花と散る

爆豪と轟は週末、仮免補講に通う日々が続いていた。
仮免を持った者たちはインターン活動が許される身であったが、諸々の事情を考慮し、インターン受け入れの実績が多い事務所に限り、1年生の実施を許可されることになっていた。そんな中で、伝手などもあり、実際にインターンに参加したのは緑谷・麗日・蛙吹・切島・常闇くらいのメンバーであった。

一時期、妙にインターン組の動きが冴え渡っていた。それと同時に、どこか真剣な、何かを考えているような表情が多くなった。訳を言えよ、と思うもインターンで箝口令が敷かれているらしく、誰も何も話してはくれなかった。
それが何だったのか分かったのは、テレビで死穢八斎會の解体が取り上げられてからだった。インターン組――常闇は不参加だったが――はこの作戦に関わっていたのだった。
帰って来た時、インターン組は割と落ちついていた。むしろすでに先を見据えていて、もっと頑張らなくては、と前に進もうとしていた。

その彼らが帰ってきた翌日だった。その時初めて――爆豪は氷原に咲いた麗しの花と……ようやく邂逅することになる。








エンデヴァーが仮免補講の観覧に来ており、「焦凍ォオオオ!!!」と叫ぶ声につられて見上げると、そこにいるはずのなかった人がいた。大きく目を見開く爆豪の横で、轟も見つけたのか「雪音さん」とどこか嬉しそうな声を出していた。


――なんっっっで、あの人が……!!!


雪音はエンデヴァーのもとでインターンを行っている。そして轟とは従姉弟である。エンデヴァーが轟を見に行くというのならば、雪音がいてもおかしくはなかった。
それは爆豪とて理解しているが、それでも雪音が目の前にいるというのは少々受け入れがたかった。今までは爆豪が一方的に知っているだけだった。すれ違っても気づいているのは爆豪だけで、雪音はそんなこと気にしてもいないだろう。ただの通行人、それだけの認識であったはずだった。

雪音がこちらに向けて小さく手を振った。それを当然のように轟が振り返す。それは間違いなく轟に向けたものだった。
今も変わらねぇ、と爆豪は思う。雪音の目には轟しか映っていない。轟しか見ていないのだ。それが何だか無性に腹が立った。見たくないと思うのに、いざ目の前で眼中にないのが分かるとムカついてしょうがない。何もかも捨てようとした感情なのに、いつまで経っても雪音は爆豪の中から出て行ってはくれなかった。
消えていく、心のもっと奥底に、溶けて消えて、混ざって、どんどん自分の一部になっていくのがたまらなく嫌だった。

氷の滑り台を作った時、一瞬、雪音が泣きそうな顔をしているのが目に入った。
驚いてもう一度見ると、泣いてはいなかった。ただ相変わらず人形のような顔で、乏しい表情に眩しいものを見るかのような目で轟を見ているだけだった。
見間違いかと爆豪は思う。けれど、妙に先ほどの顔が頭から離れなかった。あの人が泣いていた、それは確信にも似た何かだった。


「おい、舐めプ」
「なんだ?」
「ねーちゃん、こっち見てんぞ」
「お」

爆豪が雪音の方を親指を立てて指さすと、轟が嬉しそうに雪音に手を振った。雪音も小さく手を振り返し、口がぱくぱくと動いていた。多分「頑張ったね」とか「お疲れ様」といった類の労いの言葉だろうと予測された。
爆豪は二人の関係が従姉弟であることしか知らない。けれど、その二人の間にはただの従姉弟では収まらない何かがあるのは分かっていた。
雪音はずっと轟を見ている。雪音の人形のような顔に、人らしい何かが生まれるのは……いつだって轟が関わっていた。


――この、クソイトコンが。


心中で悪態を吐いても、俺を見ろ、とはもう言えなかった。
爆豪にとっての憧れ氷叢雪音は、あの体育祭で死んでしまったから。








帰る時に、オールマイトや肉倉、エンデヴァーらが一堂に会していた。その中には雪音の姿もあり、会話の邪魔にならないようにか、半歩下がった場所で佇んでいた。
連合が雄英以外の学校に手をかけたという事実も含め、今後士傑と雄英で連携を取り、合同実習も検討するとのことだった。エンデヴァーが轟に話しかけたところで、どこか物憂げな表情でそれを見守っていた雪音に……爆豪は初めて声をかけた。


「なぁ、なんであんた――ビッグ3から落ちとんだ」

初めての会話にしてはパンチが効いていた。肉倉がまたもや煩く「先輩に対してその口の利き方はなんだ!」と抗議するが知ったことではない。
言われた本人の雪音は、瞬きを一つして至極冷静に、端的に、雪のような音を奏でた。


「……私より彼らの方が才能があった、それだけのこと」

それ以上でも以下でもない、これこそがたった一つの事実だとでも言いたげな雪音に、爆豪はかっとなるのを感じる。やり場のない感情をどうにかしたくて、痛いほどに拳を握りしめた。
何かを絞り出すような声で、爆豪は問う。


「本気で言っとンか」

才能、その一言で雪音は片づけてしまった。才能だというのなら、それは、それこそあんただろうと爆豪は思わずにはいられなかった。天性のセンス、それを爆豪とて生まれ持った。だからこそわかる、雪音のそれは自分と同種のものだったと。
だから自分は氷叢雪音に惹かれ、こう在りたい、そのつまらない世界をぶち壊したいと思ったのだ。けれど雪音はそれを真っ向から否定する。自分は凡人とでも言いたげな顔で。


「ええ。秘めた才能がインターンで開花するのは珍しいことじゃない。きっと、あなたたちもすぐに私を追い越していく」

他の誰でもない、雪音自身が爆豪の中の憧れの欠片を粉々に砕いていく。まるで氷を割るように、パキッ、パキッ……と音を立てて、砕かれていく。
嫌でも理解してしまう。本当に雪音は、爆豪の憧れは……自分の限界を定めて、上に行くことをはなっから諦めて、その結果に満足してしまう人なのだと。


――あんたはこんなもんじゃねぇだろうが!!


今にも怒鳴りたい衝動を必死で抑える。爪が掌に食い込んで、痛みを感じた。けれどそれ以上に、胸の奥が……雪が解けて凍み込んだ胸が痛んだ。
爆豪は短く息を吐いて、密かに気になっていたことを聞くことにした。


「なんであんた……ヒーローになろうと思ったんだよ」

雪音を知れば知るほど、ヒーロー志望とは程遠かった。
闘争心もなく、人助けに強いこだわりがあるわけでもなく、名誉にも興味がない。それでどうしてヒーローになろうと思ったのか、それが疑問だった。いや、爆豪の中にはすでにこれだろうと思うものはあった。雪音はずっとそいつばかりを見ていたから。
雪音は爆豪の問いにわずかに目を伏せると、どこか悲しそうに小首を傾げた。


「……さぁ、何ででしょうね」

答えてはくれなかったけれど、爆豪にはもうそれだけで伝わった。残酷な女だと思う。惚けるのならば、答えたくないのなら、そんな顔すんじゃねぇと思う。
雪音の人形のような顔に変化を与えられるのは……いつだって、たった一人だけだった。
それが誰かなんて、初めて液晶を取っ払って、出会ったあの日から――爆豪は、思い知らされる日々でしかなかった。


「……あんたがそんなんじゃ、すぐ追い越すだろうよ。――俺は止まんねェぞ」
「? そう」

爆豪がなぜこんなことを言うのかだって、雪音には全く分からなかっただろう。
嫌いだ、と爆豪は思う。やれるくせに、まだまだ上にいけるくせに、諦めてるあんだが嫌いだ。
舐めプ野郎ばっか見て、を見ないあんたが嫌いだ。
俺の中から出て行かないくせに、どんどん凍み渡ってくるあんたが嫌いだ。
俺以外に負けることを許容するあんたが――大嫌いだ。










こうして爆豪と雪音の邂逅は終わる。
何一つ、思い描いた通りにはいかなかった。入学する前、雪音を知った二年前から、ずっと温めてきたものも。初めて会ったときなんて声をかけようかと、想像し、珍しく迷って長いこと考えていたことも。あの日に全てが露と消えた。

あの日に抱いた憧れが、オールマイトとは違ったものだったのも、未だに残る欠片が何なのかも、爆豪は分かっている。けれどそんなものはもう認められるはずもない。爆豪が淡いそれを抱いたのは、今ここにいる雪音ではなく、画面越しに見た氷叢雪音なのだ。


「雪音さん」

そう部屋で大事なものを口に出すように、繰り返しベッドの上で呟いたそれだって。
その感情を向けるのは目の前の雪音ではない。そうであっていいはずがない。

でも、もし雪音が爆豪の思う雪音のままであったなら、きっと――。


「なぁ、先輩。俺、あんたのこと――」

その感情を、今も大事に出来ただろう。


――あんたのつまらない世界を変えたかった。一番傍で、他でもない自分が。それもやっぱり、今となってはどうでもいい。


花が……散っている。花びらがひらひらと舞っている。それはなんだか、涙にも似ていて。その花はどこかで見たような気がした。…ああ、そうだと思い出す。花屋で見た、確かあれは竜胆だ。淡い紫のそれに何故か惹かれた。あの人みたいだと思った、中学生の頃の記憶。

――今は遠い……青い、記憶。


 


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