「環くんったら、まだ緊張してるの?」

呆れた様子で瑠璃が少し後ろを歩く天喰を振り返る。それに天喰は情けない顔を返すだけであった。
軽井沢についてホテルに荷物を預けて観光スポットにもなっている池の散策に入っても、天喰はガチガチに固まっていた。
既に瑠璃を迎えに来た時からそうで、天喰は瑠璃の母に挨拶をしなければと頭がいっぱいでそんな調子だったのだが、母は朝早くに出掛けて不在だった。それでも泊まりというのが大分天喰のライフを削ったようで、ずっとこんな調子だったのだった。


「いや、だって……分かってたけど、同じ部屋だなんて……俺は君のお母様に顔向けができない……」
「そのママが予約してくれたんだけどね」
「うっ……これは信頼されているのか、それともそんな度胸はないと思われているのか……どちらにしろ死にたいっ……」
「どっちもはずれよ」

隙あらばネガティブモードに突入する天喰に瑠璃は複雑な表情を浮かべた。
母は別にそうなってもいいと思っている。自分もずっと恋愛に生きている人だから瑠璃がそうあることを推奨する人なのだ。親としてはあまり立派な人ではないかもしれないけれど、瑠璃は大分満足していた。
天喰の好きに何かを感じた瑠璃だったが、それは錯覚だっただろうかと考える。
けれど、それもこの旅行でわかるだろう。瑠璃は軽やかな足取りで一歩を踏み出すと天喰に手を差し出した。


「ほら、淑女レディの手をお留守にするのは紳士のすることじゃないわよ」
「あ、うん……ごめん。えっと……お手を……どうぞ……?」

おずおずと差し出された天喰の手に瑠璃は少し驚いた。お手をどうぞなんて言えたのねと。瑠璃はそこまではまだ教えてなかったのに。天喰は一向に重ねられない瑠璃の手に何か間違ったのだろうかと思考をマイナスにした。


「お、俺……何か、間違え……ましたか……」
「え……いいえ。ちゃんとできていたから、驚いたの。知ってたの?」

落ち込んだ様子の天喰に瑠璃もはっと我に返ってその手を重ねた。
天喰は間違えていなかったことに深く安堵し「よかった……」と息を吐いた。本当に緊張していたらしい。
瑠璃の疑問に天喰は照れくさそうに答える。


「……調べたんだ。瑠璃ちゃんが求める愛情表現について。日本人のそれより、たぶん外国の方が近い気がして……そっちの文化について、ちょっと……」
「……そう」

天喰の言うとおりだった。瑠璃の愛情表現はどちらかというと外国寄りだ。愛を囁いて、その手で、唇で感じるものだと思っている。外国の愛情表現と比べると、確かに日本人は恥ずかしがりやだろう。瑠璃に少しでも合わせられるように調べたのだと思うと、少し擽ったいものを感じた。


「まだその……直接的なやつは踏み込めてないんだけど……少しずつでも、君に愛想をつかされないように努力するよ……」

触れた指先から天喰の緊張が伝わってきた。手を握るだけでこんなに緊張するなら、確かにキスなんてずっと先ねと笑いが込み上げてきた。けれどその笑いはそんなに嫌なものではなかった。


「待ってるわ。でもあんまり待たせないでね。私、退屈だけは嫌なの」
「……うん、なるべく飽きないように……考える」

神妙な顔をする天喰に瑠璃はそれはいらない心配かもと思う。
天喰と一緒にいて、飽きたことは今のところないから。人への興味なんて移ろうもののはずなのに、瑠璃は天喰のシャイさに呆れはしても、飽きたことはなかった。
これは素晴らしい恋になるだろうか。そうだといいと思う。蝶が花を食むように、花を転々とするものだとしても。一つの花に留まり続けるのも、それはそれで素敵な物語になると思うから。

天喰が口をもごつかせながら、意を決したように口を開く。


「その……爪、綺麗だね」
「え」
「瑠璃ちゃんによく似合ってると思う」

はにかみながらそんなことを言うものだから瑠璃は驚いた。天喰がそういうことに言及したのもそうだし、綺麗とか、似合ってると言ったのも。むず痒い何かを感じながら瑠璃は「あ、ありがとう」と口にする。
瑠璃にとっては亀の歩みに見えるけれど、天喰が自分のために歩み寄ろうとしてくれてるのは素直に嬉しかった。








そうして軽い散策を終えると今度は豊かな自然の中で、レストランと美術館を楽しめる複合レジャー施設に向かった。
瑠璃たちはその中にあるカフェに入ることにして、そこにあるメニュー表とにらめっこする瑠璃に天喰が声をかけた。


「何と迷ってるの?」
「スコーンとコーヒーとキャラメルのロールケーキとカシスのシフォンケーキ」
「3つか……じゃあ、全部頼んだらいいよ。残ったの俺食べるから」
「……いいの? 環くんは? 何か食べたいのはなかったの?」
「俺はなんで――いや、このほうじ茶ロールを頼もうかな。大丈夫、全部食べれるから」
「そう……じゃあ、そうするわ」

にっこりと笑って「ありがとう」と瑠璃が喜んでくれたので天喰はほっと胸を撫でおろした。
何でもはダメなのだ。優柔不断な男という印象を受けてしまうし、瑠璃もそれでは気兼ねなく頼めないだろう。咄嗟の判断で目に付いたほうじ茶ロールを頼んだのは意外とよかったと思う。普通に美味しそうだし。
注文して待っている間、瑠璃たちは会話を楽しむことにした。


「ここは夏でも過ごしやすいわね」
「そうだね。それに景色も綺麗だ。さっき歩いた池の周り、秋になったら紅葉が綺麗だろうね」
「見に来たいけど、さすがに秋は難しいかしら?」
「三連休を使えば行こうと思えば行けるんじゃないかな?」
「じゃあ、その連休に予定を入れてはだめよ」

言外にまた一緒に来ましょうとお誘いしている瑠璃に天喰は驚いた。秋になっても瑠璃は一緒にいてくれるらしい。それが嬉しくて、ちょっと気恥ずかしくて、天喰は「う、うん……」と顔を赤くして頷くのだった。


「冬景色もまた美しいでしょうけれど、冬は逆に寒すぎるのよね」
「そのときは……温かい格好をして、温かいものを飲みながら景色を眺めるのもいいんじゃないかな……」
「……それもそうね。それじゃ環くん、その頃には私を温められるように頑張ってね」
「え、温めっ!? そ、それはえっと、あの……っ」

何を想像したのか、茹蛸のように真っ赤になって慌てふためく天喰に瑠璃は小首を傾げる。
そんなに自分は変なことを言っただろうかと思いつつ口を開いた。


「寒い湖畔でも抱擁一つで寒さも素敵に感じられるでしょう?」
「ああ……なるほど……そっか、そうだよね……あはは」

乾いた笑いを浮かべる天喰に瑠璃はますます不思議そうな顔をした。反対に天喰は俺はなんて邪なんだっ、と自責の念にかられていた。そんな天喰の懺悔をよそに、注文していたスイーツが届く。
見た目も可愛いそれに瑠璃が「素敵ね」と笑った。それによく考えもせず「ああ、素敵だ」と天喰は返した。素敵だ、俺の瞳に映る君はいつも、素敵だ。なんて思っているなんて、瑠璃は知らなかったけれど。


 


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