って宙を彷徨っていたわたしの手を取り立ちあがらせてくれた。そして頬に触れる、柔らかい感触。それが赤木くんの唇だと理解したのは、彼の悪戯っ子のような笑みを見た後だった。
口づけされた頬を押さえ、言葉を発することができず金魚のように口をぱくぱくさせることしかできないわたしを見て、赤木くんはどこか満足気に言うのだ、あの日のように「ごちそうさま」と。



「じゃあまた今度ね、苗字さん」



名前、覚えていてくれた。
「またね」から「また今度ね」になったことで、あの日よりもまた会える気がして嬉しくなった。その今度がいつになるかはわからない。明日かもしれないし来年かもしれないし10年後かもしれないけど、また絶対会えると思った。



「赤木くん!またあした!」



あの日のように彼に叫ぶと、わたしに振り向くことなく、赤木くんは片手をあげて軽くひらひらと手を振った。背中が夜に溶け込んでいくまで、わたしは彼に大きく手を振った。



2013.04.08
2019.11.06 fix.
赤木に「すけべ」と言わせたい人生だった。

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