拝啓、あの頃の君へ

死穢八斎會での一件で、連合が関わっていたことからインターンは自粛という形になり、雪音もエンデヴァー事務所でのインターンを休止することになった。
活動が再開次第続けることになっているが、どちらにしろ卒業後はエンデヴァー事務所に入ることが決まっている。約束された再会に、バーニンがからかうように「温泉卵はしばらくお預けだね」と笑った。陰で温泉卵作りを練習していたエンデヴァーは結局、披露することが叶わずどこか残念そうな顔をしていた。


「また来ます」
「ああ、また。元気でな」

短くエンデヴァーと雪音が別れの挨拶をすると、バーニンが雄英まで送ってくれた。その途中、しばらくインターンがなくなるなら、買い物が大変だろうとスーパーに寄ってくれた。
相変わらずそうめんを大量に買っていく雪音に「これも食べな」と冷凍食品や日持ちのする食品を次々入れていく。卵のパックを前に一瞬立ち止まった雪音を見て、仕方ないなとバーニンが卵のパックをカゴに入れるのだった。
買い物が終わると、バーニンは卵を取り出してそれらをすべて温泉卵に変えてくれた。


「バーニン」
「食べ納めってやつ? あんたは意外とこだわりが強いから、レンジとかで作るやつはいまいちでしょ。大事に食べな! バーニンさんからのお土産!」
「……ありがとう」

温泉卵はバーニンが作ったものが一番美味しい。開いたパックから卵が飛び出ないように、氷で覆って保護した。たったそれだけの目的なのに、雪音が生み出す氷は芸術というほど美しくて「本当にあんたの氷は綺麗だね」とバーニンは笑うのだった。
この氷もしばらくは見納めである。雪音との付き合いは雪音が1年のときに職場体験に来てからだが、2年で仮免を取ると、それからずっと一緒にいたものだから何だか寂しくなるな、とバーニンは思うのだった。








バーニンが作ってくれた温泉卵もすっかりなくなってしまい、長期保存できる冷凍食品で日々を過ごしていた頃、今年も文化祭の時期がやってきた。
雪音は今年も例年通りミスコンに出ることになる。始まりはミスコンの案内がされた途端、通形が「氷叢さん出なよ!! 絶対出るべきだって!!」と猛プッシュし、若干勢いに押されつつも、頷いたのが始まりだった。
その年の文化祭は体育祭でのインパクトもあり、雪音が優勝するといった快挙を成したが、次の年は豪華絢爛なサポートアイテムで無双した絢爛崎に敗れた。今年は最後ということもあって、波動も気合が入っていた。


「氷叢さん、衣装なんだけど……思い切ってこういう感じにするのはどう?」
「……コスチュームと似てるわね」
「うん。何度も考えたんだけど……氷叢さんの良さを一番発揮してるのは、これだと思うんだ」
「私の良さ……?」

自分の良さが何なのか、雪音は理解していなかった。不思議そうに小首を傾げる雪音に、ミスコンの準備を手伝ってくれていたクラスメイトらは苦笑した。
寮生活になって、雪音と過ごす機会が増え、通形を挟んで交流していくうちに雪音の人となりにようやく触れた気がした。繊細な氷を生み出すわりに、個性以外は割と大雑把で、どちらかと言えば神経質そうなイメージだが、実際はかなり大らかな性格をしている。物静かで、あまり口数は多くないけれど……その一言には割とたくさんの意味が込められている。クールそうに見えるが、天然な面が目立つとか。


「氷叢さんが作る氷は……何だか、氷叢さんって感じなんだよね」
「そうそう。綺麗で、繊細で……でも意外となかなか溶けない」

雪音はやはり不思議そうに掌を見つめた。個性を軽く発動させて、氷を生み出す。何も考えずともそれはもう美しい花を象っていた。それはクセだった。もうずっと、子どもの頃から沁みついている。


「氷ってさ、冷たいイメージが先行するけど、そこには綺麗とか、楽しいとか、そういったものもあるんだよね」
「氷原に咲いた麗しの花ってね。氷叢さんは……やっぱり氷のステージが一番映えるよ。だから、それが似合う衣装が良いと思う!」

楽しい、という単語にエンデヴァーと共に見た、轟が作った滑り台を思い出した。子どもたちの心を掴んだ、素敵な個性。
雪音は一つ頷いて、彼らが提案する衣装を着ることにした。


――氷原……ね。


頭に描くのは薄氷の記憶だった。轟は冷と文通をしているし、冷も回復へ向かっているそうだ。エンデヴァーも少しずつ変わろうとしている。あの日の薄氷に取り残されているのは、きっと雪音だけだった。
だからあんなにも胸が苦しくなったのだろうか。進めていないのは自分なのに。待ってとも、置いて行かないでとも、雪音は言いたくなかった。なら、どうしたらいいだろうと考える。
立ち止まっているのは自分で、轟たちは止まらなかっただけ。そう、止まらなかった――そこでふと、思い出す。


「……あんたがそんなんじゃ、すぐ追い越すだろうよ。――俺は止まんねェぞ」

補講見学の時に話しかけてきた、轟のクラスメイト。好戦的で、視線がギラついていて、この子は強くなると思ったのだけは覚えている。
止まらないと彼も言った。止まっているのは自分。答えは出ていたけれど、やはり雪音はどうしていいのかわからないままだった。








ミスコンの演出などを詰めていると、休学中の通形が、天喰と小さい女の子と緑谷を連れたってやってきた。
天喰は波動のミスコンを手伝っていたはずで、他のメンツの組み合わせにも疑問が湧いた。


「やぁ氷叢さん、ちょっと見ない間にまた綺麗になったね!」
「? 特に変わってないわ」
「えー、そうかな? 緑谷くんはどう思う?」
「え!? いやそのえっと、普段からおおおお綺麗ですが……ドレス姿も相まって今日は特にかかか輝いてらして! えっと、はい! お綺麗です……!!」
「……ありがとう」

緑谷とは病院の一件からたまに話したり、轟たちも含めて一緒に昼を食べたりすることもあるくらいなので、雪音を前にしても初対面のようにきょどることはなかったのだが、今回雪音はドレスを試着していたし、ドレスとだけあって露出が多いものだったので、初対面の時のように爆発してしまったのだった。
天喰が密かに緑谷に対し、同情していた。わかるよ緑谷くん、といった感じであった。


「それで……その子は?」
「エリちゃんだよ。ほら、休学前に話した子!」
「……ああ、この子がそうなのね」
「えっと……こ、こんにちは」

知らない女の人――それも人形のような顔をしている上に、感情が読みにくい――に突然注目されて、エリちゃんは少し緊張してしまった。雪音はそれに少し考えて、記憶を頼りにエリちゃんの方に歩み出て、しゃがんで目線を合わせた。


「こんにちは。私は通形のクラスメイトの氷叢雪音。好きに呼んでちょうだい」
「雪音……さん」
「ええ、よろしく。これよかったら、お近づきの印にどうぞ」
「……わ、冷たい……お花……?」
「氷でできてるからいずれは溶けてしまうけど」

差し出された一輪の氷の花を、エリちゃんはおそるおそる受け取る。冷たい花に不思議そうにして「きれい……ありがとうございます」とお礼を言った。「どういたしまして」と短く返した雪音に、優しい人なのかもしれないとエリちゃんは思うのだった。


「それじゃ、氷叢さんの顔も見れたし、俺らは行くよ。またね!」
「ええ、また」
「失礼します! ミスコン頑張ってください……!」
「ええ」

エリちゃんも小さく会釈をして二人と一緒に出て行く。けれど天喰はその場に残ったままだったため、一緒に行かなくていいのかと問うと、天喰は雪音に話したいことがあるのだと言った。


「私に……何か用?」
「うん……あの、前に氷叢さんが言ってたことが気になって……」
「私が言ってたこと……?」
「……氷叢さんの全部が……轟くんの半分にも満たないってやつ……なんだけど」
「……それがどうしたの?」
「それ……違うんじゃないかなって、思って……ちょっと、聞いてほしい……」

天喰のいつになく真剣な目が雪音を射抜いていた。
雪音は何を言い出すんだろう、と思いつつ、とりあえず聞くことにした。こんな天喰は本当に珍しいから。天喰にとっては大事なことらしいと理解はできた。


「轟くんの氷は……確かにすごかった。最初から大規模な氷結が再現できたから」
「でしょうね」
「でも……この氷を使えば使うほど、身体機能が落ちて行った……」
「……え」
「轟くんの氷は、もう一つの個性……炎を使うことでバランスを保つことができるんだと思う。半分だけを使い続けるには……向いてない個性だった」

雪音はそれに心当たりがあった。心当たりというか、それこそがエンデヴァーが個性婚を望んだ理由で、焦凍が最高傑作と称される所以であった。炎を使い続ければ身体に熱が籠る。氷だけを使い続ければ体温が下がる。それを補う半分ずつの個性。


「氷叢さんの氷は……使えば使うほど、冴え渡っていくんだ……一撃目より二撃目、戦いが長引けば長引く程……氷叢さんは脅威になる」
「……なにを」
「氷叢さんはその個性に適した身体を持ってる……だから、氷叢さんの全部が、轟くんの半分にも満たないってことは……絶対、ないと思う」

それは、ずっと雪音の背中を追ってきたからこそ言える言葉だった。そして今年の体育祭で天喰は雪音とサシで勝負している。その氷結の脅威を身を持って知っていた。
天喰は伝えなくちゃと思っていた。遥か遠くを歩んでいた人、並び立つ人間がいなかった人。雪音の心の奥に触れたのが、こんなに後になってからだった。自分の全部が半分にも満たない、だなんて悲しいことを言ってほしくなくて、そんなことないと証明したくて、必死だった。


「だから……氷叢さんには氷叢さんだけの強みが――」
「やめて」
「え……」

雪音の顔は俯いていて分からなかったけれど、心なしか声が震えていた気がして、天喰は固まってしまった。
雪音の胸の内には嵐のように吹き荒れていた。氷という一点で、轟焦凍に勝るかもしれない、己の個性。それは雪音にとって、可能性の話と言えど受け入れがたいものだった。


「ごめんなさい……少し、頭を冷やすわ」

そう背を向けた雪音から明確な拒絶を感じて、天喰は唇を噛んだ。「ごめん……余計なこと言った……」それだけ言って備品室を後にする。雪音を傷つけた。それだけが……優しく繊細な天喰の中での事実だった。









あれから演出の確認や細かい調整など、真剣に向き合ったつもりだが、雪音はいまいち身が入っていなかった。氷を使う度に、あの時言われた天喰の言葉が頭から離れないのだ。
そんな調子で挑んだミスコンは3位という結果で終わった。優勝は波動で、準優勝は絢爛崎。3年連続で挑んだミスコン成績の中で、一番奮わぬ順位であった。

寮で打ち上げをして、それが終わって部屋に戻っても、雪音は落ち着かなかった。
焦凍のことをずっと考えてしまうのだ。幼かった焦凍が道場で血反吐を吐く姿ばかりが思い浮かぶ。もし、自分が本当に……氷という一点において、焦凍に匹敵する個性をもっているのだとしたら。


「じゃあどうして……あの子だけが苦しまないといけなかったの……」

――私も一緒に、分かち合えたものであったかもしれないのに。

胸が、苦しい。薄氷の記憶は雪音にとって、苦しいもので溢れている。
もっと前から自分の個性を自覚して、焦凍と一緒に頑張ることができていたなら、何か変わっただろうか。少なくとも、焦凍の苦しみを今よりは分かってあげられただろうと思う。
強烈な自己嫌悪と後悔が押し寄せる。氷叢の血。その血がどういったものなのか、自分は分かっていたはずなのに。どうしてその可能性を見なかったのだろう。
そんなこと、雪音にとって、轟焦凍がずっと特別≠セったからに他ならない。


「ごめんね……焦凍くん……」

雪音はずっと止まったままだ。あの日の薄氷からずっと、雪音の時は停まっている。


 


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