大佐のお茶汲みと執務室の掃除をするようになってからこの世界の暦でそろそろ一月、日数にして60日弱が経とうとした頃。珈琲や紅茶の淹れ方もこなれたもので大佐の好みも大方把握した。そのおかげか大佐がおかわりしてくださる回数も増えたのが最近の嬉しかったことだ。

変化したのはおかわりの回数だけでなく、すれ違う兵士さんたちやメイドさんたちに声をかけられるようになった。執務室の掃除を終え、時間ができれば他の部屋の掃除も任されるようになり、基地内に限るが行動範囲が広がった。

軍専属の雑用係…じゃなくて使用人という仕事にやりがいを感じはじめた今日この頃。昼下がりのまったりとした時間、いつものように珈琲を淹れていると、どたばたと騒々しい足音が聞こえてくる。この一月で何度か聞いた足音に思わず笑みがこぼれる。勢いよく執務室の扉が開かれると、そこには想像通りの人物が息を荒げながら立っていた。



「陛下、また休憩ですか?」



視線は手元の資料に向けつつ大佐はため息混じりに呟き、わたしはカーテシーを行う。陛下は息を整えながら大佐の言葉を否定した。一月の間で陛下がさぼりを休憩と称してここに逃げてくることは多々あったので今日もその類かと思っていたが違うらしい。
陛下はわたしに向き直りニカッと笑った。



「業務も慣れた頃だろう。おまえの働きっぷりはよく耳にする。与えた仕事以上のことをしてくれると評判だぞ!よくがんばっているな!」

「あ、ありがとうございます」



「そこでだ!」と陛下は人差し指を立てた。どうやら追加で頼みたい仕事があるらしい。今のわたしがあるのは陛下のおかげだし、元より陛下のご命令とあればなんでもやるつもりなので内容を聞かないままふたつ返事で了承した。



「ちなみになにをすればよろしいですか?」

「ブウサギの世話を手伝って欲しいんだ」

「ぶうさぎ?」



世話ということは生き物だろうか?ぶうってあたり名前的にはぶたっぽい響きだ。そのあとのさぎってなんだ?鳥?

首を傾げていると「ブウサギを知らんのか?」と言われたので肯定したら大層驚かれた。とうとう資料から視線を外した大佐に、元の世界ではブウサギがいなかったのかと問われたのでそれも肯定すると「いい世界ですね」と遠い目をしながら大佐が呟いた。どうやら大佐はブウサギがお嫌いなようだ。

聞くより慣れろ、ということで実際にブウサギを見に行くことになった。なんらかの小屋で飼っていると思いきや室内飼いらしい。犬猫と同じような愛玩動物なんだろうか。
いろんな想像をしながら部屋へ入ると、なにかに突進されて尻もちをついた。いったいなんだ?と思い起き上がると、視界いっぱいに桃色と茶色の斑点が広がった。
そしてそれは鳴いたのだ。ぶう、と。



「はは!早速ジェイドに懐かれたな、サエ」

「ジェイド?」

「ぶう」



ジェイドという名前に反応したらしい桃色のそれはまた鳴いた。「こ、こんにちは」と挨拶するとまた鳴いた。ジェイドと呼ばれた生き物はわたしの腹の上に乗ったまま、鼻をぴくぴく動かすだけで降りようとしない。



「ジェイドってたしか大佐のお名前では…?」

「ああ。だがそいつはかわいいほうのジェイドだ」



かわいいほうという真意は謎だが大佐の逆光眼鏡が怖い。
しばらく見つめ合っていると「それがあなたの知りたがっていたブウサギですよ」と大佐の説明が入る。なるほど、これがブウサギ。ぶたのような鼻と、うさぎのような長い耳をもつ、ぶたのようなうさぎでブウサギか。納得した。名前は安直だけど、のほほんとした顔とか憎めない感じがかわいいかも。



「あなたにそっくりですね」

「え?」

「たしかにのほほんとしたところとか、もちろんかわいいところとか似てるな!」

「のっぺりしたところとか」



満面の笑みで悪気もなく爽やかに言ってのける大佐は侮れない。
このまま床に座っているわけにもいかないのでかわいいほうのジェイドを抱いて立ち上がろうとした。しかし想像はしていたが、やはり重くてへっぴり腰になった。うん、ジェイドは床に置こう。



「これからサエにはこいつらの世話を頼みたいんだが、手始めに全員の名前を覚えてもらう」



陛下の言葉に部屋を見渡すと、そこにはジェイドの他にもブウサギがいた。
陛下の私室は大きなベッドや高価そうな剣や盾が無造作に置かれており、ベッドなんかブウサギたちのおかげでめちゃくちゃだ。これ陛下どこで寝てらっしゃるんだろう。ブウサギの世話よりここの掃除が先なのでは…。

素朴な疑問を胸に秘めながら、先ほどお腹に乗っていたジェイドをはじめ、ネフリー、ゲルダ、アスラン、サフィールの順番で並んだブウサギ衆を見やる。それぞれの特徴を教えていただいたが、ネフリーの首輪がいちばん立派であることしかわからなかったので首輪の色で覚えることにした。

食事の時間帯や餌の種類や量、散歩の時間と、それらにあたっての注意事項を聞きメモする。その間もかわいいほうのジェイドが足を鼻で押してくる。
とりあえず今日は顔合わせということで、ブウサギたちと思う存分遊ぶことになった。

の、だが。



「ぶふっ!?ジェイド、お腹に突撃するのはやめて…えーっと、きみはアスラン?そんなところで寝ちゃだめだよ!んぐっ?鼻で顔を押してるのはゲルダかな?んん!サフィール!ジェイドに構いたいからってさらに上に乗るのはやめて…っふたりとも喧嘩しないの!まじで苦しっ…」



またまた突撃してわたしを押し倒しお腹の上に乗るジェイド。重要そうな書類の上で眠るアスランと、なぜかわたしの顔を鼻で押すゲルダ。ついにサフィールまでお腹に乗ってきてジェイドと喧嘩をはじめる。止めようにもジェイドとサフィールとゲルダのおかげで身動きがとれないし苦しい。心配そうに見つめ寄り添ってくれるネフリーが良心だ。

わたしが苦しそうにしていると、それに気がついたジェイドはサフィールを思い切り突き飛ばし、お腹から降りてゲルダを止めた。起き上がったわたしの顔を見るなり「どうだ」と言わんばかりに得意気な顔をして「ぶう」と鳴く。どや顔をされても発端はきみなんだけどとは言えずジェイドの頭を撫でた。嬉しそうに目を細めるジェイドがかわいい。



「…きみとはすぐに仲良くなれたのにね」



ここに来て一月経つが、わたしと大佐の関係はなにも変化がない。こちらのジェイドは仲良くしてくれたが、大佐には相変わらず警戒されている。

大佐のお茶の好みは把握しても未だに運ぶときの緊張感ったらない。なんなら陛下が執務室にいらっしゃるときより緊張する。国のトップとお会いするときより、大佐にお茶を運ぶときのほうが緊張するってどうなんだろう。

なぜこんなにも緊張するのか。大佐の腹の内が読めないこともあるが、なにより仲良くなるための第一歩と言っても過言ではない笑顔を見たことがないから。貼りつけたような笑みや意地の悪い笑みは何度も見たが、心からの笑顔は見たことがなかった。陛下のようによく笑う人ではないとわかっていても信頼されていないことがありありと伝わってくる。そりゃ元犯罪者だし異世界人なんてわけのわからない存在だけど、少しくらい信用されたいと思うのは高望みなのかな。

兵士さんたちやメイドさんたちとは気軽に話せるが、この世界に来ていちばん長い時間を共にしているはずの大佐とは必要最低限しか話さない。今日わたしが執務室で大佐に発した言葉は「珈琲と紅茶どちらにしますか?」と「はい」だけだ。今日に限ったことではなくほぼ毎日それだけ。使用人という立場上、必要以上に親しくなる必要はないのかもしれないが家も同じとなると気まずいままは耐え難い。



「ぶ」



はあ、とため息をつくと、ジェイドがわたしの膝に前足を乗せた。心配してくれているようなその仕草に思わず緩んだ両頬をパチンと叩き気合いを入れる。これからお世話をするブウサギに慰められてちゃだめだ。これじゃどっちがお世話してるのかわかったもんじゃない。



「今日は遅くなるので先に帰るように」



背後で聞こえた声に驚いてびくっと身体が震える。振り返るといつの間にか大佐がすぐそこに立っていていつもと同じ表情でこちらを見下ろしていた。
「わかりました」とその旨を了承しても大佐はわたしから視線を外すことなく見つめてくる。いったいどうしたんだろう。いつもなら用件を言うとすぐ視線を外すのに。



「あなた、カレーは作れますか?」



それは脈絡もない言葉だった。まさかそんなことを聞かれるとは微塵も思っていなかった。今まで食事は出来合いのもので、料理を作ることを禁止されていたため大佐宅のキッチンには入ったことがない。それなのに大佐はわたしにカレーが作れるか聞いてきた。意味がわからない。



「作れませんか?」

「あ、いえ。作れます」

「そうですか。材料は揃っているはずなので帰宅後に作っておいてください。キッチンのものは自由にしてくれて構いません」

「わ、かりました」



淡々と告げる大佐の言葉にわたしの理解が追いつかない。というかこんなに大佐とお話したのは犯罪者となった初日以降はじめてだ。

大佐は「では世話が終わり次第、執務室に戻るように」と言ってようやく視線を外し背を向け部屋から出ようとした。

今度こそ開いた口が塞がらない。なぜなら部屋を出る前に振り向いた大佐がわたしに柔らかく微笑んだから。



「頼みましたよ、サエ」



はじめて見た微笑む姿で、はじめて名前を呼ばれ、頑なに拒否されていた食事の支度を任された。
そのどれもが嬉しくて、どきどきする胸を押さえつけながら部屋を出て行く大佐の背中に声をかけた。



「はい!お任せください!」



陛下が嬉しそうに目を細めてわたしを見つめながら、ひとつ頷いてニカッと太陽のように笑った。
ずしっと膝が重くなったので視線を落とすとジェイドが膝の上に乗ってきて鳴く。ぎゅっと抱きしめて撫でると嬉しそうに「ぶう」とまた鳴いた。

その日、大佐との距離が縮まった気がした。

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