真っ暗な闇の中。右も左も、上も下もわからない意識の底で見たもの。
蹂躙され戦火を浴びる街と逃げ惑う人々。
血塗られた玉座で勝利の雄叫びをあげる軍人。
死体が積まれ荒廃した大地を包む黒い靄。
そしてそれは塵と化して真っ黒になった。
その中に落ちていく。
いったいどこまで落ちていくのだろう。
「うわぁっ!?」
冷たいものが勢いよく顔にかかる感触で飛び起きた。寝汗なのか頭だけびしょ濡れだ。たしかにいい夢ではなかったような気がするが果たして寝汗で髪の毛まで濡れるものだろうか。
その疑問は「おはようございます」という声に振り向いたことによりすぐに解決した。
「やっとお目覚めですか」
水で濡れたコップを持っていれば理由なんて嫌でも理解してしまう。間違いない、こうなったのはにこやかな表情をしたカーティスさんの仕業だ。
犯罪者とはいえ気を失っている人間に水をぶっかけて、さも当然のような顔して笑っている。なぜならコップを隠そうともしない。せめてコップは後ろに隠すとかしてくれないと精神的にくるものあるよ…。
「これがいちばん効果的な起こし方だと思いまして。目覚めすっきりでしょう」
「おかげさまで目は冴えましたが、もう少し起こし方というものを…」
「なにか問題でも?」
「イエ。ナンデモアリマセン」
事情聴取のときの阿修羅はもう二度と見たくないのでマッハの如く土下座をする。特段取り柄がないわたしだが「土下座は誰にも負けないな」と幼馴染に絶賛された過去を持つ。すごく哀しい。
額を地面ではなくシーツにこすりつけたことで今さら自分がベッドの上にいることに気がついた。ほのかに薬品の匂いがする。
顔を上げてカーティスさんにここがどこであるのか訊ねると、コップをサイドテーブルに置きながら「軍の医務室です」という答えが返ってきた。どうりで薬品の匂いが充満しているわけだ。
「譜術を見るなり倒れてしまったので、こうしてわざわざ運んで差し上げました」
譜術というのは目の前で見た爆発のことだと補足してくれたカーティスさんは「こんなに面倒をかけた犯罪者はいません」と笑いながら言葉を続けた。当然だが彼の目が笑っていないので「目の前で爆発が起こったら誰だって失神するわ」とは言えなかった。せいぜい「あの爆発はフジュツというのデスネ」が限界だった。
この人、底が知れなくて怖い。知れたとしても氷のように冷たいか、底なし沼のような感じがするので知りたいとも思わないけれど。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「責任を感じているのなら結構です」
厳しい言葉を投げかけつつもカーティスさんはタオルを手渡してくれた。これで拭けということなのだろう。彼は続けて「そういえば随分と魘されていたようですがどんな悪夢を見たのですか」と訊ねてきた。
笑顔なのに目が笑っていないし底が知れない人だけど、タオルを貸してくれたり魘されていたことを心配してくれたりと、根は意外と優しい人なんじゃないかなんて思うわたしは単純である。
タオルについては、そもそもカーティスさんが水をぶっかけるという暴挙に出なければ済んだことだけど。
「ふたつの夢を見ました。ひとつ目は偉そうな人がわたしを暇潰しでこの世界に連れてきたと言っていて気分が悪くなりました」
「おや、それは災難ですね。ちなみにその方はどんな容姿をしていましたか?」
「声だけなのでわかりませんが、男性でした」
「ふむ。ではもうひとつの夢は?」
「ふたつ目はあまり覚えていません。でも思い出したくないような夢でした」
「そうですか。あんまりうるさかったので投獄される夢でも見ていると思いましたよ」
「…それ、笑えません」
前言撤回をしたい。
こうも平然と笑いながら笑えない冗談を言えてしまうカーティスさんは人の顔を被った悪魔だと改めて実感した。まじで怖い。
それにしてもあれはなんだったのだろう。夢というには意識がはっきりしていたし、さっきまですぐそこに存在していたように感じた。
わたしを異世界に連れてきた張本人はローレライと名乗った。連れてきた理由はなんともくだらなくて怒るに怒れなかったことは覚えている。次に見えたときは一発ぶん殴ってやろうと心に決めた。
強制的にローレライと別れたあと、それこそ夢を見たような気がするがそれは思い出せなかった。思い出そうとすると背筋がぞっとしたのできっとそれが悪夢なのだろう。カーティスさんも魘されていたと言っているし間違いなさそうだ。
そういえばローレライとの別れ際に聞こえた声は誰だったのだろう。心当たりはないし、他にも問題が山積みなので声の正体については頭の片隅に追いやった。
わたしが異世界人で間違いないことはローレライのおかげで理解、というかローレライのせいだったが、なおもわからないことばかりですっきりしないし失神したせいか身体が重くて仕方がない。
「そろそろ行きますよ」
不敵な笑みを浮かべながらカーティスさんは手錠に繋がる紐を引っ張る。それにより身体が揺れ、ベッドに引き続き、未だに両手が手錠で繋がっていることにようやく気がついた。
この国では犯罪者扱いだから当たり前だけど…。
いたたまれなくてカーティスさんにばれないように小さくため息をつく。
「靴はこちらで用意したのでそれを履くように」
ベッドの下を見ると女性もののブーツがあった。制服にはミスマッチだが靴下一枚だったからありがたい。やっぱり根は優しい人だな、と思いつつカーティスさんに感謝の意を述べ用意していただいたブーツを履いて立ち上がる。
「あの、どこに向かっているんですか?」
医務室を出たあと訊ねてみる。まさか即刻牢屋行きだったりして。見えなくとも自分の顔が青ざめていくのがわかる。血の気が静かに引いていく感覚だ。貧血の症状とよく似ている。
「これから陛下に謁見します」
「へいか?」
カーティスさんはこちらに振り返ることなくちゃきちゃき歩きながらそう答えた。歩幅が大きい彼に合わせて歩かなくてはならないのでなんとか遅れをとらないようついていくのに必死だ。遅れると手錠が引っ張られて地味に痛い。
「マルクト帝国皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下です」
「こっ皇帝陛下!?」
驚いてつい足を止めてしまう。それすなわち手錠に繋がれた紐を引っ張っているカーティスさんの足も止めることを意味している。歩みを止められたせいかこちらを振り返った彼は少しだけ眉間に皺を寄せた。
それに対し謝罪を述べる余裕など今のわたしにはない。見知らぬ世界の皇帝陛下に会えと言われれば誰だって足を止めると思う。
そもそも犯罪者となってしまったわたしなんかが皇帝陛下にお会いしてよいものなんだろうか。
「どうして皇帝陛下なんて身分の高いお方に、わたしなんかが謁見できるんですか?」
普通なら絶対に会わせてはいけないと思うのだけれど。だってそうだ、そんな輩から皇帝陛下を守る人たちだっているはずなんだから。
「あなたの場合は特殊ですからね。私の独断で豚小屋直行便は出せません」
「なんて不穏な直行便…」
「事例がありませんからね。そのため陛下直々に判断してもらうべく謁見するのです」
この世界でも異世界人なんてそうそうあることではないのだろう。それこそ誰も信じないか国家機密になりそうなレベルだ。
そういえば皇帝陛下直々に判断するってことは、つまり裁判長に判決を言い渡されにいくってことなのだろうか。
恐る恐るカーティスさんに確認してみると今まで見た中でいちばんの笑顔をちょうだいした。
「参考までに、カーティスさんの判決はいかがなものでしょうか…?」
「ははは。危険分子は早い内摘んでしまうに越したことないですね」
そのときはじめて人の笑顔で背筋がぞっとするということを知った。それはつまりカーティスさんの判決的には死刑ってことなのだろうか…。
「さ、着きましたよ」
目の前の大きな扉は果たして天国へ繋がる門か、はたまた地獄へ繋がる門か。
結果はどうあれ、わたしはこの扉の先に閻魔大王の姿しか見い出せなかった。