期末試験を無事終えて、夏休みに入った。うだるような暑さに瑠璃は参っていた。こうも暑くては気軽に外に出られない。けれど家にこもりっぱなしというのも味気がない。
それにもう高校生だ。中学生とは違った一歩進んだデートをしたいという気持ちが瑠璃にはあった。瑠璃は熱心にネイルをしている母に尋ねる。


「ねぇ、ママ。旅行とか行ってもいい?」
「いいわよ」

二つ返事で了承された。母はそれだけいうと特に興味はないようで、熱心にブラシをかけていた。
瑠璃の家は母子家庭である。それも離婚したとかではなく、そもそも瑠璃の父親が誰かが分かっていない。未婚の母であった。
母は蝶の様な人だ。気ままに花を食んではまたどこぞへと向かう。母は美しく、やり手であったため苦労という苦労はしてこなかったが、瑠璃への関心は然程ある方ではなかった。
けれどこれといって親子仲が悪いわけでもない。瑠璃も蝶にちなんだ個性と性分であるから、意外と気楽だったのだ。

母はふと思い出したようにネイルをする手を止めた。


「そういえば、お友達に軽井沢に招待されてたわ。そこ行く?」
「軽井沢って今過ごしやすい気候よね。行きたいわ」
「わかった。予約しとく。人数は?」
「私と彼の二人」
「二人? 随分遊んでないのね」
「ママに比べたらね」

肩を竦める瑠璃に母は意外そうな顔を向けた。今の会話を心操が聞いたらこの親にしてこの子ありだなと思う事だろう。蝶々なんてそういうものだ。
母はすぐにどこぞにメッセージを入れると、ネイル作業に戻ろうとして瑠璃を呼び寄せた。


「なに?」
「あんたにもしてあげる。ここ座りなさい」
「いいの?」
「ええ。雄英はこういうのにうるさくないみたいだし、もう夏休みで高校生なんだもの。旅行に行くなら最高に綺麗な自分でいないとね」
「……ありがとう」

母の手が優しく瑠璃の指先に魔法をかけていく。
母はあまり瑠璃のすることなすことに関心がなく、放任主義であったけれど、瑠璃を着飾ることに対してはそれなりに熱心だったように思う。

瑠璃の指先にオーロラが流れて、蝶々が舞っている。美しいそれに何だか自信がついたように思う。頭の頂点から指先まで、私は美しいと。










ネイルが完成してから瑠璃はすぐに天喰に旅行のことを伝えた。
けれどメッセージのやりとりでは天喰がすぐにショートしてしまい、話にならなかったので電話をかけたのだ。電話をかけてもなかなかでないものだから――瑠璃からかかってきたことにパニックになっていた――、メッセージで「出なさい」と送ると天喰もようやく出たのだった。
そうやって軽井沢のホテルに旅行に行くことを伝えると、天喰はやはり気が動転していた。


『ええっ、と、泊まり!?』
「そう言ってるでしょ」
『誰と誰が……』
「私と環くんが」
『そんなっ……泊まりなんてハードルが高くないかな……?』
「私たちもう高校生よ。高いわけがないでしょう」

若干パニックになっている天喰に瑠璃は呆れたようにため息まじりで答えた。
もう高校生だ。ちょっとくらい遠出したっておかしなことではないだろう。確かに泊まりとなるとそこまでするのは少数派かもしれないけれど、それだってないわけではないはずだ。
それに天喰は三年で、インターン生でもある。外泊自体珍しくないだろうに焦る辺り天喰だなと思った。


『あの……ちなみに日程は……』
「来週」
『来週……来週は……来週は……』
「何もないことは分かってるわよ。予定表出してもらったでしょう」
『うっ……ソウデスネ』

何とか来週に予定がなかったか探した天喰だったが、珍しく綺麗にまっさらだった。雄英の特別課題がないのはそうだが、インターンにおいては彼女が出来たと知った――スマホに瑠璃から連絡が来たのをたまたま見られたのだ――ファットガムが気を利かせて「彼女とデートするのも大事やで!」とサムズアップをしながら連休にしてくれたのだった。だがしかし、そこまでお膳立てされても天喰が誘えた試しはなかった。


「それじゃ、準備しててね。当日は家に迎えに来て」
『う、うん……分かった……』

天喰の力ない声が聞こえる。瑠璃はなんだかそれが面白くなかった。
恋人との旅行である。本来なら喜ぶものじゃないのか、楽しいものになるはずじゃないのか、と瑠璃は思う。けれど天喰は旅行自体に乗り気なようには見えなかった。


「……行きたくないなら別にいいのよ。嫌なら嫌って言ってくれていいから」

恋人らしいことがしたい。愛情表現は分かりやすいのがいい。でも、天喰がそういうのが嫌なら仕方ないとも思う。嫌々付き合わせても楽しいものになるはずがない。それなら二人で行く意味がないと思いそう言えば、天喰が息を呑んで、それから今までの比ではないほど大きな声を出して否定した。


『嫌なわけがないっ、すっ……好きな人と! 一緒に過ごせるのに……! 嫌なわけがないよ……!』
「……環くん」

天喰の本音に瑠璃は瞬きを一つした。好きと言われることはあった。でもなぜだろう、天喰の好きはそれと何かが違う気がする。上手く言えないけれど、天喰の「好きな人」という言葉は色んなものがぎゅっとつまっているような気がした。


『俺が優柔不断で、満足に愛情表現もできないから……君を不安にさせてしまっているのは分かってる。俺も、それは本意じゃない……君のことがすっ……好きだって! ちゃんと表せるように頑張るから……もう少しだけ、待っててくれませんかっ』

まるで告白だと思った。確かにわかりやすい愛情表現なんて天喰はできない。未だにキス一つするのだって瑠璃が不意打ちでするくらいで、それでも茹蛸のように真っ赤になってしまう。「キスしましょ?」と誘ってもそれだけで刺激が強すぎるのか、はたまた失敗するビジョンでも浮かんでいるのか、酷い時は失神してしまうのだ。
本当に道のりは長そうだった。でも、天喰に「好き」は……嫌ではなかった。


「しょうがないから待っててあげる。でもあんまり遅いと知らないから。頑張ってよね、王子様」
『うっ、俺が王子になれるとは思わないけど……努力します……』

何とも締まらないこと。けれど努力をするというからにはそうするのだろう。
だから瑠璃もここは寛大になることにした。


「……まぁ、及第点よ。それじゃ楽しみにしてるから。またね」
『あっ、うん……俺も、楽しみに……してる……また』

この旅行がきっかけになればいいと思う。瑠璃の望む恋人らしい関係になるためにも。
うるっとしたネイルが指先で輝いている。軽井沢に浮かぶ湖畔もこれと同じくらい美しいものだろう。


 


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