狂気に満ちた愛を

雪音がそれを見たのは偶然だった。たまたま意識の覚醒と、ジャックされたタイミングが重なった。最初は焦凍がテレビに映っている、と思っていたのだが、その表情が違うと感じて……やっと情報が頭に入ってくると、考える間もなく身体が動いていた。
行かなければと思った。それはヒーローとしての正義感からくるものではなく、ただただ、焦凍の姿でこれ以上悪さをされるのが耐えられなかったからだ。焦凍の人生に自分が傷をつけるような真似だけはしたくなかった。雪音はどこまでも……焦凍のための雪音だった。


「っ……」

少し動くだけで身体に痛みが走る。火傷の痕なんて雪音はどうだってよかった。雪音は一度だって、焦凍の火傷の痕が醜いだなんて思ったことはない。雨の日に痛むのだって、そんなことどうだってよかった。むしろ焦凍の痛みを少しでも理解できるなら、それでいいとすら思っていた。
リカバリーガールに「いつか後悔する時が来ても遅いんだよ」と無理やり傷痕優先で治された今は、私はそんなことより万全の状態で動きたかった、としか思わなかった。

絶えず氷を生成してショッピングモールへと駆けていく。
途中で雪音を見つけたらしい波動が雪音の前に現れた。


「氷叢さんっ、なんでここにいるの? 絶対安静だよね? 報道見たの? だから来ちゃったの?」
「……どいて」
「どかないっ! 私言われてるの! 氷叢さんを見つけたらすぐに病院に連れ戻すようにって! だからどかないっ、私も氷叢さんのこと心配だから!!」
「そう……なら、無理やり退かすだけ」

波動が困惑した顔で雪音を見ている。手足や首に包帯が残る雪音の顔色は優れない。息をするのも苦しそうだった。
けれど雪音はそんなことを気にした様子もなく、本気で波動を退かそうと躊躇なく個性を行使した。


「わっ! ダメだよ氷叢さん! 危ないんだから!」
「退いて」
「退かないって言った!」
「……痛い思いしても知らないから」

ぞっと波動の背筋に冷たいものが走った。雪音の目が氷のように鋭く、冷たく光る。明確に敵として認識されたことに波動は少なからずショックを受けた。
そうして容赦なく放たれた氷を波動で相殺する。視界が塞がって、それが晴れたときにはもう雪音はいなかった。


「なんで……氷叢さん……なんでそこまでして行こうとするの……? 私まだ何も……氷叢さんのこと教えてもらってないよ!」

何も、波動は雪音に答えてもらったことがない。
どうして優勝したのにつまらなそうだったのか、どうしてあの時の訓練は必死だったのか、どうして行こうとするのか。何も答えてもらってない。何も、教えてもらってない。
波動はずっと雪音と――仲良くなりたかっただけなのに。










波動をやや手荒に突破した雪音はそのままショッピングモールの近くに来ることに成功していた。
息が切れる。その度に身体が痛んだ。けれど立ち止まることなく目的地へと氷を走らせる。するといきなり声をかけられた。


「ネージュ!?」
「っ……」
「あ、待って待って! 俺は君の敵じゃない! 君を止めるどころか、君の手を借りたいんだ!」
「……」

反射的に攻撃態勢に入ると、ホークスが慌てて降参とばかりに両手を上げた。
必死な様子に雪音も訝し気に思いながらも、とりあえず話を聞こうとした。


「ショッピングモールのセキュリティシステムが乗っ取られてる。サイバー対策班や対処できる個性のヒーローが頑張っているけど、正直時間がかかりすぎる。それに、解除された途端、爆弾のスイッチを入れられないとも限らない。危険を承知で言う。ネージュ、犯人の要求を呑んでくれ」
「……そのつもり」

最初からそのつもりで雪音は来ている。ホークスに言われずとも、誰が止めようとも、雪音はそうするためにここまで駆けてきたのだ。
ホークスは雪音の意志が固まっているのが分かると、ほっとした顔をした。


「君が立派なヒーローで助かったよ。エンデヴァーさんと焦凍くんには顔向けできそうもないけどね……」
「……それは違う」
「え?」
「ヒーローだから来たんじゃない。私が私だから……来ただけ」
「? ちょっとよくわかんないけど……まぁ、とりあえず作戦伝えるよ。ちょっと降りてきて」

ホークスが雪音を捕まえて病院に戻そうとする気配がないのを確認して、雪音は降りてきた。ホークスは意外と警戒心強いな、と内心で思う。よっぽど連れ戻されたくないらしい。
降りてきたはいいものの、地面に足をついた途端、よろけた雪音を慌てて支えた。満身創痍もいいところだった。その状態のまだ18歳の女の子をたった一人で敵地に放り込むことに、不甲斐なさを感じた。でも、今は……数百人を救けるにはこれしか――。


「いいかい、作戦は――」

雪音は黙って聞いていた。異論も質問もなく、聞き終えると「わかった」とだけ言って、そのまま敵地に一人その身一つで乗り込んでいったのだった。











避難誘導に当たっていた爆豪たちは、目途が付こうとした途端、押し寄せてくる人波に目を見張った。
まるでどこか一か所に留まっていた人々が解放されたようだった。それにまさかと思い、一人を捕まえて詳細を問いただす。


「おいっ、あんたら今までどこいた!?」
「どこって、そんなのショッピングモールに決まってるだろ! ずっと閉じ込められてたのがやっと解放されたんだ! 早く行かせてくれ! まだ爆弾は解除されてないんだろ!?」
「……そういうことかよ」

爆豪は掴んでいた肩を離して、舌打ちを一つした。
ショッピングモールのセキュリティシステムが乗っ取られたのはホークスから連絡が入っていた。それが解除したなんて報せは受けていない。ということは考えられることは一つ。来てしまったのだ。あの人が、雪音が犯人の要求を呑んだのだ。


「なぁ、今の……雪音さんが来てるってことだよな?」
「と、轟くん……」
「なら行かねぇと……雪音さんが危ねぇ……!」
「待って待って!! 轟くん! 犯人の要求は先輩が一人で来ることだよ。今ここでヒーローたちが突入したら、かえって先輩の身が危険にさらされる!」
「そんなん今だってそうだろ! あいつらは雪音さんをあんな目に遭わせたんだぞ!? 同じ目に遭ってない保証がどこにあるんだよ!!」
「そ、それは……そう、だけど……」

轟はいつになく冷静さを欠いていた。今にも飛び出そうとするのを緑谷が必死で抑えていた。その光景を爆豪は一人、冷めた目で見ていた。
爆豪は知っている。なぜ雪音が来てしまったのか。雪音はヒーローとして市民の安全のために自己犠牲の精神でここに来たわけではないと、爆豪は知っている。雪音が来たのは……敵が轟の姿形を真似て報道したからだと、正しく理解していた。
氷叢雪音は轟焦凍の不利益の一切を許さない。轟焦凍のためならば、例え動けない身体でも動かして来てしまう。筋金入りのイトコンだった。
そこにホークスからの連絡が常闇に入った。


「待て轟。ホークスから指示が出た」
「ホークス何だって? 雪音さんは無事なのか!?」
「それも含めての伝令だが……しかしこれは――」

常闇が受けたそれは……やや強引な策ともいえた。
皆一様に微妙な顔をする。「本当に大丈夫なのか」と不安視する轟を緑谷が元気づける。常闇も半信半疑のようであったが、爆豪は「まぁ、やれんだろ」と一人肯定した。


「だが爆豪、これ……雪音さん次第だぞ」
「……だからだろ。問題ねェよ。あの人が……舐めプしなきゃな」

爆豪はそういうと、雪音がいるであろうショッピングモールを見上げた。
やれるかやれないか、実力の話であればやれると爆豪は即答できる。けれど、雪音は筋金入りの舐めプでもある。不安が全くないわけではなかったが……その時は大怪我ではすまないだけだ。だから爆豪は、くれぐれも死ぬなよ、と心中で唱える。まだ自分は氷叢雪音をぶっ殺せていないから。今死なれては困るのだ。











「来ると思ったよ、氷叢雪音さん。この顔で報道すれば君は来る他ないからね」
「……」

単身でショッピングモールの指定場所に突入した雪音は、それはもう熱烈な歓迎を受けた。
約束通り一人で雪音が来たことに満足し、閉じ込められていた人々を解放してくれた。今はお茶とお菓子を用意され、丁重にもてなされているところだった。


「黙りか……まぁ、時間はある。少しお話ししようか。何か聞きたいことはない?」
「特には」
「あれ……気にならない? 俺がどこの誰とか、本当の顔とか、何でこんなことするかとか、自分はこれからどうなるのか、とか」

じっと焦凍と同じ顔が雪音を見るが、雪音は相変わらず人形のような顔でそこにいるだけだった。本当に気にならないんだなと理解すると、まぁいいやと勝手にベラベラと話し出した。


「俺はね、一応男。年は君より上。趣味は綺麗なものを見ることと、芸術を作ること。そして君を指名したのは……まぁ、わかると思うけど、君が好きだから」

告白にしてはやけにあっさりした告白だった。雪音はその告白を受けても何ら反応を示さず、瞬きを確認しなければ生きているかも怪しいくらいの落ち着きぶりだった。
それに「なんだ、つまらないな」と男はため息まじりに頬杖をつく。


「俺今告白したんだけど。返事もくれないわけ?」
「返事……」
「君、まさか普段からそうなの? 告白の10や20、されたことあるでしょ?」
「……?」
「マジか。これはちょっと予想外だ」

焦凍のなりをした男は、大袈裟な所作で天を仰いでみせた。
雪音はただ、焦凍の姿形こそしているが、やはり似ても似つかないと思っていた。焦凍はこんな風に大袈裟なリアクションをしないし、こんな物言いもしない。
目の前の男は、轟焦凍ではない。雪音は正しく認識できていた。


「まぁ、本題なんだけどさ……氷叢雪音さん、俺と付き合ってくれませんか。もちろん男女交際的な意味で」
「……ごめんなさい」
「ちゃんと返事が出来て偉いねぇ。じゃ、そういうわけで……目出度く振られたことだし――俺と心中しよう、雪音ちゃん」

男の雰囲気ががらりと変わる。おどけていたそれが、今や静かな狂気を宿していた。雪音はそれを合図に、ホークスに伝えられた作戦通り動いた。
爆弾が確認されたフロア一帯を瞬時にここ・・から凍らせた。
起爆スイッチも氷漬けにして壊してしまった。これで爆弾が爆発する心配はない。ショッピングモールが派手に凍ったのを合図に、ヒーローたちが次々とショッピングモールに乗り込んだのだった。


 


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