ガチャリ、と音を立てて鍵が開くはずだった。しかしどうだろう。扉は開くどころか逆に閉じてしまった。
この先に待ち受けているであろう光景に思わず深い溜息が溢れる。それでも内心ちょっぴり嬉しい自分がいた。
もう一度鍵を回す。やっと開いた扉の先には思ったとおり、ビールを飲みながらテレビを観て寛いでいる初老の男性がいた。
「赤木さん」
彼の名前を呼ぶと、首だけこちらに振り向き「おかえり」と言ったのち「おまえさんの分もあるぞ」と冷蔵庫を指差した。
神域と呼ばれた男がなんとも暢気である。
ひろゆきくんの話の範囲でしか知らない世界だけど、この光景に慣れてしまっては本当に神域と呼ばれているのか甚だ疑問である。
「来るなら来るって連絡してくださいよ。いつもびっくりしちゃうんですから」
「いつでも来ていいように合鍵くれたろ?」
「なに言ってるんですか。わたし、赤木さんに合鍵あげたことないんですけど」
「うん?そうだったか?まぁいいじゃねえか、減るもんじゃあるまいし。それより小腹が空いたなぁ。おい、名前。軽くなんか作ってくれ」
「…はいはーい」
確実にわたしの食料は減ってるんだけど。
鞄を置いて冷蔵庫を開けると、赤木さんが買い込んだであろうビールが陣地の半分以上を支配していた。どんだけ飲む気なんだ、あの人。
うーん。昨日の鮭が残っているし鮭茶漬けでも作ろうかね。あとはお漬物を出せばいいでしょう。そういえば赤木さんの胃袋を満たす係になってから、彼が好きな和食を作ることが多くなった。これは赤木さんのおかげなのかな…。なんだか急に恥ずかしくなって、鮭の小骨を取る作業に専念する。
「お?いいな、鮭か」
「うひょあ!?」
耳元で聞こえた声に驚いて後ろを向くと、いつの間にか赤木さんがわたしの背後に立っていた。口から心臓が飛び出るかと思った。まだ心臓がばくばくしている。
「ははは。おまえさん、たまに面白い声を出すな」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
音もなく背後をとるなんて。神域じゃなくてもしかして忍者なんじゃ…?まあ違うだろうけど。
「名前」
ふいにわたしを呼んだ赤木さんはちょいちょいと手招きをした。意図がわからないまま彼の思う通りに近づくと、手を引かれたわたしは咄嗟のことに対処できず赤木さんの胸の中にダイブした。そして赤木さんの手によって閉じ込められてしまう。
って、なんでだよ!!
「ちょっ赤木さん!?」
返事がない。ただの屍のよう…じゃない!密接した身体から、赤木さんの心音が嫌というほど聞こえてくる。触れ合うところが妙に熱い。それよりわたしの顔がいちばん熱い。先ほどとは少し違う意味で心臓がばくばくしている。ああ、破裂しそうだ。
「ありがとな」
「赤木さん?」
後悔した。
あまり感謝の言葉を聞かないものだから、珍しいと思って見上げてしまったのが間違いだった。今わたしと赤木さんの身体は密着しているのだから、見上げれば当然のことながら至近距離で赤木さんの顔を見ることになるわけで。
至近距離で見た赤木さんは、いつもより倍以上の色香があった。その余裕そうな顔がさらに顔を熱くさせる。
真っ赤な顔をしたわたしを見て、赤木さんは「茹でだこみたいだな」と言って子どものような笑みを浮かべたあと、にやりと不敵に笑い、わたしが彼の名を呼ぶより先にわたしの口を自分の口で塞いだ。
「オトナの礼だ」
そしてまた子どものように、無邪気に笑うのだ。
こどものようなおとな
(これだからおとなは困る)