せめては糧となりて消えゆきたい

轟邸で過ごした後、雪音は協力要請を受けていた。
それは敵が雄英高校敷地内に侵入したと想定した、1年A組の出動要請訓練であった。その訓練にビッグ3――現在通形が休学中のため雪音が一時的に繰り上がっている――が敵役として立ち憚るというものだった。
雪音はとりあえず頷いたものの、自分が手本になるだろうかという疑問もあった。そこに休学中の通形が混じってくる。


「環、氷叢さん」
「ミリオ……」
「……なに?」

同じく隣でド緊張していた天喰にも通形が声をかける。
通形は要救助者役として参加するらしい。天喰は雪音と波動がいるなら自分はいらないと大変後ろ向きだったのだが、通形がそれを否定する。


「彼らが1日でも早く、一人前のヒーローになれるように、出来る限りのことをしてあげてほしいんだ」
「ミリオ……」
「二人ならやれる! だって環も氷叢さんもすごいんだって、俺は知ってるからね!!」
「……わかったよ、ミリオ。出来るだけ……やってみる」

天喰が通形の熱意に了承したのに対し、雪音は小さくこくりと頷くだけだった。それでも通形は満足しようで「じゃあ頑張ろう!」と拳を上げた。それに波動も「おー!」と元気いっぱいに手を上げる。天喰と雪音は顔を見合わせ「おー」と覇気のない小さな声で小さく拳を上げるのだった。









波動と天喰が敵役として1年A組と戦っている間、雪音はビルの上から大氷壁を眺めていた。
最初に火災を起こすと、すぐに消火班が結成された。当たり前のようにそこには轟がいて、氷で火を消していた。


「また威力が上がったわね……焦凍くん」

体育祭で見た時より成長している。早く一人前のヒーローになれるように、出来る限りのことをしてほしいと通形に頼まれたものの、自分に教えられる何かがあるとは思わなかった。思わなかったけれど……これも必要な訓練だと、雪音は通形を救助せんと向かう焦凍たちの前に立ち憚ろうとしていた。

その音を、姿を、索敵班が見つける。


「!! この音……!! 轟じゃない!? じゃあこれ……まさかっ」
「そのまさかだ……!! 来るぞショートたち!! 氷叢先輩のお出ましだ!!」

連絡を受けた轟らが息を呑む。氷叢雪音、それはもはや悪魔の名だった。多くの者の脳裏に刻まれた、一昨年と昨年の体育祭。圧倒的な実力を持つ……氷原に咲いた麗しの花。
轟は考えるより先に反射的に氷をありったけの力で放っていた。その予感は正しく、雪音の氷がいつの間にか目の前に迫っていて、完璧には相殺できずそのまま吹き飛ばされた。


「すごいわね。索敵班も、あなたたちも……みんな優秀だわ」
「っ……雪音さん……」
「教えられることなんてなさそうだけど……とりあえず、敵として……あなたたちを殲滅します。あなたたちも……そのつもりでかかっていらっしゃい」

雪音が放った一撃で川の一部が凍った。あっという間に形成された氷原に、同じく氷の個性を持つ焦凍はこんなにこの人は強かったのかと密かに驚いていた。
正直、雪音が雄英に入ったのは正月に会っていたから知っていたが、ヒーロー科だとは知らなかったのだ。雪音は自分から言うタイプではないし、轟も科まで聞こうと積極的だったわけじゃない。入学して初めて雪音がヒーロー科だったと知って、体育祭でも成績を残して、父の事務所でインターンをしていたことを知ったのだ。あんなに傍にいた雪音でさえ、自分はちゃんと見えていなかった、見ようとしていなかったのだと後になって気づいた。

轟にとって雪音は母と似た存在だった。美しく、穏やかで、争いごとを好まない。そばで優しく見守ってくれて、自分が守るべき存在。
けれどいざ対峙してみると、守るなんてどの口がと轟は薄く笑った。今の雪音はまるで――


「氷の女王といったところか……挑み甲斐があるな」
「くっ、やむを得ん。通形先輩はフロッピーとグレープジュースに任せて、氷叢先輩は俺たちで相手をしよう!」
「ああ……三人で足りるかわかんねぇけどな……やるっきゃねェ……!!」

自らが作り上げた美しい氷像に腰掛けたまま見下ろす雪音はあまりに強者だった。
蛙吹と峰田が協力して通形を救けている間に、轟たちが雪音の相手をする。雪音は物憂げな表情で強力な氷結を繰り出すのだった。


「どけ! 溶かす!! 氷に氷ぶつけた俺がバカだったよ……!! これなら溶けんだろ!!」
「……」
「! 轟くん、危ないっ!!」
「っ!」

左の炎をぶつけて雪音の氷を溶かそうとしたところ、轟の予想に反し、雪音は溶ける速度よりも早く、圧倒的な質量をもって轟に迫ろうとしていた。それを飯田が寸でのところで助けだす。
常闇が黒影を雪音の背後に迫らせるも、振り向きざまにもろに氷結を食らい、氷漬けにされて身動きが取れなくされた。
それを遠くから索敵班も障子の目で確認していた。

「ダメだ、圧倒的すぎる……応援を向かわせよう」
「あの人、今年から4番目に落ちたんでしょ? 全然そんな感じに見えないんだけど……むしろ、あの二人より強敵じゃん!」

悲鳴じみた耳郎の言葉に、口田が口を出す。動物たちから受け取った情報を、その推測を話していく。人間の本質を見抜くのは……意外と動物の方が優れていたりするから。


「……みんなが、先輩は自分に自信がないんだって言ってる……」
「え?」
「自信がないから……手加減しないんだ。僕たちの糧になれるように……先輩は必死なんだと思う……」

口田の話を聞いて、耳郎は率直に意味わかんないんだけどと思う。耳郎も体育祭での雪音の活躍は知っている。あれだけ圧倒的なセンスや個性を持っていて、自信がないというのは納得できなかった。それはまるで、爆豪や轟が自分は弱いと思い込んでいるようなものだ。それは天喰にも似通ったところがあったけれど、雪音のそれとはまた違ったものを感じた。

けれど今はそんなことより、応援を呼ばなければならない。他に雪音に対抗できる個性は……と考えて、真っ先に浮かんだのは、ツートップの片割れだった。










「1年生の内から、ここまで洗練されているのは珍しい。あなたたちは必ず立派なヒーローになるでしょう」

雪のような音が、息も絶え絶えな三人に賞賛を送った。当の本人は息一つ乱れることなく、その氷像から動くこともなく、物憂げな表情で相も変わらず見下ろしていた。
波動、天喰両名の確保が知らされても、通形を蛙吹らが保護しても、このたった一つの氷叢雪音という壁が、途轍もなく高かった。


「立派なヒーローになるんなら……今のままじゃダメなんだよ……雪音さんを超えなきゃ、俺は……っ」
「……焦凍くんならすぐに超えられる。私とあなたの差は何か……それは、経験でしかない。だからあなたはすぐに私を――」

その瞬間、ピリリとした何かを感じた。インターンを通して経験があるそれは、危機察知のようなものだった。明確な、ぶっ殺すという意志。インターンで培った勘を頼りに氷壁を形成する。その瞬間、爆発的に壊され目の前まで迫った赤い目に目を見開いた。


「まぁたあんたは……ンなくだらねェこと言ってんだなァ!!? 寝ぼけてるみてェだから目ぇ覚ましてやんよ!!」
「っ」
「!? 待ってかっちゃん!! それは――」
「うっせェだぁってろ!!! 榴弾砲着弾ハウザーインパクトォオオオ!!!」

その赤い瞳に乗っていたのは明確な怒りだった。氷壁を形成しようとして、この距離なら耐え切れないと思い、相殺しようと迎撃に出る。緑谷が爆豪が繰り出そうとしている大技に焦り、それを一蹴して爆豪は至近距離で大技を放った。
絶え間なく氷を形成する。だいぶ遠くから飛んできたのだろう、爆豪はその速さを攻撃に乗せてひたすら抉ってきた。


「だぁああああああ!!!」
「っ……」

勢いと爆発はなかなかのものだった。けれど、対処できないほどではない。雪音は氷結の出力を更に上げ、爆豪を凍らそうと手を掴もうとしたところで、後ろから熱を感じた。振り返るとそこには轟がいた。息を乱したまま、けれど真剣な目で……雪音に挑戦していた。


「焦凍く――」
「そっちばっか見てンな!!! 俺を見ろ!!!」
「え……」

俺を見ろ、と怒鳴られて、反射的にそちらを見る。爆豪は相変わらず強烈な爆破を繰り出していた。だから、気づかなかった。それに気づいたのは、いきなり身体に電流が走ってからだった。氷で防ぎきれず、思わず悲鳴をあげる。


「っああ……!!」
「すんませんっ先輩!! 氷って電気通りにくいんで……ちょっと強めにやってまァーす!!」

上鳴のポインターがいつのまにか腰に引っ付いていた。痺れて、うまく氷結が繰り出せない。
けれど、雪音はそれでは終われないと思った。
終わるわけにはいかない。このままじゃ終われない。何もこの子たちに残せていない。
無理やり個性を捻りだし、悪あがきとばかりに今までより格段に威力を増した大氷結を繰り出した。


「ックッソがああああ!!!」
「うおっ…!!」
「うぇ〜い」

辺り一帯を吹き飛ばす大氷結。氷の花が象られたその氷原の中で、雪音は佇んでいた。
それにうそだろ、と誰ともなく呟く。圧倒的な力。強者の貫禄。それがそこにはあった。

けれど間もなくその身体がふらついて、そのままぱたっと倒れる。それに真っ先に駆け寄ったのは轟で、疲労困憊でふらつく足を必死に動かして、雪音を抱き起した。


「雪音さん……! 雪音さん……!!」
「轟くん……大丈夫、気絶してるだけみたいだよ」
「……」
「あっ、轟くん……!」

雪音の無事を知ると、ほっと息をついた轟も、糸が切れたかのように雪音に半ば覆いかぶさって気絶してしまった。
爆豪はその光景に「ケッ」と悪態を吐く。当たり前のように駆け寄って、抱き起せる轟が何だか無性にむかついた。それに瀬呂が「ねね」と爆豪を肘でつつく。にやにやしたその表情がうざくて、「あ゛?」と半ギレで返した。


「あの「俺を見ろ」ってやつ……もしかして口説いてた?」
「あ゛!? んなわけねぇだろ! 俺とやりあってんのによそ見して余裕かましてんのがムカついたんだよ……!! 舐めプ野郎の従姉弟だけあるわ……!!」
「ふーん、まぁそういうことにしとくわ」
「これが事実だわ!!」
「はいはい」
「聞け! しょうゆ顔!!」

瀬呂はにやにやした様相を崩さず、爆豪をはいはい、といなし続けた。爆豪は大層苛立ったが、瀬呂の方が一枚上手である。どうしようもなく、歯噛みするのだった。





こうして1年A組の出動要請は終わる。
一人ボロボロになって搬送されていく雪音に、天喰が「すまない氷叢さん……君に負担をかけてしまった……」と大層落ち込んでいた。それを通形が慰めるように肩に手を置いて「いや、意外とよかったかもね」と笑う。不思議そうにする天喰に「うん! だってこんなに必死な氷叢さん……私初めて見ちゃった! 三年も一緒なのにね。不思議!」と波動の明るい声が響いた。それに天喰も振り返って、納得して、こくりと頷く。雪音にとって1年A組は……轟焦凍は特別なのだとわかっているから。

天喰は願う。いつか君の心の氷が、溶けますようにと。
自分が通形とファットガムにきっかけをもらえたように。雪音の氷を溶かす何かがあればいいと、そう思うのだった。


 


戻る
top