拝啓、愛する君へ

雪音は相変わらずインターン活動と学業を両立させていた。家事能力に関してはからっきしであるが、それ以外は概ね優秀だった。
今日も今日とて、インターン先のエンデヴァー事務所の食堂で冷たいそうめんをツルっと食べていた。もはやそれしか食べてないのでは、といった様子で、見かねたエンデヴァーが食堂の全メニューにそうめんをセットでつけれるようにしたくらいだったが、雪音は冷たいそうめんだけを大盛りで食べているだけだった。偏食が過ぎる。


「今日はマヨネーズがお供?」
「……バーニン。ええ、鰹出汁にとても合うの」
「見た目は結構アレだけどね……あんたそれ、うちはもういいけど……外でやっちゃダメだよ。びっくりするから」
「? そう?」
「そう! 入れるならせめて柚子胡椒とかにしな」
「わかった」

マヨネーズが浮かんだつゆにそうめんをつけてツルっと流し込む雪音に、バーニンは若干呆れた顔をした。然程周りに関心がない、というか……自分がどう見られているか頓着がないのだ。
この間は寝坊しかけたのか、髪がぴょんっと跳ねていた。教えてやったら手櫛ですぐ直ったので、随分羨ましい髪だね、と思ったのは記憶に新しい。知れば知るほど、なんか思ってたのと違うなぁ、という感想が出てくるのが雪音であった。

――ちなみに、雪音の壊滅的な家事能力について、エンデヴァー事務所では知らない者はいない。1年生の頃の職場体験の日から、エンデヴァーより家電を扱うときはサイドキックや事務の手が空いた者たちが助けるように通達されていた。その時は随分義姪に過保護だなと思っていたものだが、ちょっとくらい、レンジくらいは大丈夫だろうとやらせれば変な音がし出し、煙が出てきて、雪音は火事や爆発が起きると思ったのか、氷漬けにして壊してしまった。以後なぜエンデヴァーがあのように通達したのかを察し、誰も雪音に家電を任せることはなくなったのだった。


「……バーニン」
「ん?」
「温泉卵……作ってほしい」
「オッケー。バーニンさんにまっかせなさい!」

そうめんと一緒についていた卵をバーニンに渡す。バーニンはもう慣れたように個性で熱を加えて作ってくれた。トントン、と殻を割って器に盛る。出てきたのはそれはそれは見事な温泉卵だった。


「ありがとう」
「これくらいお安い御用だって」
「バーニンが作る温泉卵が一番美味しいの」
「アハハ! エンデヴァーは前燃えカスにしたんだっけ? あんたあんま表情変わんないけど、あの時は私でもわかるくらい落ち込んでたよね」
「温泉卵は……美味しい」

こくりと頷く雪音にバーニンは更に笑った。普段から表情が乏しく、雪に音がついたかのような儚げな声で、大人しい気質であるから何を考えているのか読み取りにくい雪音であったが、そうめんと温泉卵を前にした雪音は分かりやすいとバーニンは思っている。
バーニンが作った温泉卵を見る雪音は心なしかご機嫌であるし、エンデヴァーに頼んだ時は、エンデヴァーが滅多にない義姪の頼みに張り切りすぎて燃えカスにしてしまい、しゅんと沈んでいたように見えた。その後卵を調達してバーニンが作ってやると、ご機嫌になった雪音を見たエンデヴァーが密かに傷つき、こっそり裏で温泉卵を作る練習をしているのは炎のサイドキッカーズの公然の秘密だったりする。


「でも一番は?」
「そうめん」
「やっぱあんたはそうだよね!」

迷いなく一番好きなものを即答する雪音に笑う。
温泉卵なんて作ろうと思えば個性を頼らずとも作れるものだが、雪音は何故か個性にこだわっている。唯一雪音が作れる冷やしそうめんも、冷やすときは必ず個性を使っていて……その氷が毎度芸術を生み出すものだから、雪音にとっては何か意味があるのだろうと思う。多分聞いたら答えてくれるだろうけれど、出来れば雪音から聞きたいと思うのは……バーニンが雪音にもっと頼られたいからかもしれない。









その日はなんだか早く目が覚めた。雪音は低血圧であまり朝が得意な方ではないのだけれど、その日は何故かすっきり目覚めてしまい、眠気ももうやってこなかったので、せっかくだからと広大な雄英内をランニングすることにした。
着替えて軽くストレッチをして、走っていると前方に見知った姿を見た。


「あら。焦凍くん」
「え……雪音さん?」
「おはよう、早いのね」
「雪音さんこそ。朝、苦手だったんじゃ……」
「ええ、でも今日は何故か早く目が覚めてしまって……変よね」

目は覚めているようだが、雪音は相変わらず感情の起伏を感じられない声で、不思議そうにしていた。
雪音が朝が苦手なのは昔からのことで、一緒に5年間暮らしていた轟はそれをよく知っていた。物静かな人だけれど、朝はとくに顕著で、ぼんやりしていることが多かった。その雪音が早朝にロードワークをしているのはちょっと意外だったのだった。


「ランニングよね。私もご一緒してもいいかしら?」
「いいけど……結構走る。雪音さん、大丈夫?」
「ヒーロー活動は体力勝負でもあるもの。大丈夫よ」
「そっか、じゃあちょっと速度上げるな」
「うん」

そう言って走る轟の斜め後ろを走る。雪音はその後ろ姿に大きくなったな、と成長を感じた。雪音の方がずっと大きかったのに、いつの間にか身長も、肩幅も抜かされていた。
きっと、もっとずっと大きくなって、いいヒーローになるのだと思う。雪音の遥か先を行って、沢山の仲間に囲まれて、きっと自分はそれを遠くから眺めているのだ。
雪音はまた、嬉しいのと、胸が苦しくなるのに襲われる。どうしたらいいのかもわからないまま、ひたすらその背中を追うのだった。









ランニングが終盤に差し掛かろうとしたとき、ビッグ3や緑谷たちインターン組の姿が固まっているのが見えた。
今からインターン活動だろうか、と過ぎ去ろうとしたところ、通形に声をかけられ、轟と揃って足を止めた。

「氷叢さん、いいところに!」
「……なに?」
「ちょっと環に氷出してくれない?」
「再現するの?」
「そう!」
「ごめん氷叢さん、お願いできるかな……?」

通形と並び立つように、天喰も申し訳なさそうに雪音に願い出た。
それに雪音は珍しい、と思う。思い付きや悪ノリで雪音の氷を食べる――食べさせられるというのが正しい――ことはあっても、天喰からこのように願い出たことはなかった。

そういえば、と思い返すと、最近の通形は妙に気合が入っていたような気もする。いきなり雪音に自分を氷漬けにしてほしいと頭を下げてきたり、「俺をボッコボコにしてほしいんだよね!」とか言い出して、クラスメイトたちが危機感を感じ、雪音に近づくなとちょっとした騒動が起こった。
詳しいことはよく分からなかったが、激しい戦闘が予測されるのだろう。そういうことなら、と雪音は隣の轟にお願いした。


「焦凍くん、天喰に氷を出してあげて。食べるから」
「え、食べ……?」
「食べたものを再現できる個性なの。あなたの氷の方が役に立つから、よかったら分けてあげて」
「? ……いいけど。これでいいですか?」
「あ、ありがとう。十分だよ」

一瞬で轟は一口サイズの氷を作って、天喰に渡した。
それを微妙な顔で見ていたのは通形だった。天喰も若干困惑している。以前雪音と波動の個性を合わせた時に、雪音が言っていたことは腑に落ちていない。雪音が断言するほどだから、確かに強い個性を持っているのだろうけれど、雪音のすごさを3年間ずっと肌身に感じてきた通形らは、にわかに信じれれなかったのだった。


「詳しくは分からないけど……頑張って」
「……頑張ってくるよ!」
「うん……頑張る」

何だか、大きな作戦が始まる……そんな予感がした。
轟も一緒にいた緑谷たちと話していたが、会話も終わったようなので「行きましょう」と背中を押した。轟の氷があれば大丈夫。雪音は何の根拠もなく、そんなことを思っていた。
だって雪音にとって轟焦凍とは、そういう存在ものだったから。







通形たちが何をしようとしていたのか、それを知ったのは後になってからだった。
死穢八斎會を相手取った大規模な作戦。その戦いはヒーロー側の勝利で終わったものの、犠牲は大きかった。通形のインターン先のヒーロー、サー・ナイトアイが殉職し、通形自体も個性消失弾なるもので、個性を消失したという。それに伴い、休学届こそ出したが……通形はヒーローになることを諦めておらず、むしろナイトアイが残した最後の「おまえは誰より立派なヒーローになっている」という予知を変えないため、自分にできることを一層励んでいた。

雪音は「ちょっと遅れるけど、必ず氷叢さんに追いつくから……だから待っててよ! また、追い越してみせるから!」という通形の宣言に、少し考えて「わかった」とだけ返した。
追いつくどころか……きっと、今も通形は自分の先を行っているだろうという言葉は飲み込んで。

その次の日だった。エンデヴァーが焦凍の補講を見に行くとのことで、雪音も一緒に連れ出したのは。エンデヴァーの感覚では雪音は焦凍の姉で、冷が病院に入ってからはその代わりでもあった。もはや授業参観である。
雪音としても異論はないが、補講先でオールマイトと遭遇し、積もる話もあるだろうからと気を遣ったはいいものの、何故かプレゼント・マイクに実況席まで連れていかれてしまい、わかりにくい表情ながら、内心で困惑していた。


『ヘイ! ビューティフルガール! 今のお気持ちは?』
『……特には』
『クールだねぇ! もっとノってこうぜ!? お宅の従姉弟でしょ彼』
『ええ』
『じゃあ応援して!』
『……頑張って』
『麗しのお姉様からの応援だぜ! こりゃ頑張るっきゃないな!!』

相変わらず雪音は人形のような顔で、儚げな声で短く言葉を発した。言わされている感がすごかったが、それでも焦凍は嬉しかったようで「雪音さんが見てんだから、頑張んねぇとな」とやる気であった。
雪音が近くにいることに、途中から実況に参加した肉倉は少し緊張していた。雪音の活躍はよく知っている、雄英と双璧を成す御校に誇りを持っているくらいだ、正直憧れの君というやつである。内心で流石氷叢殿……素晴らしき佇まい。お麗しい……。とドキバクであった。

焦凍たち四人は問題児とされただけあって、大層癖が強かった。
焦凍以外の男子二人は大層元気があったし――物は言いようである――、女子生徒もゆるっとしたギャルであった。そんな彼らの試練は、子供たちの心を掌握すること。正直、雪音自体もどうやればいいのか分からなかった。
子供たちの心は荒んでいるのか、個性を躊躇いなく焦凍たちに向けた。その威力にプレゼント・マイクが驚いた。


『最近の子ヤベェエエ!! オイオイ……どうなってんの。俺がこんくらいの頃はこんな威力出せやしなかったぜ。身体的にも、法的にも、心理的にもよ』
「……こんな話があります。世代を経るにつれ個性≠ヘ混ざり深化していく。より強力、より複雑化した個性≠ヘやがて誰にもコントロールできなくなってしまうのではないか。個性特異点≠ニ言われる終末論の一つです」

雪音は肉倉の解説にぼんやりと自分の掌と、焦凍を見ていた。濃い、氷叢の血。それが雪音と焦凍の中には流れている。
本家の娘とだけあって、雪音は氷叢の成り立ちをよく知っている、それらを鑑みると、焦凍という存在は奇跡のように感じられた。
彼はどうやってこの試練を乗り越えるだろう、と焦凍を見ていると、それはすぐに起きた。

――夜空にオーロラが浮かぶ、幻想的な空間で……氷の滑り台が出来上がっていた。


「ワオ!」
「こんなことできンのかよぉ」
「何よ何よ何よ、ステキ……」
「複雑な形は形成できねェから、おまえたちの出したモンを骨組みに使わせてもらったよ。立派な個性≠ナ助かった」

自分も自分も、と滑り台に乗らせてくれとせがむ子供たちを、焦凍は順番に乗せていく。子どもたちはもうすっかり笑顔で、先ほどまでの荒んだ表情は、もうどこにもなかった。
雪音の乏しい表情に、僅かな驚きの色を見たプレゼント・マイクが、フッと笑って話しかける。


『どうよ、ビューティフルガール。今のお気持ちは』
「……そうね……何故かしら、言葉にならないわ……」
『それは感動ってやつさ。アイスガールの心の氷にも響いたのかね……』

まるで眩しいものを見るかのように、雪音は焦凍を見つめていた。あれほど憎んでいた左の炎が温かく揺らめいている。あんなにも穏やかな顔で焦凍はもう左を使えるのだ。それを初めて身近で目の当たりにして、雪音はなんだか泣きたくなるような気持ちだった。


 


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