眠っていた間に本日の身体検査は終えているので、まず手始めにと珈琲を淹れ、それを大佐の前に差し出しほっとひと息ついたところで事件は起こった。



「大変です!ホームがレスです!」

「ははは。それはなによりです」



こちとら死活問題だというのに、わたしが淹れた珈琲を優雅に飲んでいる大佐は爽やかに笑った。ここまで見た中でいちばん楽しそうだった。
はじめて本格的に淹れた割にはまずまずの出来なのだそうだ。そこは上出来じゃないんだと、ぼそりと呟くと「すみません、根が正直なもので」と満面の笑みで言われた。

それはさておき本題に戻る。カツアゲとか逮捕とか謁見とか奇想天外な出来事のオンパレードで住む場所がないことにようやく気がついた。このままじゃ寝床は母なる大地ということになってしまう。見知らぬ土地どころか見知らぬ世界で野宿なんて絶対に嫌だ。



「よお、サエ。調子どうだ?」

「皇帝さま!」



突然の皇帝さまの登場に最敬礼どころか90度腰を曲げてお辞儀をする。「楽にしろ」と言われたので恐る恐る顔を上げるとにっかり笑う視線とかち合った。やっぱりおひさまみたいなお方だ。



「皇帝さまってなんか変じゃないか?」

「それではなんとお呼びすれば…」

「陛下でいいんじゃないですか?」

「それじゃ面白味がない。気軽にピオくんって呼んでいいぞ」



心なしか語尾にハートマークがついていたような気がするが大佐の案通り「かしこまりました、陛下」と言えば陛下は「ツレないなー」と不服そうに口を尖らせた。ピオくんなんて呼んだ日にゃあそれこそ首が繋がっていないだろう。
盛大なため息をついた大佐が陛下になんの用かと問うと、陛下は手を叩いて「そうだった!」と思い出したように言葉を続ける。



「サエの居住についてだ。もう決まったか?」

「いえ!死活問題でした!」



さすが皇帝陛下さま!万歳!
今まさに問題になっていたことを解決しに来てくださるとは。神さま、仏さま、皇帝陛下さま!
感動して胸元で手のひらを組み拝むと、陛下は頭をぽりぽりと掻いて照れ笑いをした。



「そうか。ちょうどよかったな」

「はい!さすが陛下、素敵です!」

「そうかそうか!じゃあ俺と暮らすか?」



さすがに陛下と暮らすのは恐れ多すぎる。しかし陛下ってどこにお住まいなんだろう?やっぱり宮殿に住んでいるのだろうか。それとも別に豪邸があったり?

考え込んでいたら話はどんどん進んでいたようで陛下が「ベッドはひとつでいいよな。一緒に寝ればいいし」と危ないことを言い出していた。さすがにまずいと思いお断りしようと慌てると遮ったのは意外にも静観していた大佐だった。



「彼女は私の家で預かります」



驚いて大佐に振り向くと、陛下も驚いたようでわたしと同じように大佐を見つめていた。注目を集める本人は未だ優雅に珈琲を飲んでいて、視線の先はわたしたちではなく手元の資料だ。



「む。ジェイドばかりずるいぞ!」



またもや口を尖らせて大佐に文句を言う陛下に、眼鏡のブリッジをあげた大佐は視線を移した。眉間に皺を寄せて深いため息をついている。至極、面倒くさそうな表情を浮かべながら。



「元犯罪者と同居し参謀総長の説教を何時間も聞いた挙句、彼女が厳罰に処されマルクトどころかこの世界から追放されるか。それとも監視という大義名分の元に私の家に彼女を住まわせるか。陛下のお好きにどうぞ」

「…サエはジェイドに任せる」



ぷんすかと異議を申し立てていた陛下が大佐の言葉であっさりと了承したこともそうだが、鶴の一声が如く簡単に陛下を諭した大佐にも驚いた。陛下の扱い方に慣れていらっしゃるようだ。まあ表情は了承していないようにも見えるが。
それにしても、一国の王に物怖じせず意見を言える大佐っていったい何者なのだろう。やはりただの主従関係には思えない。

目的を終え寛ぎ出した陛下に「俺にも茶を淹れてくれ」と言われたので準備しようとすると大佐に目で制される。そのあと職務をほっぽり出してきたことが大佐にバレた陛下は断末魔を残し迎えに来た兵士に連行された。

我関せず帰宅準備をする大佐に「帰りますよ」と言われるまで呆然とその様子を眺めていた。この風景は慣れっこなのだろうか。


大佐に連れられ数十分後。現在わたしはお屋敷の中にいる。言わずもがな大佐のご自宅だ。あまりの広さに誰かとお住まいなのかと聞くと一人暮らしらしい。この世界ではこれくらいが普通なのかな?考えてもここのことなんてわかりゃしないのでこういうものだと思い込むことにした。



「…家で遭難しそうですね」

「遭難してくださっても結構ですよ」



リビングやキッチン、トイレやお風呂などの場所を教えてもらい思わず漏らした言葉は貼りつけたような笑みでばっさり返された。

そして今、本来は客間でありこれから先わたしの部屋になる扉を開けたところだ。元の世界の自室ならこんなに家具があったら狭く見えるだろうに最低限必要なものしかない部屋は殺風景に映った。

これだけのお屋敷でお手伝いさんとかいないのだろうかと、ふとした疑問をしてみたところ満面の笑みをいただいた。この短時間で学んだ。この表情の裏にはろくなことがないということを。とても嫌な予感がしてならない。



「これからは便利な使用人がいますから」

「それってもしかして、わたしのことですか?」

「理解が早いところはあなたの長所ですね」



ああ、やっぱり嫌な予感は当たってしまった。褒められて嬉しくないこともあるんだなとしみじみしていたら、その隙に掃除洗濯を任された。



「家でのお茶や食事の用意は結構です。ここでは身体検査を改めませんから、毒なんて盛られたらたまりませんからね」



「少しでも不審な動きをした場合、即刻吊るし首ですのでそのつもりで」と笑顔で言葉を続けられる。わたしのことなど、取調室で見たフジュツ?を用いれば一捻りなのだろう。

不可抗力とはいえわたしはこの国の元犯罪者。そうでなくても異世界人という得体の知れない存在だ。わかっていても心にぐっさり刺さるものがある。大佐の言うことはごもっともだし、なによりわたしは大佐の言葉に「NO」と言える立場ではない。返事は必ず「YES」だ。頷く他ない。


そのあとも屋敷内での注意事項が続く。
食事は大佐から配給される。
お互いの私生活に干渉しない。
説明を受けていない部屋には入らない。
またその部屋の掃除もしない。
帰宅後は外出禁止。(したところで迷子確定)

当然ながら自由など皆無に等しかった。あるとすれば家事が終わったあとの睡眠まで、世界はこの部屋の中だけだ。



「それからこれは陛下からです」



手渡されたのはそれなりの大きさの小包。その中に女性用の洋服が数着入っていた。お城のみなさんの服装はけっこう奇抜だったが、町民の格好は古き良き西洋の服装みたいで割と普通だった。
添えられたカードには「愛しのサエへ」と書かれてあることからわたしのために用意してくださったのだとわかる。

服のことなんてもっと忘れていた。家のことも服のことも陛下はわたしなんかのために細かいところまで気遣ってくださる。ありがたい。ありがたいのだが、これはどこで調達したのだろう?見るからにサイズはぴったりそうだ。



「大佐。陛下はいつの間にサイズを…」

「世の中には知らなくていいこともあります」



眼鏡が逆光になっていて大佐の表情は窺えなかったが聞いてはいけないことなんだと理解した。それからその疑問が表に出ることはなかった。



「食事ですが、苦手なものはありますか?」

「え?」

「どうしたんです?間抜けな顔をして」



まさか食の好き嫌いを聞かれるとは思わず気の抜けた声が出てしまった。そんなわがままを言える立場ではないことは理解していたし、衣食住が確定しているだけでもありがたいのでそんなこと頭になかった。



「大佐はお優しいんですね」



さも驚きました、と大佐は目を見開いた。
これでは大佐の質問の答えになっていないので、まさか好き嫌いを聞かれるとは思わなくて驚いたことと苦手なものは特にないことを伝えると、大佐は「そうですか」とだけ呟いた。



「大佐、ありがとうございます」



そういえばろくに感謝していないことに今さら気がついた。カツアゲから助けてくださったこと、丁寧に仕事を教えてくださったこと、家に住まわせていただけること。



「すべて陛下の奇矯なお心のおかげです。本来ならば今ごろ牢屋行きのはずですから。礼を言うべきは私ではなく陛下でしょう」

「もちろん、陛下には感謝してもしきれないほどのご恩があります。わたし自身だけでなく家の心配や洋服まで。ですがわたしは大佐にも感謝をしているんです」



カツアゲのことは逮捕のついでだと言われたが、それでも救われたことに変わりはない。あのとき大佐のおかげで安心できたし、手を差し出してくれて嬉しかった。それに直属の部下になるとはいえ、得体の知れない人間に自宅の一室を使わせてくださるなんて簡単にできることではない。それがたとえ監視という名目でも。

陛下がいなければ命がなかったように、大佐がいなければ居場所がなかった。
ありったけの思いを伝えると大佐は少し眉を下げてため息をついた。



「…あなたは不思議な人ですね」

「いえ、それほどでもないです」

「少なくとも褒めてはいません」



なんだ、褒められたわけじゃないのか。口元は笑ってくれているから変わった褒め言葉かと思った。この世界に来ていろんな経験をしたせいか、わたしもずいぶん図太くなったもんだ。



「大佐。これからよろしくお願いします」



緊張のしっぱなしだったせいかこの世界に来てやっと笑えた気がする。まさか笑うことが久しぶりだと思う日がくるとは思わなかったが。

惑星オールドラントでのはじめての笑顔は、緊張から解放されたなんとも情けない顔だった。

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