ディナーの前に瑠璃はホテル内にあるスパでリラックスタイムを楽しむということで、天喰はその間同じくホテル内にあるジムでトレーニングすることにした。旅行中でもトレーニングに走る天喰に「さすがヒーロー科ね」とやや呆れた目を向けた。せっかく汗を流したのにまた汗をかくというのが瑠璃には理解しがたいことだった。


(まさかこのスパも予約してくれてるとはね……しかも一番いいやつ。さすがママ、いいお友だちだわ)

150分にも及ぶ全身とフェイシャルマッサージを受ける瑠璃は母に深く感謝した。すでに目ぼしいイベントや食事について最上級のものを取っている上で、こういう細かなところまで配慮してくれるとは思わなかった。どんな顔なのか、年齢はいくつなのか知らないが、少しくらいサービスしてもいいかもしれないと思うレベルだった。
瑠璃はぽちぽちとスマホを操作すると、まだ既読のつかない母とのトーク画面に「私、この人がパパでもいいかもしれないわ」と送るのだった。









「これって……キャビア……!?」
「そーよ。再現≠オたら環くんサメになれるわね」

瑠璃が施術を終える頃に天喰はトレーニングを終えて、再び汗を流して瑠璃を迎えに来てくれた。
そうして一緒に予約していたレストランのフレンチに舌鼓を打っていると、天喰がついに出てきたキャビアに驚愕するのだった。あまりに高級すぎる。


「……俺、今全部再現したら本当にキメラになるな……」
「いいじゃない。環くんは何にでもなれるわね」
「何でもは無理だ……食べれるものじゃないと……」
「逆に食べれさえすればいいんでしょう。便利な個性ね」

そう言って瑠璃が目の前にある海老とキャビアに視線を移すと「海だって浮き輪いらずね」と笑うのだった。後でプールで再現させて乗ってみようとかと思った。きっとそこらのウォータースライダーより楽しいだろうから。
天喰は微妙な顔をすると、まるで蝶々のように盛り付けられたエディブルフラワーを見て呟いた。


「俺は瑠璃ちゃんの個性も綺麗だと思うよ。綺麗な瑠璃ちゃんと綺麗な蝶々は……いつまででも見ていたくなるから」

天喰が大真面目にそんなことを言うものだから、瑠璃はまた変なところで正直な人だと思った。薄々勘づいてはいたけど、天喰はどうやら蝶々が好きらしい。自分に惚れ込むのも瑠璃は分かった気がした。
瑠璃はこくりと飲み物で喉を潤すと「そう」とだけ口にした。何だか美術館で気に入ったあの絵を思い出した。言葉などなくとも伝わる愛。エディブルフラワーの蝶々を見る天喰の目は……愛しさに溢れていた。















「瑠璃ちゃん……本当にやるの?」
「ええ。ちょうど人もいないし。やるなら今でしょう?」

食事が終わったところで天喰は瑠璃にプールに連行された。一度部屋に戻って水着を持ってくるように言うものだから、また一緒に入る気なのかと慌てたが、今回は普通にプールだった。
ホテルに備え付けられたプールは夜の22時まで開いていて、けれどサマーキャンドルナイト――瑠璃たちは明日行くことになっている――や温泉、蛍が見られる散策に足を運ぶ者の方が多いようで、プールはほぼ貸し切り状態だった。

瑠璃はキャビアも海老も食べたところなので、再現する絶好のチャンスだと思い、天喰を乗り物替わりにする気漫々であった。それに天喰は微妙な顔をする。


「やめた方がいいと思うんだけど……」
「あら、どうして? ここ個性の使用はOKよ」
「そういう問題じゃなくて……危ないというか、その……」
「歯切れが悪いわね。ちゃんと言ってちょうだい」

口をもごつかせる天喰の頬をぷすっと指で突き刺した。「う……」と気の抜けた声を出す天喰だったが、瑠璃がはっきりしない態度を嫌うことが分かっていたので、若干恥ずかしそうにしながらその、と口を開いた。


「みっ……」
「み?」
「……密着に俺が耐えられそうにないです……」

死にそうな声で顔を覆った天喰に瑠璃は今度こそ呆れた目を向けた。相変わらずシャイなこと。瑠璃はそんな天喰に構わず「えいっ」とその背に乗った。天喰は当然慌てたが瑠璃を落とすようなことはしなかった。どんなに許容限界を迎えようが唐突であろうが瑠璃を守る意識だけはご立派であった。


「瑠璃ちゃっ……!? な、何を……!?」
「ごたごた煩いのよ。やってみれば案外大丈夫だったりするものでしょ、こういうのは」
「ちっとも大丈夫じゃないんけど……!? うわ……ごめ、動かないで瑠璃ちゃん……!」

何やらブツブツ素数を数えだした天喰に瑠璃は内心で私動いてないんだけど、と思う。完全にパニックになっている。茹蛸のように真っ赤になるのは今に始まったことではないけれど、今回のそれは首や特徴的な尖った耳の先まで真っ赤になっていて何だか面白かった。


(あら……? そういえば思ったより……筋肉ついてるわね)

水着姿はもう見たし、一緒に浴槽にだって入ったけれどそういえばまじまじと見たりはしなかったなと思う。細そうな見た目の割に背筋がしっかりついていた。瑠璃は思わずその筋をすーっと指先でなぞると、天喰が「うゃわっ!?」と変な声を上げて身体を跳ねさせた。


「瑠璃ちゃ……なななな何を……!?」
「気になってつい」
「(つい!?)心臓に悪いよ……瑠璃ちゃんやめよう。俺はこの通り使い物にならない……役立たずなスクーターだ……泳げないサメはサメに非ずなんだ……」

すっかり消沈した様子の天喰に瑠璃はうんざりした顔をした。隙あらばネガティブモードに突入してしまう。れっきとした恋人のはずなのだが、天喰のノミの心臓ではやはりおいそれと接触はできないらしい。
つまんないの、と足を水中でパタパタさせていると天喰がついに限界を迎えた。


「瑠璃ちゃん……」
「なぁに?」

天喰の方を見もしないで、波打つ水中に目を向けていた瑠璃は天喰がどんな表情をしていたのか気づかなかった。
ゆらりと天喰が瑠璃を振り返る。どこかいつもと雰囲気が違う天喰に瑠璃も異変を感じた。天喰は瑠璃の手を取るとその細い指先に浮かぶ蝶に口付けを落とした。その目に愛おしさとは別の獲物を見るような鋭いものを感じて瑠璃はわずかに息を呑んだ。


「言っただろ。男はみんな狼なんだって」

するすると指先を撫でられて、絡めとられていく。それがなんだか蜘蛛の巣を彷彿させた。
天喰の顔をまともに見れない。顔を背ける瑠璃に天喰の空気がふっと緩んだ気がした。


「なんてね。あんまり油断しちゃダメだよ。君は本当に魅力的な人だから……これでも俺は必死なんだ……」
「……」
「まぁ、そんな度胸もないんだけどね……」

瑠璃の沈黙をどう受け取ったのか、天喰はまた瑠璃のよく知る情けない天喰に戻った。それに何だか少しだけほっとする。恋人らしいことがしたい、情熱的な愛情表現がいいと言うのに今回のこれは何故か落ち着かなかった。
瑠璃は天喰からふんっと顔を背けて高飛車に言い放つ。


「環くんのくせに、生意気」
「うっ……仰る通りです……」

天喰の背から退くとそのままプールを満喫……したりはせずに「温泉行ってくるわ」と言って瑠璃はホテルの温泉に向かうことにした。天喰が何か言ってる気がしたけど無視した。
だって、どんな顔で一緒にいればいいのか分からなかったんだもの。


 


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