そのシルエットは美しく
天喰が一大決心してすぐにメッセージが瑠璃のもとに届いた。挨拶と今まで何て言ったらいいかわからなくて連絡できずにいたことを詫びる文から始まり、どうしても会って話したいから予定を開けて欲しいというものだった。天喰はインターンから帰ってすぐでも構わないといった様子であったため、瑠璃もそこに合わせることにした。
その時を待っている間、瑠璃はドキドキと落ち着かなかった。
心操を捕まえて、自分を取ってくれなかったらどうしようという不安をぶつけていた。心操はもう慣れた様子で「その時はその時考えればいいんじゃない」と言っていた。嘘でも大丈夫だよなんて確信的なことを言ってくれないことに瑠璃はムカついた。
「そこは嘘でも大丈夫って言うものよ……」
「へぇ、じゃあおまえはその嘘で納得すんの?」
「……下手な慰めは嫌いだわ」
「だろ。だからこれでいいんだよ」
「……心操のくせに生意気」
俺は元からこうだけど、と心操が呆れたようにため息まじりで答えた。
どっちにしろ怒るから瑠璃には下手な慰めは必要ないと心操は判断している。本当に落ち込んでるときにだけそうするくらいでちょうどいいと、心操はよく瑠璃の扱いを分かっていた。後に上鳴にして「モテる面」だと言われるだけのことはあるのだった。
「もうそろそろ約束の時間でしょ。大分遅いけど大丈夫?」
「……」
「……なんかあったら連絡して。起きといてやるから」
「……ええ」
不安そうな瑠璃だったが、心操が出来ることなどこれくらいだ。まさか同席するわけにもいかないし、心操だって頼まれてもそれはごめんだった。いや、まぁ……本当にどうしてもと言われたならしょうがないなと頷かざるを得ないかもしれないけれど。でもそれは誰にとってもよくないだろうなと思うのだった。
そんなことを思っていると瑠璃のスマホに天喰からのメッセージが届く。
寮の前にいるという連絡に瑠璃が不安げな顔をするから「頑張れ」と声をかける。
「……私、頑張れる?」
「頑張れるよ。言っただろ、おまえは意外と頑張れるタイプだって」
「……ほんと?」
「本当」
じっと瑠璃の目を見て、心操はもう一度「頑張れるよ」と言って背中を押した。
瑠璃はこくりと小さく頷いて、天喰のいる外へと向かう。もう一度その背中に心操は頑張れと思うのだった。
その一連のやり取りを見ていたクラスメイトが意外そうに心操に声をかけた。
「揚羽ってさ、意外とあんな感じなんだ? なんか、すごい子供っぽかった」
「あいつは前からあんな感じだよ。傍若無人で女王様みたいなやつだけど、言ってることも考えてることもわりとガキ」
「ふーん……なんかさ、ちょっと揚羽可愛いと思ったんだけど、これって気の迷い?」
「それは気の迷いだな。揚羽は可愛くない」
可愛くないと断言する心操にクラスメイトは一瞬驚いて、それから快活に笑った。
瑠璃を可愛いと騒ぐ男子の中でやっぱり心操だけが変わっていたから。心操はいきなり笑われたことに対して「何」と怪訝な表情を浮かべると、クラスメイトは笑って答えた。
「いや? 揚羽が心操に懐いた理由が今のでわかったなと思って」
「何だそれ……」
「可愛くないって思ってるからじゃん? だから取り繕わないんでしょ。だって、可愛くないんだもん」
「はぁ……?」
女子の言うことはさっぱりわからないなと心操は思う。クラスメイトは意外と仲良くなれるタイプかもなと瑠璃に対して認識を少し変えていた。何だかほっとけなかったのだ。心操に対してだけああなのかもしれないけれど、いずれ自分にもそうなってくれたら、きっとかわいく思えるだろうと思う。
高嶺の花を気取っている瑠璃より、さっきの不安で助けを求める顔をしている瑠璃の方が、ずっと可愛くて好感が持てたのだった。
「私にもああなってくれると嬉しいなァ……」
「……おまえ、趣味悪いな」
「なんとでも」
でもその方がいいのかもしれないと心操は思う。自分がいつまでも瑠璃を支えてやれるわけじゃない。まだ瑠璃には言っていないけれど、ヒーロー科への編入のために心操はもうとっくに動き出しているから。
友だちがちゃんとできるならそれがいいなと心操はクラスメイトに一つ「あいつの世話係は大変だぞ」と先輩として忠告をするのだった。
おそるおそる扉を開けて、現れた天喰の顔を見た時瑠璃は何だか泣きたくなるような気持ちだった。
あの後から連絡を取ることもなく、会うことだってなかった。当然だ。元々寮は離れているし、学年も違えば科だって違う。意識して会おうとしなければ一緒になるのなんてランチラッシュのメシ処くらいだろう。それすら瑠璃は避けていたのだから、会うのは随分久しぶりだった。
天喰は瑠璃の顔を見るとほっとしたように息をついて、すっと手を差し出した。瑠璃はそれに迷いつつも手を重ねる。これが最後にならなければいいと、怯える心を必死で押さえつけていた。
その手を優しく引いて天喰は歩き出す。ハインツアライアンスの玄関に咲き誇る花壇や星空を眺めて、それから瑠璃の方を見た。
「ずっと……会いたかったんだ」
「え……」
「会いたくて、声が聞きたくて……でも、君が望む答えをちゃんと出せそうになくて……二の足を踏むばかりだった」
指先が震えた。天喰ははっきりと瑠璃が望む答えが出せそうにないと言ったから。瑠璃があの時天喰に要求したのは波動と縁を切って瑠璃を取ることだった。それが出来そうにないと言われたのも同然で、じゃあ今ここにいるのは自分とお別れをするためで、天喰はその覚悟を今まで固めていたのだろうかと思うと立ち止まってしまった。
急に歩みを止めた瑠璃に天喰が振り返る。そうして見えた瑠璃の顔に息を呑んだ。涙が零れ落ちている。ぽたり、ぽたりと地面に滴り落ちていく。
「瑠璃ちゃ……どうし……」
「もう、終わり……?」
「え……」
「私たち、もう……終わりなの……?」
震える声と共に後悔が押し寄せてきた。天喰の好きに胡坐をかいていた。自分を選ぶものだと高をくくっていた。勝つのが分かっていたから、信じていたからあんな意地悪を言えた。でも、そうじゃないなら、選んでもらえないなら何の意味もない。
心操に怒られたのが脳裏を過る。やりすぎなのは自分だって本当は分かっていた。でも嫌だった。聞いてほしかった。聞いてくれるって甘えていた。
お別れが間近に迫ってきて、瑠璃は気づいたら口にしていた。
「いやだわ……」
ぼたりと大粒の涙がどんどん零れ落ちていく。嫌だ、嫌だ。お別れなんて嫌だ。
「お別れは嫌よ……いやだもの。いやなの……っ、いや……」
「瑠璃ちゃん……あの……」
天喰がおそるおそる瑠璃に近づいてくるのを瑠璃は首を振って拒絶した。
別れるのだけは嫌だった。全部自分が蒔いた種で、自分が要求したからこうなってしまったとしても、それだけは嫌だった。
今すぐ心操に助けてと言いたかった。でもここに心操はいないし、心操がいたところで「ちゃんと伝えないと伝わらないぞ」と言うだろう。そこまで思い至ると、心操の「頑張れ」を思い出した。
(心操、私……頑張れるかしら。もう、結果はでちゃったけど……頑張れるかしら)
私、頑張れないと心中でまた一つ泣き言を零す。頑張れないのと泣く瑠璃に心操が呆れたような、困ったような顔をしているのを想像した。面倒くさそうに、しょうがないなと言うように、しゃんがんで瑠璃に目線を合わせるとこう言うのだ。「頑張れるよ」って。
何度瑠璃がそうかしら、と返してもその度に心操は「そうだよ」と返してくれた。繰り返し途方もないやり取りをして、それはどこか暗示にも似ていて。そういえば心操の個性は洗脳だっただろうかと思い出す。
それなら、そうかもしれない。心操がいうなら、そうなれるかもしれない。
一歩進む。心操のそれは瑠璃にとって勇気を齎してくれる、希望の力に映っていた。
「好きよ……環くん。あなたの世界が私だけであればいいと思うくらい、あなたが好きよ」
こんなに胸が苦しいのも、嫌だと思うのも、他の人と仲良くしてほしくないのも、ただの癇癪じゃないと瑠璃だって分かっている。何で軽井沢に行った時、石の教会に行ったのか。本当はずっと前から瑠璃は自分の気持ちを知っていた。
不器用だけど、びっくりするくらいシャイだけど、必死に自分に合わせようとしてくれたのが嬉しくて、いつだって瑠璃のことを一番に考えてくれていた。刺激的な恋ではないけれど、天喰の優しさに得難い愛情を確かに瑠璃だって感じていた。その愛の形は十分に瑠璃に伝わっていたのだ。
一方で天喰は瑠璃が泣いている上に、別れると誤解され訂正しようにも、瑠璃が聞きたくないとばかりに拒絶するのでどうやって聞いてもらおうかと必死に考えていたのだが、ここで突然の告白を受けて更に大混乱に陥った。
瑠璃が自分を好きだと言った。それに対しての感想はまず、幻聴だろうかと我が耳を疑うものだった。しかも大分熱烈な告白だった気がする。やはり幻聴だろうか。きっとそうだと思っていると、瑠璃がまた悲し気に顔を歪ませた。
「……もう、私のこと……好きじゃない……?」
「大好きです!!!」
ほとんど反射的に答えた。それに泣き笑いのような表情を浮かべる瑠璃にこれが現実なのだとようやく認識した。
現実だと認識した途端ボンッと音が出るほどに顔が真っ赤になったが、それどころではない。これが現実なら自分は言わなきゃならないことがあるのだ。今すぐに伝えなければならない。だって、自分の愛する人がこんなにも傷ついているのだから。愛を、伝えてくれたのだから。
「大好きだよ……瑠璃ちゃん。ずっと、前から……君を一目見たその時から、今もずっと俺は君が好きだよ」
「……ほんとう?」
「本当。別れるなんて俺は考えてない。俺は君と別れたくない……いやだって言われても、俺は……ごめん、諦めてあげられない……君が、瑠璃ちゃんが……好きだから……!!」
君の意志を尊重できなくてごめんと天喰は思う。別れたいと言われても、別れてあげられない。蝶々が蜘蛛の巣でもがくように、きっと自分は修練を積んだタコの足で瑠璃を捕らえて離さないだろう。嫌だと泣かれても、きっと離してあげられなかった。行かないでくれと縋っているのは自分の方だ。
「でもごめん……瑠璃ちゃんのことが好きなのは本当だ。誰にだってこの気持ちだけは負けない。でも……波動さんと縁を切るのは……無理だ。誓って何もやましいことはないけれど、大事なクラスメイトの一人なんだ。一方的に関係を切ることは……できない、したくない……俺は……そんな自分でいたくない」
だからごめん、許してくださいと頭を下げる天喰に、瑠璃は優しく手を伸ばす。そのまま慰めるように天喰の頭を撫でた。困惑する天喰に瑠璃はあのね、と口を開く。
「私、そこは悪かったって思ってるのよ。相談したらね、私も怒られちゃったの」
「え……誰に……」
「心操。知ってるでしょ? 私が唯一接してるクラスメイト」
「ああ、うん。心操くん……」
存じておりますともと天喰は内心で若干複雑な思いだった。容赦なく瑠璃に厳しいことが言えるすごい人。天喰は瑠璃に厳しいことなんて言えないので、密かに心操を尊敬していた。
瑠璃は叱られた子供のような顔をして教えてくれた。
「私が言ったことは、心操と縁を切れって言ったようなものだって……私、そんな風に思ってなかったの。環くんとあの人が仲良さそうに見えて……あの人、私とは違ったタイプだけど、モテそうだったから……面白くなかったの」
「……え!? そ、それってあの、つまり……やきもち……焼いてたってこと……?」
「……そうよ。悪い?」
「悪くないです。え……あ、そういう……ごめん、俺そういう発想はなくて……まさか、瑠璃ちゃんが俺にやきもちを焼いてくれるとは……」
天喰は新事実に色々納得する。全てを理解したような感覚を覚えた。
機嫌が悪くて拗ねていたのも、波動をやけに嫌っていたのも、天喰に自分と波動を天秤に掛けさせたのもなるほどと思った。仲がいいのかと聞いてきたときの不安げな様子も。あの時すでに「俺が好きなのは瑠璃ちゃんだよ」と抱きしめられていたのなら、きっと――。
「瑠璃ちゃん」
「……なぁに?」
「俺は……君が望むなら大体のことは叶えられると思う。例えば、岸壁に咲いた世界一綺麗な花を採ってくるとか、深海の珊瑚を取って来いと言うのなら、俺は採ってくるだろう。アフリカゾウに勝てと言うのなら、俺は勝ってみせる。君が応援してくれるなら……きっとどんなことも俺は出来るよ」
天喰の真剣な告白に瑠璃は驚いた様子だったが、それからすぐに天喰が「まぁ……あの、交友関係とかはちょっと配慮くらいしかできないんだけど……」と歯切れ悪く言い出したため、ふっと吹き出すのだった。
「ふふっ……環くんらしいわ」
「ううっ……やっぱりかっこつかないか……」
「……でも、十分よ。十分、あなたの愛は伝わったわ」
「瑠璃ちゃん……」
瑠璃の目にはもう涙は浮かんでいなかった。あるのは慈愛と愛情だけ。
十分すぎるほど天喰の愛が伝わったから、もう瑠璃は大丈夫だった。
「だって私たち両想いなんですもの。だから、もういいの。あなたがそうやって愛を示してくれるなら、もう不安になんてならないわ。意地悪も言わない。そのままのあなたでいいから、どうかこれからもよろしくね」
「瑠璃ちゃん……! 俺もそのままの瑠璃ちゃんでいいよ。それでいい、それがいいんだ。君のわがままを全部叶えられるくらい頑張るから……これからもずっと一緒にいてください」
「……欲張りさん。いいわ、全部あげる。だから環くんも全部ちょうだいね。約束よ」
「ああ、約束するよ。俺の全部は……君のために」
女王陛下と繋いだ指先にキスを贈る。まるで奴隷だ。でもそれでいい、それがいいのだと天喰は思う。
瑠璃は女王様で、自分はその配下。ずっとこれからも、彼女の恋の奴隷であることに違いはないのだから。
晴れて仲直りした天喰と瑠璃の顔は晴れやかなものだった。
そこで早速一つ、天喰はお願いをする。
「『頑張れ』って言ってくれる? あと『勝ってこい』とか……」
「? いいわよ。頑張ってね、環くん。絶対勝ってこなくちゃだめよ?」
「……うん。絶対、勝ってくるよ」
この不思議な要求の謎が解けたのは数日後のことなのだか、今はまだ何も知らない。
仲直りの印と、両想いになったことから瑠璃の愛情表現と、天喰の不器用な愛情表現に忙しかったから。夜空の下で重なった二人のシルエットは仲睦まじい恋人同士のものだった。
その時を待っている間、瑠璃はドキドキと落ち着かなかった。
心操を捕まえて、自分を取ってくれなかったらどうしようという不安をぶつけていた。心操はもう慣れた様子で「その時はその時考えればいいんじゃない」と言っていた。嘘でも大丈夫だよなんて確信的なことを言ってくれないことに瑠璃はムカついた。
「そこは嘘でも大丈夫って言うものよ……」
「へぇ、じゃあおまえはその嘘で納得すんの?」
「……下手な慰めは嫌いだわ」
「だろ。だからこれでいいんだよ」
「……心操のくせに生意気」
俺は元からこうだけど、と心操が呆れたようにため息まじりで答えた。
どっちにしろ怒るから瑠璃には下手な慰めは必要ないと心操は判断している。本当に落ち込んでるときにだけそうするくらいでちょうどいいと、心操はよく瑠璃の扱いを分かっていた。後に上鳴にして「モテる面」だと言われるだけのことはあるのだった。
「もうそろそろ約束の時間でしょ。大分遅いけど大丈夫?」
「……」
「……なんかあったら連絡して。起きといてやるから」
「……ええ」
不安そうな瑠璃だったが、心操が出来ることなどこれくらいだ。まさか同席するわけにもいかないし、心操だって頼まれてもそれはごめんだった。いや、まぁ……本当にどうしてもと言われたならしょうがないなと頷かざるを得ないかもしれないけれど。でもそれは誰にとってもよくないだろうなと思うのだった。
そんなことを思っていると瑠璃のスマホに天喰からのメッセージが届く。
寮の前にいるという連絡に瑠璃が不安げな顔をするから「頑張れ」と声をかける。
「……私、頑張れる?」
「頑張れるよ。言っただろ、おまえは意外と頑張れるタイプだって」
「……ほんと?」
「本当」
じっと瑠璃の目を見て、心操はもう一度「頑張れるよ」と言って背中を押した。
瑠璃はこくりと小さく頷いて、天喰のいる外へと向かう。もう一度その背中に心操は頑張れと思うのだった。
その一連のやり取りを見ていたクラスメイトが意外そうに心操に声をかけた。
「揚羽ってさ、意外とあんな感じなんだ? なんか、すごい子供っぽかった」
「あいつは前からあんな感じだよ。傍若無人で女王様みたいなやつだけど、言ってることも考えてることもわりとガキ」
「ふーん……なんかさ、ちょっと揚羽可愛いと思ったんだけど、これって気の迷い?」
「それは気の迷いだな。揚羽は可愛くない」
可愛くないと断言する心操にクラスメイトは一瞬驚いて、それから快活に笑った。
瑠璃を可愛いと騒ぐ男子の中でやっぱり心操だけが変わっていたから。心操はいきなり笑われたことに対して「何」と怪訝な表情を浮かべると、クラスメイトは笑って答えた。
「いや? 揚羽が心操に懐いた理由が今のでわかったなと思って」
「何だそれ……」
「可愛くないって思ってるからじゃん? だから取り繕わないんでしょ。だって、可愛くないんだもん」
「はぁ……?」
女子の言うことはさっぱりわからないなと心操は思う。クラスメイトは意外と仲良くなれるタイプかもなと瑠璃に対して認識を少し変えていた。何だかほっとけなかったのだ。心操に対してだけああなのかもしれないけれど、いずれ自分にもそうなってくれたら、きっとかわいく思えるだろうと思う。
高嶺の花を気取っている瑠璃より、さっきの不安で助けを求める顔をしている瑠璃の方が、ずっと可愛くて好感が持てたのだった。
「私にもああなってくれると嬉しいなァ……」
「……おまえ、趣味悪いな」
「なんとでも」
でもその方がいいのかもしれないと心操は思う。自分がいつまでも瑠璃を支えてやれるわけじゃない。まだ瑠璃には言っていないけれど、ヒーロー科への編入のために心操はもうとっくに動き出しているから。
友だちがちゃんとできるならそれがいいなと心操はクラスメイトに一つ「あいつの世話係は大変だぞ」と先輩として忠告をするのだった。
おそるおそる扉を開けて、現れた天喰の顔を見た時瑠璃は何だか泣きたくなるような気持ちだった。
あの後から連絡を取ることもなく、会うことだってなかった。当然だ。元々寮は離れているし、学年も違えば科だって違う。意識して会おうとしなければ一緒になるのなんてランチラッシュのメシ処くらいだろう。それすら瑠璃は避けていたのだから、会うのは随分久しぶりだった。
天喰は瑠璃の顔を見るとほっとしたように息をついて、すっと手を差し出した。瑠璃はそれに迷いつつも手を重ねる。これが最後にならなければいいと、怯える心を必死で押さえつけていた。
その手を優しく引いて天喰は歩き出す。ハインツアライアンスの玄関に咲き誇る花壇や星空を眺めて、それから瑠璃の方を見た。
「ずっと……会いたかったんだ」
「え……」
「会いたくて、声が聞きたくて……でも、君が望む答えをちゃんと出せそうになくて……二の足を踏むばかりだった」
指先が震えた。天喰ははっきりと瑠璃が望む答えが出せそうにないと言ったから。瑠璃があの時天喰に要求したのは波動と縁を切って瑠璃を取ることだった。それが出来そうにないと言われたのも同然で、じゃあ今ここにいるのは自分とお別れをするためで、天喰はその覚悟を今まで固めていたのだろうかと思うと立ち止まってしまった。
急に歩みを止めた瑠璃に天喰が振り返る。そうして見えた瑠璃の顔に息を呑んだ。涙が零れ落ちている。ぽたり、ぽたりと地面に滴り落ちていく。
「瑠璃ちゃ……どうし……」
「もう、終わり……?」
「え……」
「私たち、もう……終わりなの……?」
震える声と共に後悔が押し寄せてきた。天喰の好きに胡坐をかいていた。自分を選ぶものだと高をくくっていた。勝つのが分かっていたから、信じていたからあんな意地悪を言えた。でも、そうじゃないなら、選んでもらえないなら何の意味もない。
心操に怒られたのが脳裏を過る。やりすぎなのは自分だって本当は分かっていた。でも嫌だった。聞いてほしかった。聞いてくれるって甘えていた。
お別れが間近に迫ってきて、瑠璃は気づいたら口にしていた。
「いやだわ……」
ぼたりと大粒の涙がどんどん零れ落ちていく。嫌だ、嫌だ。お別れなんて嫌だ。
「お別れは嫌よ……いやだもの。いやなの……っ、いや……」
「瑠璃ちゃん……あの……」
天喰がおそるおそる瑠璃に近づいてくるのを瑠璃は首を振って拒絶した。
別れるのだけは嫌だった。全部自分が蒔いた種で、自分が要求したからこうなってしまったとしても、それだけは嫌だった。
今すぐ心操に助けてと言いたかった。でもここに心操はいないし、心操がいたところで「ちゃんと伝えないと伝わらないぞ」と言うだろう。そこまで思い至ると、心操の「頑張れ」を思い出した。
(心操、私……頑張れるかしら。もう、結果はでちゃったけど……頑張れるかしら)
私、頑張れないと心中でまた一つ泣き言を零す。頑張れないのと泣く瑠璃に心操が呆れたような、困ったような顔をしているのを想像した。面倒くさそうに、しょうがないなと言うように、しゃんがんで瑠璃に目線を合わせるとこう言うのだ。「頑張れるよ」って。
何度瑠璃がそうかしら、と返してもその度に心操は「そうだよ」と返してくれた。繰り返し途方もないやり取りをして、それはどこか暗示にも似ていて。そういえば心操の個性は洗脳だっただろうかと思い出す。
それなら、そうかもしれない。心操がいうなら、そうなれるかもしれない。
一歩進む。心操のそれは瑠璃にとって勇気を齎してくれる、希望の力に映っていた。
「好きよ……環くん。あなたの世界が私だけであればいいと思うくらい、あなたが好きよ」
こんなに胸が苦しいのも、嫌だと思うのも、他の人と仲良くしてほしくないのも、ただの癇癪じゃないと瑠璃だって分かっている。何で軽井沢に行った時、石の教会に行ったのか。本当はずっと前から瑠璃は自分の気持ちを知っていた。
不器用だけど、びっくりするくらいシャイだけど、必死に自分に合わせようとしてくれたのが嬉しくて、いつだって瑠璃のことを一番に考えてくれていた。刺激的な恋ではないけれど、天喰の優しさに得難い愛情を確かに瑠璃だって感じていた。その愛の形は十分に瑠璃に伝わっていたのだ。
一方で天喰は瑠璃が泣いている上に、別れると誤解され訂正しようにも、瑠璃が聞きたくないとばかりに拒絶するのでどうやって聞いてもらおうかと必死に考えていたのだが、ここで突然の告白を受けて更に大混乱に陥った。
瑠璃が自分を好きだと言った。それに対しての感想はまず、幻聴だろうかと我が耳を疑うものだった。しかも大分熱烈な告白だった気がする。やはり幻聴だろうか。きっとそうだと思っていると、瑠璃がまた悲し気に顔を歪ませた。
「……もう、私のこと……好きじゃない……?」
「大好きです!!!」
ほとんど反射的に答えた。それに泣き笑いのような表情を浮かべる瑠璃にこれが現実なのだとようやく認識した。
現実だと認識した途端ボンッと音が出るほどに顔が真っ赤になったが、それどころではない。これが現実なら自分は言わなきゃならないことがあるのだ。今すぐに伝えなければならない。だって、自分の愛する人がこんなにも傷ついているのだから。愛を、伝えてくれたのだから。
「大好きだよ……瑠璃ちゃん。ずっと、前から……君を一目見たその時から、今もずっと俺は君が好きだよ」
「……ほんとう?」
「本当。別れるなんて俺は考えてない。俺は君と別れたくない……いやだって言われても、俺は……ごめん、諦めてあげられない……君が、瑠璃ちゃんが……好きだから……!!」
君の意志を尊重できなくてごめんと天喰は思う。別れたいと言われても、別れてあげられない。蝶々が蜘蛛の巣でもがくように、きっと自分は修練を積んだタコの足で瑠璃を捕らえて離さないだろう。嫌だと泣かれても、きっと離してあげられなかった。行かないでくれと縋っているのは自分の方だ。
「でもごめん……瑠璃ちゃんのことが好きなのは本当だ。誰にだってこの気持ちだけは負けない。でも……波動さんと縁を切るのは……無理だ。誓って何もやましいことはないけれど、大事なクラスメイトの一人なんだ。一方的に関係を切ることは……できない、したくない……俺は……そんな自分でいたくない」
だからごめん、許してくださいと頭を下げる天喰に、瑠璃は優しく手を伸ばす。そのまま慰めるように天喰の頭を撫でた。困惑する天喰に瑠璃はあのね、と口を開く。
「私、そこは悪かったって思ってるのよ。相談したらね、私も怒られちゃったの」
「え……誰に……」
「心操。知ってるでしょ? 私が唯一接してるクラスメイト」
「ああ、うん。心操くん……」
存じておりますともと天喰は内心で若干複雑な思いだった。容赦なく瑠璃に厳しいことが言えるすごい人。天喰は瑠璃に厳しいことなんて言えないので、密かに心操を尊敬していた。
瑠璃は叱られた子供のような顔をして教えてくれた。
「私が言ったことは、心操と縁を切れって言ったようなものだって……私、そんな風に思ってなかったの。環くんとあの人が仲良さそうに見えて……あの人、私とは違ったタイプだけど、モテそうだったから……面白くなかったの」
「……え!? そ、それってあの、つまり……やきもち……焼いてたってこと……?」
「……そうよ。悪い?」
「悪くないです。え……あ、そういう……ごめん、俺そういう発想はなくて……まさか、瑠璃ちゃんが俺にやきもちを焼いてくれるとは……」
天喰は新事実に色々納得する。全てを理解したような感覚を覚えた。
機嫌が悪くて拗ねていたのも、波動をやけに嫌っていたのも、天喰に自分と波動を天秤に掛けさせたのもなるほどと思った。仲がいいのかと聞いてきたときの不安げな様子も。あの時すでに「俺が好きなのは瑠璃ちゃんだよ」と抱きしめられていたのなら、きっと――。
「瑠璃ちゃん」
「……なぁに?」
「俺は……君が望むなら大体のことは叶えられると思う。例えば、岸壁に咲いた世界一綺麗な花を採ってくるとか、深海の珊瑚を取って来いと言うのなら、俺は採ってくるだろう。アフリカゾウに勝てと言うのなら、俺は勝ってみせる。君が応援してくれるなら……きっとどんなことも俺は出来るよ」
天喰の真剣な告白に瑠璃は驚いた様子だったが、それからすぐに天喰が「まぁ……あの、交友関係とかはちょっと配慮くらいしかできないんだけど……」と歯切れ悪く言い出したため、ふっと吹き出すのだった。
「ふふっ……環くんらしいわ」
「ううっ……やっぱりかっこつかないか……」
「……でも、十分よ。十分、あなたの愛は伝わったわ」
「瑠璃ちゃん……」
瑠璃の目にはもう涙は浮かんでいなかった。あるのは慈愛と愛情だけ。
十分すぎるほど天喰の愛が伝わったから、もう瑠璃は大丈夫だった。
「だって私たち両想いなんですもの。だから、もういいの。あなたがそうやって愛を示してくれるなら、もう不安になんてならないわ。意地悪も言わない。そのままのあなたでいいから、どうかこれからもよろしくね」
「瑠璃ちゃん……! 俺もそのままの瑠璃ちゃんでいいよ。それでいい、それがいいんだ。君のわがままを全部叶えられるくらい頑張るから……これからもずっと一緒にいてください」
「……欲張りさん。いいわ、全部あげる。だから環くんも全部ちょうだいね。約束よ」
「ああ、約束するよ。俺の全部は……君のために」
女王陛下と繋いだ指先にキスを贈る。まるで奴隷だ。でもそれでいい、それがいいのだと天喰は思う。
瑠璃は女王様で、自分はその配下。ずっとこれからも、彼女の恋の奴隷であることに違いはないのだから。
晴れて仲直りした天喰と瑠璃の顔は晴れやかなものだった。
そこで早速一つ、天喰はお願いをする。
「『頑張れ』って言ってくれる? あと『勝ってこい』とか……」
「? いいわよ。頑張ってね、環くん。絶対勝ってこなくちゃだめよ?」
「……うん。絶対、勝ってくるよ」
この不思議な要求の謎が解けたのは数日後のことなのだか、今はまだ何も知らない。
仲直りの印と、両想いになったことから瑠璃の愛情表現と、天喰の不器用な愛情表現に忙しかったから。夜空の下で重なった二人のシルエットは仲睦まじい恋人同士のものだった。
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