不穏分子は早々に摘むべき。
現状、マルクト帝国は帝位継承して間もなく慌ただしい。わかりきった異端はすぐにでも切り捨てるべきだと思った。
しかし陛下はそうしなかった。
女だからか?それとも元一般市民だからか?
多々考えられるが事実上の無罪放免になる理由としてはいずれも弱い。本当はきっと陛下が彼女は無害だと直感で感じ取ったからだろう。ゼーゼマン参謀総長に彼女が仕出かしたことを突かれたとき弱い理由を盾にしていたから間違いない。直感だ、なんてさらに弱い理由を言えば火に油を注ぐだけ。ならば女だの一般市民だのそんな理由のほうがまだマシだと思ったのだろう。
もちろん参謀総長は納得しなかったので、結局私が彼女のことを一任され、命の手綱は握られているものの彼女はほぼ自由の身になった。
まったく、面倒事は御免被りたいのですが。
陛下があそこまで気に入っているのなら間違いはないのだろう。陛下のその辺の審美眼は信頼している。莫大な第七音素を発生させたとはいえ、見たところ譜術も知らずなんの力も持たない少女だ。いくらでも手は打てるし、始末は容易い。
「カーティスさんたちのように警戒するのが普通なのに」
陛下に謁見した際「おひさまみたい」と発言したときは平和呆けしていると思ったがただの馬鹿ではなかった。
一般市民らしい反応をする一方で、陛下が私たちのように警戒しないことが不思議だと物事を酷く冷静に客観視したときは驚いた。そして理解も早かった。
「大佐はお優しいんですね」
理解に苦しむのは私のことを優しいと言った挙句に感謝の言葉を述べたこと。破落戸から助け、仕事を説明し、家に住まわせただけでなく、食の好みを聞いたからだと言う。
笑顔で激励したり心配したり服を用意した陛下はともかく、私は言わば仕事をしただけだ。彼女のついでに破落戸を逮捕し、陛下の命令で彼女に仕事を説明し、家のことだって監視がしやすいから致し方なく。食事に関しては買ってきて食べられないとなると面倒だからだ。
「陛下がいなければ命がなかったように、大佐がいなければ居場所がありませんでした。大佐の気持ちがどうであれ、それらを与えてくれた大佐はわたしにとってお優しい方です」
それなのに彼女は私が優しいと言う。
陛下が彼女に命を与え、私が彼女に居場所を与えた。だからありがとうと。そして疲れが溜まったようななんとも歪な顔で笑った。
「大佐。これからよろしくお願いします」
陛下のお眼鏡にかなった少女はそんな不思議な人間だった。しかし私はこの人種を知っている。
自分とは正反対の「お人好し」という人種だ。
「そろそろ信用してもいいんじゃないか?」
「なんのことでしょう」
「しらばっくれんなよ、サエのことだ。あいつはよくやっている。現に兵士や使用人たちからの評判もいい」
彼女のお人好しは生粋のようで、軍専属の使用人となってから間もなく、兵士や他の使用人と挨拶を交わすようになったかと思えば、自分の仕事を早く終わらすと頼まれた部屋も掃除をするようになった。掃除を頼まれるのはもっぱら兵士たちの更衣室や仮眠室で重要なものもないので許可をすると、いつの間にか彼女の行動範囲は広がり、今や彼女の評判はうなぎ登りだ。
お人好しの彼女に人徳があるのは元々の仕事を疎かにせず完璧にこなしたうえでやり遂げるから。そこは感心せざるをえない。
「ちょっ、ジェイド!?サフィールを突き飛ばしちゃだめだよ!?」
今もいくら恩人である陛下の頼みとはいえ、なにをするかも聞かないままふたつ返事で了承した彼女は、見たことがなかったらしいブウサギに埋もれて四苦八苦している。
「他人の評価は関係ありません」
「ではおまえの評価を聞こうじゃないか。これまでサエが不審な動きをしたことがあったか?」
隣の陛下を盗み見ると優しい眼差しの先には、転がったブウサギのサフィールを優しく起こしている彼女がいた。
私には彼女が不審な動きをした場合、迅速に対処できるよう処分する権利がある。そのことは軍全体が知っている。それでも今彼女がこうしてブウサギに構われているという事実が全てを物語っていた。
「あれば今頃サエはここにいない」
彼女が無害であるということ。
莫大な第七音素の放出という問題はあるが、今のところ彼女にそんな莫大な第七音素が眠っているのが不思議なほど微塵も感じられない。異世界から現れる際になんらかの衝撃で起こったものとも考えられるが監察対象程度だ。
彼女はもう犯罪者でもなければ異世界人でもなくなろうとしていた。少なくとも陛下をはじめとした兵士や使用人にとって彼女はこの世界の人間になっていた。
「慣れない環境で、知らない世界で、あいつは異世界人としての殻を破ろうとしている。年端もいかない少女がこの世界で懸命に生きようとしている。そんなあいつに俺たちはなにをしてやれるだろうな?」
疲れ果てた顔で歪に笑ったあの日。
偽善でも媚びでもない平和呆けしたその言葉に不思議と嫌悪感はなかった。むしろ少しだけ肩の荷が下りたような気さえした。呆れて肩透かししたのだと結論づけて。
「他人は自分の映し鏡なんだぜ。あいつがおまえに思ったことと同じように、おまえもあいつに思ったはずだ」
サエ・アズミという人物は。
毎朝欠かさず珈琲か紅茶かを訊ねて私好みの味で淹れてくれる。周囲をよく見ているからこそ気遣いができ、仕事の邪魔にならないよう静かに掃除をし、全くと言っていいほど干渉もしてこないが少し寂しそうにしていることは知っていた。
達観していて理解が早いところは好ましいが彼女は年相応の少女なのだと感じた。
「あなた、カレーは作れますか?」
彼女の言葉を借りれば私は居場所を与えた。ここで生きようと決意した彼女に私がしてやれることは、たまに寄り添って見守ること。
「作れませんか?」
「あ、いえ。作れます」
「そうですか。材料は揃っているはずなので帰宅後に作っておいてください。キッチンのものは自由にしてくれて構いません」
「わ、かりました」
「では世話が終わり次第、執務室に戻るように」
部屋を出る前にもう一度振り返ると、彼女が口を開けてこちらを見つめていた。驚いていることをわかりやすく顔で告げている。なるほどこれは面白い。彼女が側にいれば退屈せずに済みそうだ。
「頼みましたよ、サエ」
はじめて呼んだ名前は彼女を笑顔にするのに効果てきめんだったようだ。今度は歪なものではなく本来の笑顔。彼女の言葉を借りるならばそれはまるで「おひさまみたい」だった。
「はい!お任せください!」
明るく大きな声が背中にぶつかる。目を背けていたのは自分自身だが、ようやく彼女本来の姿を知れた気がした。
異世界からやってきたおひさまのように笑うお人好しの心優しい少女、サエ・アズミ。
こちらこそ、どうぞよろしく。